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誕生日の花、俳句など

毎日が日曜日の私が、その日、その日の出来事や、世間話のなかで、悲憤慷慨何でもあり、想いのままを、書き撲ています

ハコべラ

2016-01-07 07:48:16 | 誕生日の花ケイスケ日記
ハコべ;ハコベラ;アサシラゲ(ナデシコ科)ナデシコ科の越年草で、路傍や畑など、いたるところ自生している。春の七草の一つ。茎は基部で分岐して」地面を這う。葉は対生し卵形で柔らかい。春の七草の一つ。茎は基部が分岐して地面を這う。葉は対生し卵形で柔らかい。春、白色の小さな五弁花をつける。古くから小鳥の餌としたり、民間薬として利用したりしてきた。「はこべらや焦土の色の雀ども 石田波郷」「栄達に遠しはこべら道に咲き 安住 敦」「はこべらや名をつけて飼ふや白うさぎ 大串 章」「はこべら草さぬきの山は高からず 一場元巳」。(はこべらを生けて手乗り文鳥飼いならす=これが新年の希望なり ケイスケ)。吉祥寺のデパートで探すとしよう?

カンアオイ

2016-01-06 05:58:53 | 誕生日の花ケイスケ日記
カンアオイ(ウマノスズクサ科)花言葉とは、秘められた恋。単に「葵」といふと古くは「古葵」
を、現代は花の美しい「立葵」をさす。立葵は茎が直立し、高さ約2m。葉は互生し、浅く裂ける心臓形。梅雨が始まる頃に長い花穂を立て、径6~7㎝の大輪五弁花が下から順に咲き上り、梅雨が明ける頃に咲き終わる。花色は、赤や桃、しり上がり、梅雨が開ける頃に咲き終る。花色は赤や桃黄、白、橙色など。八重咲きもある。小アジア原産で、中国を経由して古くに渡来。中国名「蜀葵」の名で「枕草子」に記載がある。冬葵は平安時代薬草として植えられたが、現在は一部の地方で野生化する程度。6~7月に淡紅色の小さい花をつける。ほかにも、{銭葵」は草丈1m、5~7月に淡紫色の花をハのわきにつける。南ヨーロツパ原産の多年草で、江戸時代渡来。「花葵」は草丈1m、7~9月に赤系の大輪n五弁花を葉のわきにつける。地中海沿岸原産の1年草。いずれもにはなどに植えられる。「葵」の文字が入る植物は多く、徳川幕府の紋所に使われた「二葉葵」があり、紋所のイメージが強いが、これは、アオイ科の植物を指すので注意したい。「明星に影立すくむ葵かな 一 茶」「花葵西日さし抜け一軒家 星野立子」「かいまみし人の厨や花葵 中村汀女」「歩き居て日暮るるところ葵かな 森 澄雄」「うみやまのあはひの寺の紅蜀葵 七田谷まりうす」[ほてい草月の面てを流れ過ぐ 福田蓼汀」「布袋草に浮袋あり神を讃む 田川飛旅子」「彼の夢みて月の布袋葵 鳥井真理子」。葵の詩は非常に多いい。(夕刊のあとにゆふぐれ立葵 けいすけ)

2016-01-05 09:21:26 | 誕生日の花ケイスケ日記
梅は(バラ科)花言葉は、澄んだ心。バラ科の落葉低木の花。中国原産で、日本へは八世紀ごろに
渡ってきたとみられる。『万葉集』には119首もの梅の歌がおさめられている。花といえば桜よりも梅であった。春先、高い香気を放って馥郁と咲く。も水戸の偕楽園や奈良県月ヶ瀬などは梅の名所。「山里や井戸の端なる梅の花 鬼 貫」「梅が香にのっと日の出る山路かな 芭 蕉」「しら梅に明る  い夜ばかりとなりにけり 蕪 村」「夜の梅寝ねんとすれば匂ふなり 白 雄」「母の死や枝の先まで梅の花 永田耕衣」「近づけば向きあちこちや梅の花 みつはし 三橋敏雄」「ふろしきの紫たたむ梅の頃 大彰あきら」「青天へ梅のつぼみがかけのぼる 新田裕久」「曙や蓁を離さず梅ひらく 新田裕久」「ふろしきの紫たたむ梅の頃 大峰あきら」「野の暮にひとたれ野梅ひらく 島谷征良」「野の暮にひとたびまぎれ野梅咲く 岡田日郎」「梅しろくそがれ給ふ 仏たち 草間時光」「勇気こそ地の塩なえや梅真白 中村草田男」「白梅の花に蕾に枝走る 倉田紘文」「白梅や父に未完の日暮あり 櫂末知子」「枝垂梅とうとうたらりしだれたり 片山由美子」「梅林や人ちらばりてなきごとく 五十嵐播水」「梅林の真中ほどと思いつつ 波多野爽波」「月ひかりだますまでゐたり梅林火 飴山 實」「暮そめてにはかに暮れる梅林 日野草城」「渓梅にとまりて青き山鴉 飯田蛇笏」「活けし梅一枝強く壁に触る 山口誓子」「ただよへる塩なれや梅真白 中村草田男」「二もとの梅のみほいの土の土 長谷川素逝」「鵯のむかう向きなる梅の花 星野立子」「「梅も一枝死者の正しいさよ 石田波郷」「わが前にけふの道あり梅ひらく 轡田 進む」「二もとの梅に遅速を愛すかな 与謝蕪村」「鵯のむかう向きなる梅の花 星野立子」「伊豆の海や紅梅の上に波ながれ 水原秋桜子」「白梅のあと紅梅の深空あり 飯田龍太」「紅梅や枝枝は空奪ひあひ 高羽狩行」「紅梅に牛つながれて涙ぐむ 森 澄雄」「剪りて置く紅梅一枝片袖めく 野澤節子」。(紅梅咲く丘は野となり丘となる ケイスケ)

オトメコザクラ

2016-01-04 06:27:22 | 誕生日の花ケイスケ日記
オトメコザクラ(プリムラ.オプコニカ)はサクラソウ科の花、花言葉は、少年時代の希望;初恋。北半球の温帯から寒帯にかけて約600種が分布するサクラソウ科の花。多くの種が園芸種として栽植されている。日本には野生種が十数種あり、その代表が桜草で、花形が桜の花に似ていることから名がある。春、花茎を立て、可憐な淡紅色の五裂の花を5~10個つける。「花の奥より蕾駆け出づ桜草 加藤楸邨」「嫁ぐすぐ妊るあはれ桜草 篠田ニ郎」「指組めば指が湿りぬ桜の花 鈴木鷹夫」「桜草咲いてむかしの暴れ川 松本帯二」。(土の香のなにかたのしく桜草 けいすけ)

スノードロップ

2016-01-03 06:53:13 | 誕生日の花ケイスケ日記
スノードロップ(ヒガンバナ科)花言葉は、初恋のため息。希望。きびしい寒さに耐えて春を待つ姿から「希望」とい花言葉がつきました。7~8㎝の花茎の先端に花びらがぶさがり、3枚の花被片が昼は開き、夜は眠るように閉じます。その姿はまるで雪の中の妖精のよう。楽園を追われて雪の中の妖精のよう。楽園を追われて雪にこごえているアダムとイブを哀れみ、天使が雪をこの花に変えたという伝説があります。カトリック教会で2月2日の聖燭節に飾る花として知られています。(初恋の悩みは遠く夢のあと けいすけ)

万年青

2016-01-02 06:24:54 | 誕生日の花ケイスケ日記
オモト;万年青(ユリ科)花言葉は、母の愛;長寿。万年青は山野の樹下に自生するユリ科の常緑多年草で、斑入りなど様々な葉を楽しむが、晩年に熟す赤い実も美しい。観賞用に古くから栽培されている。「万年青の実楽しむとなく楽しめる 鈴木花蓑」「さ実をもちて鉢の万年青の威勢よく 杉田久女」。(秋風の吹き残してや万年青の実 けいすけ)。『日本初元素に命名権』理化学研究所は31日2004年から3回、合成に成功した原子番号113について科学者の国際組織「国際純正.化学応用化学連合(IUPAC)」が正式に理研チ―ムを発見者と認定、命名権が与えたと発表された。「周期表に日本の席」大晦日の夕刻に理化学研究所のチームを率いてきた森田活介理研グループディレクタ_(58歳)は「周期表の新たな座席を、日本が占めることが出来た。心の高まりを覚えて理科が好きになってくれる子ども達が出れば嬉しい」と笑顔をみせた。「113番元素」の命名権を理研のチームに与えるとの連絡は31日午前5時過ぎ、国際組織から森田さんにメールで届き「びっくりした。直ぐ仲間に連絡した。森田さんは「本物だ」と確信し、体が震えたとのこと。ノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈博士(90歳)も「発見者にちなんだ名前か、『ジャポニウム』が良いのでは、と話された。いずれその内、命名されるであろう。理研の快挙113番元素とその命名権。

January

2016-01-01 07:47:59 | 誕生日の花ケイスケ日記
『January』秋になれば 葉は赤く色づき 母なる幹を 置き去りにして腰をすえる 冷たく きびしく 冬が見守る 吹きだまりの棲みかに マツユキ草に 森の木陰が華やぐときも 枯葉はその棲みかに こもりきる かぐわしい南の風が 林を吹き過ぎ 鳥も枝々も 春が来たと 歌っているのに(”昨年の葉”マッケン_.ベル。カントリー.ダイアリーより)。誕生日の花「松」(マツ科)花言葉は、不老長寿;向上心。正月の神を迎える目印として門の両側に立てる松。その由来はいろいろあって混乱しているが、新しい年を迎えるという厳粛な気分は、時代が変わっても変わることなく残っている。その事からして大勢としては心のどこかに歳神が来るのだという考えが定着しているのだと思う。立られるものは松ばかりではなく、竹を添え輪飾りや幣などをかけておくこともある。地方によっては、椿.榊.樒など常緑樹であれば何でもよいとしている所もある。近ごろ都会では印刷した門松を玄関に張るようになった。「松飾る」は歳末の季語。暮の30日までに飾る。「思ふべき神代や門の松のしん 松江重頼」「門松にひそと子遊ぶ町の月 富田木歩」「雪ふかくヒュツテの戸あり松飾 水原秋桜子」「門松の根曳きのままに城下町 福田蓼汀」「雪国のありともみえず松飾 長谷川かな女」「恨みつつ紙門貼りにけり 福永耕二」。(我家に飾る門松今年も賑わり ケイスケ)みたか広報(MITAKAcit Information)市内には、『杏林大学』『国際基督教大学』『ルーテル学院大学』をはじめとする多くの優れた共育機関があり、各大学では、特色のある教育を実践するとともに、地域に開かれた教育の場として市民のみなさんに向けた魅力ある講座などを実施しています。また三鷹駅前にある三鷹ネツトワーク大学は、上記の三つの大学を含む19の共育.研究機関との協働により、高度な学習機会の提供と地域課題の解決に向けた研究活動などを行っています。市では、今年の3月に確定する『第4時三鷹基本計画第1次改訂』の着実な推進に向けて、地域の知的資源を生かしながら、未来志向の取り組みを展開してゆきます。三鷹広報NO.1562(2016.1.1号)より。