力継続也

一、適当なブログと認識すべし
二、誤字脱字に突っ込むことなかれ
三、深く考えず楽しく読むべし

ボランティア

2010年02月16日 | ただの日記
さーて日記でも書くか。
久々に真面目な日記でも書こうかしら。
どうしようかしら。
真面目なものになるか
途中で内容が砕けるかはまだ考えていません。
書きながら考えます。
いつもだけどね。

σ( ̄▽ ̄)、学生時代、ほんの一瞬だけボランティアサークルに
所属していたことがあったのよ。
ほんの一瞬だけ。
だから、ボランティアする人の気持ちもちょっとはわかるし、
理解もしているつもりなんね。
で、今回ちょっといろいろ思うことがあったので
書かせていただきます。

テレビで放映されたからご存じの方もいるかもですが、
http://saya-sukuou.com/
さやちゃんを救う会。
普通に生活を送っていた中学生が部活中に倒れて意識不明に
気がついたときは病院の上
心臓の病気で医者の話では何もしなければ余命6カ月。
14歳のため、日本では臓器移植は行えない。
幸いアメリカで手術をしてくれるところが見つかるが、
渡航費と手術費などもろもろ込みで1億3000万円ほどかかる。
それで、みんなの力を借りて、なんとかお金を集めて
手術をして、生きる!
そんなお話です。

よくあるお話かもしれないのですが、
この中学生の父親がσ( ̄▽ ̄)の会社に勤めている人
ってこともあり、この話がσ( ̄▽ ̄)の耳にたまたま入りました。
で、それなりに感動ってか、悲しくなったので、
それなりに募金させていただいたのだけど、
ふと疑問が生まれた。
ここで

見ず知らずの人のために募金をする。
これがまったく誰かもわからないところで
『恵まれない人のために使うので募金してください』では
まったく募金する気になれない。
けれど、『どこそこの○○ちゃんを救うために』と銘打たれれば
急に払いたくなる。
それはなんでだろう。
知っている、知っていないってえらい差だと思った。
たとえば、それが家族なのであれば、
自分の生活が崩れようが、助けようと思うだろうし、
正直なんの関係もない人で、全く知らない人なら
『かわいそう』で終わってしまうような気がする。

同じことでもこうも感情が変わる。不思議な話だ。

あと、もうひとつ思ったのは、
この救う会ってのは結構テレビにも出て、メディア攻勢を
かけているとσ( ̄▽ ̄)は思う。
で、話はえらく変わるけど、今日営業で
とあるお客さんの所に行ったのだけど、
その家庭ではそれはそれは不幸を絵に書いたような
何とも言えない家庭だった。
うーむ。
こっちを助けようとすると、じゃあ、こっちは?
ってなる。
かたや、メディアを使って大規模な募金を集め、
かたや、一生懸命自分たちだけで頑張る
本当にボランティアって何なんだろうって思った

○○を助けたい
ここには自分の感情が強く入りすぎている。

コメント (2)
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