
今回紹介のちょっと旅は、御陣乗太鼓で有名な、輪島市の名舟町。
ここで行われる『名舟大祭』をレポート

御陣乗太鼓は、以前紹介してあるけど、祭りと合わせて、もう一度簡単に…。

時は戦国時代。
天正5年(1577年)この地に攻め入る上杉謙信軍。
古老の一計で、村人が奇怪な面をかぶり太鼓を打ち鳴らし、上杉軍を退けた。
その時、打ち鳴らしていた太鼓が、「御陣乗太鼓」の由来だ。
村人はこれを舳倉(へぐら)島の奥津比咩神(おくつひめのかみ)の御神徳によるものと信じた。
上杉軍を打ち破った日が、7月31日ということで、毎年二日間に渡り、祭りが行われる。
奥津比咩神社の大祭「名舟大祭」で、御陣乗太鼓を奉納するようになった。

名舟大祭へ行くには、輪島市内から出るシャトルバスに乗るのがベスト。
名舟町は、とても小さい集落なので、車を止める場所が港しかないからだ。
祭りスケジュール
7月31日
21:00 キリコ宿元出発
21:30 キリコ神社境内に集合完了
22:00 キリコ神社境内を出発
22:30 御陣乗太鼓奉納打ち
23:00 御神輿渡御 キリコ行列
24:00 御神輿がお仮屋に入る
シャトルバスで名舟に到着した時は、9時過ぎ。
キリコが白山神社へ向かい、動き出していた。

名舟町の白山神社は、産土神(うぶすながみ)で、奥津比咩神社(おくつひめじんじゃ)の摂社(せっしゃ:本社と縁の深い神を祭る社)
奥津比咩神社の遥拝所(ようはいじょ:遥かな場所から拝む)でもあった。
奥津比咩神社は舳倉島(へぐらじま)にある。
(白山神社HPを参考にしました)

もともと舳倉島は名舟町の所属。
その為、海を渡って祭祀(さいし:祭り)していたようだ。
しかし、7月31日、海が荒れる年もあるので、名舟に鳥居を建て、御神輿で奥津比咩を迎えたり送ったりする今の形となったようです。
能登半島では、キリコを担いだ祭りがあちこちにあるが、急な坂道(神社が急峻な場所に建っている)を行くのは、名舟町だけだとか…。
それだけに見応えがあるそうだよ





1基目のキリコが目の前を通り、坂道の参道を上がって行く。
嬉しがって、ジェニーたちも後ろから付いて行っちゃった


白山神社の狭い境内の奥に入り、キリコは止まる。
2基目、3基目と止まり、全部で3基。
名舟町では、5基あったと聞いていたのに?
まっ、諸般の事情があるわな。

キリコは、御神輿の前を行く御神燈(ごしんとう)
3基集まったところで、奥津比咩を乗せた御神輿を先導していく。

観客であるジェニーたちのすぐ目の前で繰り広げられる祭りは、見ていて大興奮

キリコが動き出した(下り)のと同時に、ジェニーたちは参道である100段の階段を真っ直ぐ下りて行った。
凄く急な階段でかなり怖いから、落ちないように…、落ちないように…


神社からキリコを先導に御神輿が下りて来るに合わせて、花火が上がった。





海での神事に合わせて、特設舞台では、子ども御陣乗太鼓が始まり、その後、いよいよ奉納太鼓が…




過去何度か、御陣乗太鼓を見に行ったけれど、奉納太鼓は初めて

神社下の特設舞台は、勿論、屋外。
かなり高い舞台となっているので、見るだけなら、どこからでも大丈夫

But 暗闇の中で踊りながら太鼓を打つ姿を写真に撮りたいと思うのが人情だよね。
前から敷物で場所をとっているのは、地元の方達。
その後ろから、頑張って写しました



太鼓が終われば、バスの人は、優先的に移動。
先に輪島に帰れるのは、嬉しいんだけど、御神輿渡御とキリコ行列が見れないのがちょっと心残り。
深夜0時には、御神輿がお仮屋に入り、大祭一日目は終了となる


本日おしまい
