誰そ彼時(たそかれどき)は、夕暮れ時を指す言葉で、元々は「誰だあれは」という意味で使われていた。
彼は誰時(かわたれどき)は、一日のうち明け方頃のまだ薄暗く、あの人は誰かと判断しかねる時間帯である 。
黄昏は、夕方に相手の判別がつかない頃を指す。かわたれは、明け方の薄暗い時に誰だったかなーと判断しかねる時間帯という。ややこしいが、厳密にはボヤっと相手の顔立ちが浮かび上がる時がかわたれで、誰だかもう判別がつく頃を過ぎてしまった時間帯が黄昏時である。
黄昏は、認知機能の低下という人間の週末の状態にも似ている。かわたれは、徐々にはっきりと見えてくる人生の若い頃の一歩手前という時なんだろう。
「もうはまだなり、まだはもうなり」という言葉がある。これを当てはめれば、もうはまだなり=かわたれ まだはもうなり=たそがれ ではないだろうか。まだはもうなりは、人生は長い、まだまだと言ってる間にもう来てしまったという感覚である。また、さーこれから華の人生だと焦る君に、もうはまだなりという意識が大事なんだろう。