新聞記者になりたい人のための入門講座

新聞記者は、読者に何を伝えようとするのか。地球の危機や、庶民の喜怒哀楽かもしれません。新聞記者のABCを考えましょう。

新聞への思い 3

2011年10月04日 | ジャーナリズム

 

 が国会を担当していた今から30年ほど前、永田町はロッキード事件にもかかわらず闇将軍として勢力を振るう田中角栄元首相と田中派の動向が焦点だった。政治部一色の感が強かった永田町で、金権腐敗政治の払拭を旗印にする国会記者クラブの社会部記者たちは、派閥や政権のキーパーソンから情報を集めて回り、まさに右往左往しながら日々の新聞記事を書いていた。

 当時、国会記者クラブの社会部記者たちは、政治部の場である首相官邸、自民党など各政党の主な記者クラブに形式的には加盟していた。普段、それらの記者クラブで取材することはなかったが、ロッキード事件の動きがあったり、内閣発足で新大臣が誕生し記者会見をする場合などは出向いて取材し、しかも記者席の最前列を占めることが多かった。どの政権も、田中元首相と田中派の影響を受けていたからだ。

新大臣がマイクの前に座ると、必ずと言っていいほど社会部記者から「刑事事件の被告の影響を受けた内閣をどう思うか?」などの質問が飛んだ。政治部記者から、このような質問はあまり出ない。社会部記者に任せておけばいい、との判断だったのか。われわれ社会部記者は、政治部記者がこの手の質問をすると政治家に嫌がられる、特に田中派では相手にされなくなるから、敢えて質問は避けていると考えていた。事実、国会記者クラブに記者を常駐させていないある民放は、私が質問した新大臣の答えを、私の声をカットして放映したことがあった。

当時、国会記者クラブの社会部記者と首相が年1回、首相官邸(旧)の小食堂で昼食のカレーライスを食べ、政治状況を聞きながら懇談する慣行があった。私が国会記者クラブの幹事をしていたとき、誰からともなく「首相に社会部らしい贈り物をしよう」と言い出し、相談の結果、その年に流行っていた「なめ猫」の縫いぐるみを贈ることになった。私が銀座の三越百貨店の玩具売り場に買いに行き、昼食後、首相官邸中庭で「今、世間で流行っているものです」と前口上を述べ、主の鈴木善幸首相に手渡した。田中元首相の影響を強く受けていると言われていた鈴木首相は「何か、なめられているみたいだな」と笑いながら受け取り、私は「お孫さんにでもあげてください」と言った。「なめ猫」は可愛い猫が暴走族のような服を着て鉢巻をしたキャラクターで当時、大変な人気があった。

世の中は、自民党政権から民主党政権の時代に変わった。だが、「政治とカネ」の問題ばかりはどの政権になっても変わりなく相次いでいる。そうである以上、以前に増して社会部記者の存在感は強まることがあっても、弱まることはない。昔のことを思い出しながら、政治部、社会部を問わず、金権腐敗だけでなくあらゆる問題で、新聞が国民の視点で政治を監視してほしいと願わずにはいられない。

(写真:夏の明け方、鹿児島・桜島に日が昇る。城山の頂上にあるホテルから見て、荘厳な気持ちになった。私の風景写真アルバムから)



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