岩谷宏と一緒

岩谷宏の同居人岩谷啓子(けい子)が、犬猫まみれの官能の日々を綴る

岩谷宏のロック論 43 T・REX スライダー(Aめん)

2008-04-08 07:45:55 | 岩谷宏 ロック
METAL GURU

きみは海底にしずめららたテレビのツマミですか
きみは地中に埋められた自動車のエンジンですか
そうです
きみは
金属のかたまり(かみさま)です

きみはきみ自身そのままで
真実です
だからきみは
部屋に電話を引きません

ロックがきみを
金属のかたまり(かみさま)に変えたのです
そうです
万事休すです
おめでとう


MYSTIC LADY

きみは
ぼくの夜を
そんなにも
やわらかく
専領しますが
もう
ぼくのナニは
たたないのです
残念ながら
愛は
そのむかし
きずつけられて終わったのです

いま こうやって
三ヶ月のお月さまをみていると
ぼくのこころにはひとすじの痛みが走り
きみはとにかく
すてきすぎるのです


ROCK ON

ぼくはもうずいぶん前からここにいます
みんなももうずいぶん前から
ここにいるんです

絶望こそが
愛の天使なのです

駐車場のリタもまえからここにいます

こころのキズこそ
予言者なのです

きみもぼくももう
詩人であるしかない そして
詩人はいま
ヨロイを着ているのだ

それでは、もっともっとロックに酔い痴れよう


THE SLIDER

悲しいときには
泣かない
ぼくはソッポむくだけだなあ
ぼくは逃げていくだけだ

いろんなことがココロで理解できるよ
でも なんにも理解できない だから
悲しいことも
うれしいこともないよ

ぼくには
なく
ということが
ぜんぜんできないのだ というのも
それほど
ものごと理解しちゃいないもの

学校なんてなんだかわかんないし・・・・・・

ぼくは愛しているよ でも
あれらこれらのどれひとつが
愛であるなんてのは
おもえはしないさ

ぼくは愛しているよ

この広い(?)世界がじつは
せまくてあったかい花蜂の巣か
この小さい「私」という世界がじつは
もしかしたらまったく存在しないくらい
空漠空虚無限広大であるか

そんなことが
てめえらにわかってたまるか


BABY BOOMERANG

きみはやせてひきしまったイイ顔をしたお大者(きつかわ)だが
きみは現実には 夜、きみの想像力によって
はじめて自由(かなしく)になるにすぎず
実際は
都市の昼間は牢獄であり
とじこめられて
小説(のーと)など書いたところできみは
すぐにアホらしくなってしまう

ぼくはゴミの山をかきわけかきわけ
ひっしで友を求めるのだが
しょせん きみも、また、きみも
とらわれの身
また ぼくも

かくしておろかなぼくは
おろかなおまえをつけまわし
いつかはべっど(雀卓)の中で
決着をつけてやろうと
コシタンタンとねらっているのだが
けっきょくは
ぼくもきみも
おたがいをキズつけることさえできない

というのも
たぶん
だれにおいても
否定の力の方が
強いからだ


SPACEBALL RICOCHET

私はタダの人
風はからだに感じ
世代の悲しみは
私を刺す(グニョ~~~)

私はレスボールをかかえた
ちっぽけな男
でもとにかくなんとなく
その日その日をくらしているぜ

本が好きで
つぎからつぎへと本を読む
どの著者もどの著者もみんなその語り口は
まるでぼくの友達みたいだなァ

なにができる?
ぼくらは動物園に住んでいるのだ
ぼくらにできるただひとつのことは
宇宙のはしっこの方で
ぶざまに飛びはねてみせるだけ

こころのう~~んと深いとこでならぼくは
きみのほとんどすべてを
永遠に抱きしめていてあげられる

でも、きのう買った中古車は
もうぬすまれてしまった

きみはいつみてもすてきだ
都市よ ○○よ
そしてぼく・・・・
この
関係ない両者の関係

こうやってイライラと
宇宙のはしっこをぶざまに
すべり跳んでいるときには
疲労を休める方法は皆無なのか。


BUICK MACKANE

ビュイック・マッケーン
すげえクルマだなあ
おれはおまえとやりたいよ

とくに
雨がふってるまちん中で
おまえのすがたは
じつにカッコイイのだ

ほんと
ぼくは
おまえにのって
どっかに消えてしまいたい

まちに
雨がふりしきる日なんか・・・・・
ビュイック・マッケーン
どこかにいこうぜ


(あと書き)

ティラノザウルス・レックスからT・レックスへの変貌は、
マークボランが、その発声を、趣味的神秘主義を防ぐことから、
むしろ、彼の想像力が現実に向かって投じられるやいばとなり、
疲労した肉体の声へと”転じた”ところに生ずる。
T・レックスもバカでかい音できかねばその本質はわからない。
荒涼とした音・・・彼の衣装と化粧は、彼のDesolationの表現である。
一時、ぼくらの仲間うちで、仕事とそれをとりまく環境が
かったるくてラチがあかないような日々に、
彼のような発声でためいきをつくことがはやった(?)。
キレイな夢の中に住む人たちが、いかにして自己を破り、
汚辱とワイセツさとかなりのブザマさの中にこそあるリアリティを、
いかにして発見するのか、ということの好個の実例がここにある。
やさしく「見守る」ことなどよりも、「強姦する」ことの方が
百倍も千倍も愛である・・・・・といったのは19世紀の人
ドストエフスキーである。
そして、T・レックスは、人が、本当に真剣に世界と
かかわろうとするときにその人の中に湧き立つ、
ワイセツな暴力性の音楽である。
くりかえすようだがT・レックスの音楽を、ただ 幻想的とか、
セクシーとか、ファンキーなどという形容詞で、
「愛しつつ」きいている人は、もっとでっかい音できいて
たたきのめされた方がいい。
きくところによれば、武道館の公演では、音量があまりに大きくて、
聴衆の大半はとまどったという。
私なんかは、かねてから、T・レックスが日本にくるのは
いまはまだ状況的に早い、と、気にしていた方なのだ。
ひとつの、まるっこい、やわらかな夢・・・・ビートルズによって
代表されるひとつの夢が、完全に破産し、そのあとの荒涼の中に咲いた
あだ花T・レックスを、日本ではなぜかビートルズ
と同様の夢として、幻想として遇する人が多い。


(ロッキングオン VOL4より)1973年4月号