絵画との出会いから

絵を始めた動機、作品の思い出、絵の仲間との出会い、支えてくれた家族との思いなどを、絵画作品とともに記録するブログです。

自由な発想と描画のバイタリテイに圧倒された! ピエール・アレシンスキー展

2016-11-28 15:44:54 | 日記

東京渋谷の文化村ザ・ミュージアムで開催中のピエール・アレシンスキー展を観た。89歳でまだ健在で活躍しているベルギー(ブリュッセル)出身の現代美術の巨匠のひとりでもある。

          アレシンスキー展 パンフレット  

        

 

感想を一言で云うならば絵画に決まりごと(規則)や年齢制限などないのだ”と云うことである。  

1927年ブリュッセルで生まれ、美術工芸学校に学び20歳のときに「若きベルギー絵画」グループ CoBrA(コブラ:コペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムの頭文字)にはいり国際的な現代芸術家集団のメンバーとして芸術家の仲間入りをした。コブラは短命に終わったが、コブラで学んだ即興的な筆致制作に多いに共感して追求していたが、新しい出会いを求めてパリに移動した。彼はもともと左利きであったが、絵を描くときは左手、右手は文字を書く手として絵と文字の共通点と相違点を意識するようになり、文字とも表象とも区別がつかない一つの絵が描かれている(「夜」パンフレット参照)。

この「文字」に対する意識と興味の高まりが、やがて日本の「書」の世界に近づけた。1952年頃通った版画学校での偶然の日本の前衛書道と出会い、日本へ渡る迄のめり込んだ。日本では前衛書道家の森田子龍や篠田桃江と交流して最後は禅の画家仙崖を師として仰ぎ尊敬している。

1961年頃アメリカ・ニューヨークに移り、コミック本を思わせる枠付きのドローイングで大きな絵を囲むという独自のスタイルを獲得した。この時点で彼の描画は油絵からアクリル画に移行する。書のように流れるようなリズミカルな絵を描くには水性のアクリルが必要であった。その代表的な絵が「セントラルパーク」である。また米国のポップアートのように、身体全体で絵を描き、右手と左手を自由に使うスタイルが絵に流動感を与える。また四角い画面に拘らない円の画面の描写も多数制作している。

   展覧会 会場(1)            展覧会 会場(2) 

  

           展覧会 会場(3)

       

素描(ドローイング)がそのまま絵となり、画材も和紙や古紙を使ったりという全く伝統や形式にとらわれない発想の自由と描画の自由は観る我々に年齢を感じさせないバイタリテイを感じさせるのである。

絵画教室に通いいろいろなマチエールや描写を学んでいるアマチュア画家にとって自分もやってみたいと思わせる絵であり画家である。

注:コメントの一部と会場写真は文化村ザ・ミュージアムHPを参考にしました。)

 


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