kebaneco日記

日々の出来事、考えたこと、行った場所、見たもの、なんかを記録してます

不思議な態勢

2011年10月17日 | 猫ら&家族
ケバは意地でもこの椅子から離れたくないらしい(笑)
 随分とご無体な態勢ですねぇ

ケバさん、大丈夫ですか?とアップしてみたら、上手に座布団に顎を預けていらっしゃる
 哲学してるのかな?

無我の境地で、マロが去っていくのを待ってるっていう感じ。ケバも我慢の猫のときがあるんだぁ~と、新たな発見いたしましたです。

ところで、復興債償還10年反対。建設事業なんだから耐用年数に応じて建設国債と同じ60年を償還年限にすることに、どこに問題があるのか不明。世界的に景気が不透明で、円高だし、デフレだし、日本の経済がいろんな形で脆弱になってるときに、痛んでいる企業や家計に今以上に負担を強いる理由がわからん。おまけに年金受給開始年齢の引き上げだと?つくづく日本は国民に優しくない。国民も納税者という出資者なのだから、自己防衛策・自助努力も大切だけど、もっと「ちゃんとした政府を、ちゃんとした社会保障を」と要求すべき。

それから、政治と金の集中審議をやるとかで、政治家ってアホなだけじゃなくて無神経すぎると思う。一体日本がどういう局面にあるのか、わかってんのかな?国会議員が「解散して国民の信を問う」っていうのもど~かと思う。シングルイシューで総選挙なんてのは、菅元首相が脱原発解散しなかったいま、小泉の郵政選挙を最後にしてほしい。韓国が日本に比べて戦略的政策を次々と繰り出せるのは、ほとんど国会が途中で解散しないからだといわれる。国会議員が任期満了までじっくり仕事ができる環境があるからだと。日本も毎年首相が変わる、なにかというと解散をちらつかせて政治が動かなくなる、そういうのいい加減卒業してほしい。首相を選ぶ母集団=国会議員の顔ぶれをみれば、だれがやったって変わらないことはだれの目から見ても明らか。そんなに毎回首相の首を挿げ替えたいなら、国民がじゃんけんでもして選ばれた方がまだましな気がする。そもそも、なるべき人ではない、資質を持たない人しか国会議員やってないわけだし。だから、そんな尊大なだけで無能な候補者から役立たずな人を選ぶ選挙に無駄なお金や時間を割くのではなく、国民投票制度をきちんと構築して、選挙は4年に一回、その間の国民に意見を問うべき案件は国民投票で、という機動的な制度を導入してほしいものだ。

TPP交渉参加賛成。自分が参加するかもしれない組織には当然ルール作りから参加すべき。ルール作りの交渉に参加して、TPP自体に参加するか否かを決めればいいことで、ルール作りに参加しないで蚊帳の外にいては、TPPが完成したときに入ったほうがよいのか悪いのか判断材料がないだろうに。日本は凋落気味とはいえ、その経済規模は諸外国が無視できないもの。中国も日本も入らないTPPに存在意義があるのかどうか、日本がキャスティングボートを握っているともいえる。ルール作りに参加して「そんなこというなら脱退するもんね」という脅しを交渉のカードにして、日本にとってTPP参加が最も激変を伴わない形にするような交渉をする、難しいけどそれが日本にとって最も国益に沿っているのでは?

日本の政治家って、本当に不思議な存在。官僚も同様。日本が滅んでも、日本社会の中で自分の身分が安泰ならいいってか?それって井の中の蛙ってぇ~んじゃないっけ?

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2 コメント

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>nogaさま (keba)
2011-10-18 18:34:29
すみません、よ~わからんです・・・
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no way (noga)
2011-10-18 01:45:58
待ちの政治では、迅速な対応はできない。停滞気味である。

現実の内容は、「世の中は、、、、、」の内容であり、理想の内容は、「あるべき姿」の内容である。これは非現実である。
日本語には時制がなく、日本人は現実 (現在) と非現実 (過去・未来) の世界を独立させて並行して言い表すことが難しい。
非現実 (理想) に向かうための現実対応策が語れない。
現実から理想へと一足飛びに内容が飛ぶ。言霊の効果のようなものか。その過程が明確にされない。

時制を考慮することなく自分の思った内容を述べようとすると、現実肯定主義派と空理空論 (曲学阿世) 派のどちらかに分かれることになる。
これでは政治音痴は止まらない。
両者は話が合わない状態に陥り、議論ができない。そこで、悪い意味での数合わせで、民主的に、物事を決するしかないことを日本人は心得ている。
だから、大連立の構想には意味がある。

守旧派の世界は理想的ではないが、過不足なく成り立っている。革新派の世界は穴だらけで成り立たないことが多い。
安心と不信の背比べである。だから、政治家は静観が多く、意思決定には手間を取る。
静観には現在時制を働かせるだけで十分であるが、意思決定に至るには意思(未来時制の内容)の制作が必要になる。
意思の制作に未来時制が必要であるということは、自分が意思を作って示すことも他人から意思を受け取ることも難しいということになる。
つまり、社会全体が意思疎通を欠いた状態のままでとどまっているということである。
それで、勝手な解釈に近い以心伝心が貴重なものと考えられている。

時代に取り残されるのではないかという憂いが常に社会に漂っている。
だが、理想もなければ、それに向かって踏み出す力もない。
筋道を明らかにされることのない励みには閉塞感を伴う。玉砕戦法のようなものか。
だから、我々は耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ必要に迫られることになる。

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