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絵画との出会いから

絵を始めた動機、作品の思い出、絵の仲間との出会い、支えてくれた家族との思いなどを、絵画作品とともに記録するブログです。

デトロイト美術館展とゴッホとゴーギャン展を観て

2016-10-28 15:35:10 | 日記

NHKの「シブ5ジ」のニュース番組で「上野の森美術館」と「東京都美術館」で後期印象派のゴッホとゴーギャンを共通軸とする秋の上野の美術館巡りの特集をみて居ても立ってもいられなくなり両美術館を一日で廻ることにした。

 上野の森美術館の「デトロイト美術館展」は初期印象派(ドガ、モネ、ルノワール・・・・)からポスト印象派(セザンヌ、ゴッホ、ボナール、ゴーギャン・・・)、20世紀ドイツ絵画やピカソに代表される20世紀フランス絵画というテーマで印象派から近代絵画を大変分かりやすく解説、展示していて参考になった。1885年設立されたデトロイト美術館は米国の大美術館の一つであるが、2013年の米国自動車産業の衰退で存立が厳しくなる事態となったが、住民や有志が立ち上がり多くの蒐集名画を守った。その中の52点が今回展示されていたが、その名画の一点のゴッホの自画像が展示されていた。

この同じ時期、東京都美術館でこのゴッホとゴーギャンが1888年フランス・アルルで共同生活を始めた二人に焦点を当てた「ゴッホとゴーギャン展」を開催しており、両美術館がコラボレーションして色々な企画(入場券割引や講演会等)をしていた。従って今回はゴッホとゴーギャンに焦点を当てて感想を記しておきたい。

 ゴッホとゴーギャンのアルルでの共同生活は、ゴッホの弟(画商)テオの発案からゴッホがゴーギャンを熱心に誘い共同生活と制作が始まった。両者はスーラやシャニックが始めた色彩分割主義から自己流の表現を始めていたが、ゴッホが現実をそのまま自分の筆致で表現する主張とゴーギャンが現実と想像(心象)を画面に表現する主張との違いが、相容れず周知のように共同生活は2ヶ月で破綻して悲劇的なゴッホの自殺で終わることとなった。私は、この二人が年齢も5歳も違い(ゴッホが若く)、ゴーギャンはビジネスの世界も経験しているが、オランダの牧師の家庭に生まれ、絵画だけで生きてきたゴッホとは生い立ちや考え方が違い最後迄融合できなかったと思います。その違いがかいまみれる風景画を掲載してみます。

 ゴッホ「ムーランギャレットの裏庭」     ゴーギャン「葡萄の収穫、人間の悲惨」 

      

 *ゴーギャンの絵の葡萄を収穫している女性と正面の厳しい顔の女性は想像である。

デトロイト美術館の名画のなかでゴッホの自画像は至宝の一つであるが、ゴッホは“モネが風景を描くように人物を描くこと、それが何よりもやるべきことだ”と当初は自画像を多数制作したが、モデルを頼む余裕がないので自画像で人物画の研究をしたと云われている。ゴッホとゴーギャンの二人の自画像を掲載してみる。

 [ゴッホ自画像]   

     デトロイト美術館蔵            東京都美術館展

               

 [ゴーギャンの自画像] 

     デトロイト美術館蔵           東京都美術館展

         

 *ゴーギャンはあまり自画像を描いていない。

 最後に悲劇的な別れとなったゴッホとゴーギャンは分かれても、お互いに尊敬しあっていたことは有名である。ゴッホは「ゴーギャンと私は体中の熱が消えるほど感情を高ぶらせ、話し合ったものだ」と云っており、ゴーギャンがゴッホがピストル自殺した後、アルルの共同生活でゴッホがゴーギャンの部屋を飾ってくれたひまわりの画をゴーギャンが描いて贈ったというひまわりの絵を載せて二人の違いとお互いの尊敬の気持ちを感じてみたい。

     ゴッホのひまわり            ゴーギャンのひまわり

             

 追記

デトロイト美術館で最後迄解明できなかったピカソの絵を掲載してみます。