新聞記者になりたい人のための入門講座

新聞記者は、読者に何を伝えようとするのか。地球の危機や、庶民の喜怒哀楽かもしれません。新聞記者のABCを考えましょう。

記事、文章を書くための基本13

2011年02月28日 | ジャーナリズム
 ●再確認をーー文章を書く原則

 学生の作品を紹介しながら文章の書き方を説明してきましたが、その原則を再確認しておきましょう。
 ☆文章の正しい呼吸法とも言うべき「起承転結」、あるいは「序論・本論・結論」を強く意識しよう。
 ☆文章は、書き出しからいきなり本論(必ずしも結論ではない)に入ろう。書き出しに、余計な解説や能書きはいらない。書き出しで読者の関心を集め、自分が書く文章を全部読んでもらうためです。どんなに内容が優れていても、読者に読んでもらえなければ意味がありません。1980年8月に起きた日航ジャンボ旅客機墜落事故を例に①具体的な動き、細かい描写②言葉③状況④解説・理屈――のいずれかから書き始める方法があると説明しました。①と②に動きがあり、分かりやすいとも強調しました。
 ☆文章は具体的に書きましょう。抽象的な題ほど、エピソードや身近な体験、読書などから例をひき、事実をもとに読者に分かりやすく書く必要があります。自分の内面だけに閉じこもり、独り善がりの文章を書かないようにすべきです。新聞記者の世界で具体的に書くには、「5W1H」を大切にすべきだと言われます。WHEN(いつ)、WHO(誰が)、WHERE(どこで)、WHAT(何を)、WHY(なぜ)、HOW(どのように)です。余りに細かいことは不必要かもしれませんが、5W1Hは具体性を求める象徴的な表現です。
 ☆強調したいのは、文章のダイエットです。「…という」「…思う」「…そして」が文章の三大ぜい肉です。余計な表記を可能な限り削ぎ落とすのが、分かりやすい簡潔な文章を書く極意です。これ以外にも、ただ惰性で同じ表現を繰り返すことがないように注意しましょう。文章は削りに始まり、削りに終わると思い込むことが必要です。
 
 この他にも原則とすべきことがあります。列記しておきますので、是非、実行してみてください。

 ☆文章を書き出す前に、構想の時間を必ず作りましょう。構想で、例えば「起承転結」の各部分の簡単な内容まで考えられれば最高です。書き終えた後、推敲の時間を設けよましょう。誤字脱字はないか、「起承転結」は決まっているかなどを確認するのです。

 ☆誤字脱字をなくそう。そのためには、常用漢字を完全にマスターすることが必要です。例えば、常用漢字の世界で「寂しい」「うれしい」と書くところを、「淋しい」「嬉しい」と書く人が結構います。常用漢字は新聞などで普通に用いられる漢字で、政府は時代に合わせて増やす傾向にあります。さまざまな漢字の用法がありますが、常用漢字をもとに文章を書くのが一般的です。
 
 ☆センテンスは、できるだけ短く書こう。長いと、分かりにくくなる場合が多い。「…だが、…」という文章で長くなる場合、途中で一回「。」で切り、「しかし…」でつないで文章を分割した方がいい。

 ☆文章は自分の思い、感性、思想を読み手に伝える手段です。言葉もその重要な手段の一つですが、文章には言葉にはない奥行きの深さがあります。文章の持つ特質を考えてください。

 ☆その意味で、私は「文は人なり」と考えています。文章は書けば書くほど、技術的にはそれなりにうまくなります。問題は書く内容です。出された題に気持ちがフィットすれば、うまく書く人は結構います。しかし、内容が伴はないケースが目立ちます。読書を重ね、人生経験を積み、人間を磨く努力を続けることがいい文章を書く最大のポイントです。

記事、文章を書くための基本12

2011年02月27日 | ジャーナリズム
 ●作品「アジアと日本」――歴史認識をしっかり

 前に紹介した「アジアと日本」の2作品は、私が1読者として選んだ優れた作品であって、その内容についてはさまざまな意見があるでしょう。尖閣諸島沖での中国漁船体当たり事件に対しては、日本政府の弱腰をなじり、反中国感情を露わにする人々、組織があるのは事実です。また、ブータンのような経済成長主義を放棄した姿に共鳴する人々とは相容れない企業、組織もあるでしょう。文章はうまく書けていても、その内容が評価されないケースがあり得ます。企業にはそれなりに理由があるのかもしれません。企業のスタンスに合わせて自分の意見とは違うことを書く――こんなことはしたくありませんが、就職試験などでは自分が志望する企業、組織がどのような価値観を持っているか十分、検討してから受験する必要があります。
 アジアと日本を考えるとき、われわれ日本人がどうしても避けて通れない難問があります。それは第2次世界大戦が終わるまで、日本が中国、韓国をはじめ多くのアジアの国々を支配し、それらの国民に多大な被害を与えたことです。日本が広島、長崎への米国による原爆投下を忘れないように、同胞を殺され軍靴で踏みにじられたそれらの国々は、日本の行為を決して忘れません。人、組織によっては「日本は侵略していない」などと反論するケースもあるようですが、日本がアジアで犯した行為を誤ちとしてきちんと歴史認識する必要があるでしょう。
 この意味で、学生が正しく書いた作品がありますので、読んでみてください。


    アジアと日本

 私たちが書いている漢字はその昔、中国から来たものである。最近では、富裕層の増えた中国から日本への旅行者も多く、街でもしばしば中国語を耳にする。今でこそ日本と中国は穏便に交流できているが、過去に目を向けると、日本は中国に対してひどいことをしていた。本当に歩み寄るために、私たちは皆、日本の過去の罪をよく考えなければならない。                                   
 先日、授業の課題のため、「満州国」について調べた。高校の歴史の時間にも、満州については学んだつもりでいたが、十分な認識ではなかった。このとき初めて、満州の政策を進めていた関東軍の横暴さを知った。日中戦争がはじまると、関東軍は満州に神社を立て、日本の神を信仰することを強いた。満州の人々の思いを無視して、日本に都合の良い国を作り上げようとした。満州および中国の人々が日本のせいで流した血は、どれほどだろうか。誰しも、自分に都合の悪いことは語りたがらないし、早く忘れたいと思う。しかし、国同士の関係が、そうであってはいけない。犯した罪が、軽くなることは決してない。過去の過ちを、国家も国民も忘れてはいけない。
 日本や中国、台湾、韓国などの国は、地図の上では「アジア」とくくられる。文化の共通点も多くある。しかし、それぞれの国に歴史があり、その国の事情がある。そのことを尊重し合わなければ、良い関係は築けない。アジアのくくりの中で、近くにある国同士だからこそ、良いところも、悪いところも見えてくる。けれども、それを自国の偏見だけで考えてはいけない。その国の事情や、また、自国間との歴史を、考えてみるべきである。 
 現在、中国の経済発展は世界でも群を抜いている。日本とのつながりも、ますます増えるだろう。これからの関係も大切だが、誠実に向き合うために、過去の関係も顧みなければならない。      


    アジアの中の日本

 キムチ、チジミ、「冬のソナタ」など最近、日本では韓流ブームである。二、三年前までは隣の国でどんなものを食べているのか、どんな映画や音楽が流行し、どんなスターがいるのか全く知らなかった。隣国同士で交流が活発になったのは、喜ばしいことだ。しかし、ただブームに乗るのではなく、どうして今まで交流が盛んでなかったのか考える必要がある。                        
 日本は昔、韓国を植民地にしていた。人々の土地やたくさんの命を奪った。韓国語を禁じ、日本語を話すように強制した。日本に連れて来られ、在日韓国人となった人も多い。  
 私の中学時代の友人に、在日三世の子がいた。韓国人であることを隠さず、韓国名のまま学校に通っていた。そのため、小学校の時はいじめに遭ったそうだ。生れたときから日本で暮らし、日本語を話す。国籍だけが韓国。一度も韓国に行ったことがないのに、韓国人と言われることに、とても悔しい思いをすることがあったと彼女は言った。いじめられないように、日本名で学校に行くことや韓国人学校へ行く方法もあった。韓国人であることを誇りに思っているから、隠さない。この言葉を聞いた時、彼女のとても強い意志を感じた。
 韓国の人たちは、韓流ブームをどう思っているのだろうか。日本人は昔のことは昔のことだから、今の私たちには関係ない。近いし、ブランド物が安く買えるなどの安易な考えで、気軽に旅行してしまっている。本当にいいのだろうか。友人は韓国に旅行した時に、道や店で舌打ちされたと言っていた。傷つけた方は忘れてしまっても、傷つけられた人はずっと忘れない。韓国の人の多くは、まだ日本を許していない。中国もまた同じである。日本は過去の過ちをきちんと謝罪し、許してもらってからアジア各国と交流していくべきだ。
 

 いずれの作品も、中国での満州国建国、朝鮮半島の植民地支配を振り返り、加害者としての日本への反省を強く求めています。学校での歴史教育の影響が強くにじみ出た作品ですが、普通の日本人なら誰もが共鳴する歴史認識です。筆者の真面目に歴史を学んだ姿勢がくみ取れます。この認識をもとに、アジアと日本の融和を訴える前向きな作品があります。


    アジアの中の日本

 日本にとって中国、韓国、北朝鮮などとの外交問題は、重要な政策の一つになっている。去年四月、中国で大規模な反日デモが行われた。また、韓国のノ・ムヒョン大統領は小泉首相の靖国神社参拝に反発し、訪日を見送った。北朝鮮の拉致問題についても、解決の糸口が見つからない。このように日本とアジア諸国との関係は良好ではなく、平行線の一途をたどっている。これらの問題には、お互いの歴史認識の違いが根源にあるのではないか。
 中国で反日デモが発生した際、日本の記者に中国人留学生がインタビューを受けていた。留学生は、次のようなコメントをした。「私たちは、日本人に不満があるわけではない。日本政府に不満がある」「日本人は、過去の歴史を十分に理解していないのではないか」。                           
 歴史認識は、両国間で大きな違いがある。確かに私たちは、過去の歴史を十分に正しく理解していないのかもしれない。というよりも、六十数年前に起こった戦争を、過去の問題ととらえているのではないだろうか。私自身も、高校の歴史の授業で「韓国併合」や「南京大虐殺」といった事件を習ってはいたが、それらは教科書の中の出来事のように感じていた。私たちは、もっと過去のことを積極的に知ろうとしなければいけないのかもしれない。しかし、ただ日本人が過去を反省し、謝罪の意を示し続ければ良いのだろうか。                
 ある韓国人女優が、インタビューの中で日本と韓国について語っていたことを思い出す。「日本と韓国には、政治上では複雑な問題があると思う。だけど、文化にはそういった問題は関係ない。私は日本と韓国の文化が、アジアの文化として世界に発信していってほしいと願っている」。国と国との関係は、根本は人と人との関係だと思う。去年、日本と韓国は国交正常化四十年を迎え、両国で多くの交流事業が行われた。こういった交流が途絶えることなく続くことを私も願っている。                                   


    アジアの中の日本

 私は欧米人に比べ、アジア系と呼ばれる人たちの友人が多くいる。韓国、中国、台湾と国はさまざまであるが、黄色人種や漢字の文化があり、無意識のうちに親近感を持っていたのかもしれない。           
 特に、大学に入学してから韓国語の勉強を始めることで、韓国人から見た日本人の印象を聞く機会が増えた。韓国に住んでいる同年代の友達は、比較的悪い印象はなく、日本のアニメやドラマが楽しいと受け入れていた。渋谷を案内した時には、ドラマでしか見たことのない風景を目の当たりにすることができ、本当に喜んでいた。食文化に関しても、天ぷらやカレー、お寿司といった日本独特のものに関して多くの興味を示していた。
 しかし、皆が皆、そのような気持ちというわけではない。特に年配の人にとっては、日本はまだまだ心を許すことのできない国としてとらえられているようである。友達の一人には、おばあさんが日本嫌いなため、見たいドラマは学校など外でしか見ることができないと言っていた。また、ホームステイをした時に、友達と両親には温かく迎えられたが、おばあさんには、分からない韓国語で説教を受けたという友人もいた。
 原因として、植民地問題など過去の両国の関係が大きいようである。最近は、韓流ブームや日韓友情年のイベントが催されたりと緩和されつつあるが、背後では竹島問題や靖国神社参拝の問題など打ち解けてない部分は多い。靖国神社に関しては、韓国だけでなく中国でも関係を悪化させる要因になっていた。
 韓国では日本文化を少しずつ解禁してはいるが、ドラマはインターネット上でしか見ることができないなど、完全には受け入れられていない。近くて一番遠い国と言われる韓国を通し、私が架け橋となり、アジアをはじめ世界に活躍できる心の国境のない日本にしたい。


 最後の作品で「私が架け橋になる」と筆者は書いています。このような文章を見ると、古い年代ほどうれしくなります。

記事、文章を書くための基本11

2011年02月24日 | ジャーナリズム
 
社会・時事問題を積極的に考え、文章にしよう――作品から

 就職試験などで社会的なテーマ、時事問題を文章にまとめる場合、「小論文」と呼ばれます。小論文は就活、あるいは大学入試などですっかり定着していますが、文章を書くことにそれほど違いがあるわけではありません。作文よりも、テーマに対する筆者のオピニオンをメッセージとして発する必要があるだけです。その点を意識さえしていれば、自由自在に何を書いてもいいのです。
 私は受講学生に、必ずといっていいほど書くことを求めてきた「題」があります。それは「アジアと日本」です。中国、インドなどの経済発展は目覚ましく、また、北朝鮮、ミャンマーなど不安定な要素もあり、日本は無関係ではありません。日本経済や企業にも多大な影響があり、就職戦線にも直結しています。それだけに、しっかりと現状を認識している学生は多くいました。「アジアと日本」をはじめ、小論文と呼ばれる作品のいくつかを紹介します。


    アジアと日本

 日本は、アジアに属している。アジアの中でも、境界線が隣国と陸地で接していない島国だ。一見、領土問題はないように思えるが、そうではない。ロシアとの北方領土問題や、今、話題となっている中国との尖閣諸島問題などがある。   (起)
 二〇一○年九月七日、尖閣諸島をめぐって事件が起きた。尖閣諸島付近をパトロールしていた海上保安庁の巡視船に、中国の漁船が衝突してきたのである。現在、中国漁船の船長は処分保留のまま中国へ返されたが、その後の措置はまだ取られていない。しばらくして、日本では漁船衝突映像の流出をめぐっても、大きな問題となっている。(承)
 そもそも、なぜ、このような領土問題が起こったのだろうか。日本とアメリカとの条約では、尖閣諸島は日本の領土であると認められている。しかし、中国側でも、中国固有の領土として考えられており、今回の事件に発展したと考えられる。尖閣諸島付近には、油田などの貴重な資源が埋まっていることからも、中国としては手に入れたい領土である。          
 中国は近年、北京オリンピックや上海万博の開催地となり、産業の面でも大きく成長している。いわゆる、日本の高度経済成長期である。貿易面でも、日本より中国が注目されるようにもなっている。日中関係は今後、どうなっていくのだろうか。                                          (転)
 中国が成長し世界に注目されているからといっても、尖閣諸島は日本の領土であるとはっきりと主張する必要がある。日本の対応として良くなかったことは、証拠となる衝突映像をすぐに公開しなかったことと、船長を処分保留のまま返してしまったことである。この背景には、日中関係悪化の懸念や、中国からの圧力などが予想される。同じアジアの国として協力できる関係が望ましいが、まずは一日も早くこの問題が解決することを願っている。    (結)

 昨年、後期の講座を受けていた学生が書いた作品です。尖閣諸島をめぐる紛争は日本・中国間に大きな波紋を投げかけ、菅直人内閣の外交方針を根底から揺るがす問題になりました。この筆者はロシアと平行線を描く北方領土の帰属問題に触れながら、アジアで日本を上回る経済発展を続ける中国と早く問題解決するように求めています。また、日本政府の問題点として、衝突した中国人船長を処分保留のまま釈放したことと、衝突した映像をすぐに公開しなかったこととはっきり指摘しています。事件が起きてさまざまな見解が入り乱れているときに、自分の意見をこのようにまとめることが出来たのは適切な評価を得るでしょう。ただ、中国が海底油田など海洋資源の獲得を目指し、尖閣諸島のある東シナ海だけでなく南シナ海でも威圧行動を続け、関係国とトラブルを繰り返しているとの視点を持つ必要があります。
 一方、日本・中国間の大問題とは別の角度から、日本とアジアの新しい在り方をアピールする学生もいました。


    アジアと日本

 経済において、日本はアジアの他の国より先進的だ。最近でこそ、中国に追い抜かれてはいるが、アジア経済の見本となっているのは日本だ。しかし、経済の発展が国民に幸せをもたらすのかと考えた時、日本の現状を見れば答えは「ノー」だと分かる。                                (起)
 今、日本は不況だ。発展し続けた経済は行き詰まり、減給やリストラが相次いでいる。大学の先輩方を見ていても、就活に非常に苦しんでいることが分かる。環境的な面から見ると、一時よりは良くなったが、いまだに残る公害問題や、建物を建てるための森林伐採など、経済発展がもたらすものは大きい。果たして、国民が幸せになる術があるのだろうか。                                      (承)
 同じアジアに、ブータンという国がある。ここの前国王は「国民総幸福量」を唱え、それが現国王にも受け継がれている。「国民総幸福量」とは、簡単に言えば経済発展よりも国民に幸福を、とした考えだ。そのため、ブータンには信号機がない。人間が信号機の代わりをしている。これは、もともとそういう職業の人がいて、信号機を輸入すると、その人たちの仕事がなくなってしまうので輸入しないという国王の考えだ。また、木を一本切ったら二本植えなくてはならないと、法律で決まっている。一度、テレビでブータンの人々の暮らしを見たが、皆とても幸せそうだった。                                            (転)
 経済発展が悪いとは言わない。それは、たくさんの幸福をもたらすだろう。しかし、同時に、大切なことを忘れがちになってしまう。その大切なことを見失ってしまったのが、今の日本なのではないだろうか。人々の幸せを考えながら、経済を発展させる。当たり前だが、大切なことを、アジア経済の中でも先進的でないブータンから多く学べるのではないだろうか。                                  (結)

 経済発展万能、経済成長至上主義の考え方が当然の日本、中国をはじめアジア諸国が忘れてしまったこと、それは国民の幸せではないか? そのように筆者の主張が伝わります。この文章から、企業の収益、成長を求め中国など海外へ進出、安い労働力に活路を見出し、逆にその反動で日本国内での雇用数が減り、派遣社員やフリーター、ニートなどの増加に拍車がかかっている現状を憂えるのは私だけではありません。授業で学んだのか、自分の努力で知ったのかは分かりませんが、アジアの片隅でひっそり生きるブータンの人々の姿が目に映るようで、大変、ユニークな作品になっています。マスコミ、出版などの世界では、こうしたメッセージが好感を持たれます。

記事、文章を書くための基本10

2011年02月20日 | ジャーナリズム

 ●欠かせないことーー新聞のコラムを毎日1回、書き写そう

 社会的、時事的問題を文章にまとめるとき、小論文としての書き方が求められると説明しました。「起承転結」など文章全体に適用すべき原則は当然、必要であることは言うまでもありません。これに加えて、世の中の動き、つまり政治・経済・海外情勢などについて豊富な知識が求められます。社会問題に対する鋭い問題意識、時事問題に対する素早い反応なくして、まともな小論文はあり得ないからです。目の前に突き付けられた困難な問題を解決するために、自分なりに考えたうえでその方法、手段をメッセージとして発信しなければなりません。新聞やテレビのニュースに注意すべきことは当然です。大きく、困難な問題であればあるほど考えを集中し、自分なりのメッセージを出してほしいのです。

 人間誰もが、それぞれの性格と同じように自ら書く文章にも癖というか、型のようなものを持っています。成長期にある若者たちも同じです。特に文章に一種の自信を持っている人はその型にこだわり、自分だけの独りよがりの世界に閉じこもる傾向があります。その文章が他人に分かりやすく、説得力があるのならいいでしょう。しかし、多くの場合、難解な文章になってしまいます。
 社会のなかで、他人に理解してもらい、可能なら共感もしてもらえる文章を書くには、その型を1回、壊して再構築する必要があります。そのため、最初に述べた豊富な社会的、時事的知識を得るためにも、私はどの新聞でもいいので、一面のコラムを毎日一回、書き写すことを勧めます。
 なぜ、新聞のコラムかと言えば、毎日新聞の「余録」、朝日新聞の「天声人語」、読売新聞の「編集手帳」など看板コラムは、その新聞を代表する書き手の新聞記者が担当し、読み応えのある記事だからです。分かりやすい文章の鉄則を守ってもいます。

 もう一つ、大切なことがあります。これらのコラムは筆者の書名がなく、記事のなかに「私」など一人称の表記がまずないということです。新聞の署名入り記事の場合、一人称で書く傾向は強まっていますが、新聞の原則はあくまで客観報道です。事実関係を取材、調査し、それをもとに可能な限り客観的に書く必要があります。これは、新聞記者にだけ求められる姿勢ではありません。

 分かりやすい文章を書くには、自己紹介的な文章を除きできるだけ「私」を使わず、客観的な文章を書く練習をするのです。それには、新聞の一面コラムを転記する方法が最も適しています。新聞ですから、その時々の事件や話題について書いています。時事的な知識も増え、話題が豊富になるメリットもあります。その分、文章を書く素材が増えていきます。

 それでは、試しに2008(平成20)年3月1日付毎日新聞の1面コラム「余録」を転記してみましょう。
 

 「 飛ばないで旦那のクビとスギ花粉」は、昨年のニチバン花粉症川柳コンテストの最優秀賞となった花粉デビューさんの句だ。「ケンカして夫のマスクを外に干し!/青空」「泣かないで!全部外せばママだから/グリーンライト」も優秀賞と入選作である▲花粉症といえば、日本のスギ花粉とともに英国の牧草地に生えるカモガヤによるものも有名だ。19世紀に農民の間で「枯草熱」として知られたこのカモガヤの花粉症は、英国が七つの海を制する海洋覇権国となった代償だったといわれる▲というのもかつて国土に広がっていたカシやナラなどの森は、軍艦1隻に2000本以上の木材が必要といわれる艦隊建設で牧草地になってしまったからだ。国土の45㌫まで増えた牧草地にはカモガヤが植えられ、花粉症をもたらしたのだ▲奥野修司さんの「花粉症は環境問題である」(文春新書)はこうした例を引き、自然の摂理に反して単一植物で広大な土地を覆ってしまうような人為が、花粉症となって人間にはね返ったのだと指摘している。いうまでもなく戦後日本が国策として行ったスギ植林への批判である▲東日本では昨季の1・5~3倍、西日本では昨年並みという今年のスギ・ヒノキ花粉飛散予測である。飛び始めは平年より遅れたが、関東以西ではこの週末から来週にかけ各地で一気に増える見通しだ▼「お出かけは雨天決行晴れ中止/向日葵」も川柳入選作だ。本来は生命のもえ出る喜びの春である。それを国民の2割もが憂うつに過ごすはめになったのは国の過ちのせいだ。荒廃の進む森林の再生を、一年でも早い花粉症解消の方向へ進めるのは国の責務だろう。 

 コラムの形式で文章の区切りに「▼」が多用されており、このままでは分かりにくいので、分析しやすいように編集すると…

 飛ばないで旦那のクビとスギ花粉」は昨年のニチバン花粉症川柳コンテストの最優秀賞となった花粉デビューさんの句だ。「ケンカして夫のマスクを外に干し!/青空」「泣かないで!全部外せばママだから/グリーンライト」も優秀賞と入選作である。                                       (起)
  花粉症といえば、日本のスギ花粉とともに英国の牧草地に生えるカモガヤによるものも有名だ。19世紀に農民の間で「枯草熱」として知られたこのカモガヤの花粉症は、英国が七つの海を制する海洋覇権国となった代償だったといわれる。というのもかつて国土に広がっていたカシやナラなどの森は、軍艦1隻に2000本以上の木材が必要といわれる艦隊建設で牧草地になってしまったからだ。国土の45㌫まで増えた牧草地にはカモガヤが植えられ、花粉症をもたらしたのだ。奥野修司さんの「花粉症は環境問題である」(文春新書)はこうした例を引き、自然の摂理に反して単一植物で広大な土地を覆ってしまうような人為が、花粉症となって人間にはね返ったのだと指摘している。いうまでもなく戦後日本が国策として行ったスギ植林への批判である。 (承)
 東日本では昨季の1・5~3倍、西日本では昨年並みという今年のスギ・ヒノキ花粉飛散予測である。飛び始めは平年より遅れたが、関東以西ではこの週末から来週にかけ各地で一気に増える見通しだ。                                  (転)
 「お出かけは雨天決行晴れ中止/向日葵」も川柳入選作だ。本来は生命のもえ出る喜びの春である。それを国民の2割もが憂うつに過ごすはめになったのは国の過ちのせいだ。荒廃の進む森林の再生を、一年でも早い花粉症解消の方向へ進めるのは国の責務だろう。     (結)


 読んで分かる通り、「起承転結」がはっきりしています。また、「起」が川柳の句で書き始められており、親しみやすい。これに呼応するように「結」でも川柳の句を紹介し、国に花粉症解消の対策を求めています。少しでも多くの読者にこのコラムを読んでもらいたい、筆者の努力と工夫が忍ばれます。また、「承」「転」では、英国の花粉症が人災であることを強調し、今年の日本の花粉症を予測するなど、それほど長くない記事に情報がぎっしり詰まっています。このようなコラムを毎日一回、転記する努力を続ければ、自然に文章を書く感触が身に付き、知識も膨らんでいくに違いありません。文章を書く練習をする一方で是非、あまり長くないコラムの書き写しを続けることを提唱します。

記事、文章を書くための基本9

2011年02月19日 | ジャーナリズム
小論文と作文

 これまで、社会で通用する文章の書き方として私なりの流儀、方法を述べてきました。これを原則にすれば、誰もが読みやすく、分かりやすい文章を書けるはずです。就職試験でもそうです。採用する側は決して名文を求めているのではなく、受験者の性格、意見、感性を見極め、会社や組織でともに仕事をできるかどうか判断しようとしているからです。
 就職活動、大学入試などの世界で、文章を書かせる試験として「小論文」「作文」があるとされています。しかし、社会では「論文」と呼ぶことはあっても、「小論文」とはあまり言いません。おそらく、短く簡潔な論文の意味で小論文と使っているのでしょう。企業や組織が試験で文章を求める際も「小論文として書け」「作文として書け」と指定したケースを私は聞いたことがありません。あくまで、筆者が書こうとする文章の内容によって、小論文的文章と作文的文章があり得ると考えた方がいいでしょう。就活の世界で、便宜的に使われている言葉として私は考えています。そのような視点に立てば、理解しやすいのではないでしょうか。

 ●小論文と作文の違いを考えよう

 就職試験では、「小論文」「作文」といずれかを指定して出題されることはまずないと指摘しました。作文は内容が題に合い、字数が条件に合っていれば文章の組み立て方や中身は自由で、エッセイ的な文章でも構いません。
 だが、時事的問題や社会的なテーマが題の場合、論文らしい書き方が求められます。小論文は作文の一種であっても、それなりのルールがあります。基本的には序論、本論、結論の三段構成で書くのが普通とされています。①仮説または問題提起―②それについての例証や論理を提示―③最後にそれによって証明される結論で締めくくる、つまり、結論を導き出すのが小論文とも言えます。
 しかし、私は「小論文も作文も原則は同じ」と考えています。論文と言うと、抽象的な専門用語や堅い表現を使い、最後に誰もが納得するような立派な結論を書かなければならないように考えがちですが、大げさに考えずに肩の力を抜いて書けばいいのです。また、「起承転結」の四段構成で最後に結論を意識して書いてもいいのです。
 例えば、「戦争」について書く場合、大上段から「戦争は人類の悲劇」として一般的によく言われることを書くよりも、修学旅行で行った広島、沖縄などの印象や、祖父母から聞いた話などを具体的に書き、「戦争は二度と起こしてほしくない」と軽く流すように終えた方がいい。戦争を漠然ととらえ、世間で言われていることを抽象的に書いたのでは、読者の関心を引くのに無理があります。「イラク戦争」という題なら時事的な問題で小論文として書く、つまり米国のやり方に賛成か反対か、結論を明確に書くことが求められますが、「戦争」ならイラク戦争も含めて小論文、あるいは作文のどちらでも書けることも考えてほしい。
 小論文で大層な結論を書いても、採用担当者はそのような結果を求めているわけではありません。求めているのは作文同様、筆者の人間性であり、難しい言葉を並べて完ぺきな論理を書く必要はありません。「戦争」で説明した通り、仮に「地球と環境」の題で出題された場合、ポイ捨てのゴミ回収に励む自分を具体的に書いた方がよっぽどいい。地道にこつこつと、環境浄化に取り組む姿が読み取れます。構成や主張はありきたりなものであっても、筆者の体験などを加え、採用担当者に人間性を印象づける方が重要なのです。出題された題が抽象的であればあるほど、小論文、作文のどちらでも書けることを強く意識しておきましょう。
 この点を理解するために、学生の2作品を紹介します。題は極めて抽象的な「誓い」です。


     誓い

 「幸せな家庭を築くことを誓いますか」。
 神聖な教会で、叔父の結婚式が行われた。今年、晴れて叔父が結婚した。私は初めて結婚式に参列し、夫婦の誓いの場を目の当たりにした。小さい教会であったが、牧師の言葉に続いて誓いを交わす場面はとても輝かしく、胸に響いた。同時に、叔父が新たな家庭を作り、遠くに行ってしまうような感じがして、少し胸が苦しかった。
  私にとって初めての結婚式は、親族だけが集まるとても小さな結婚式だった。牧師が新たに夫婦となる二人の前に立ち、誓いの言葉を唱えるのを、私たちは温かく見守っていた。夫婦の絆、温かい家庭、助け合いの精神、どれも私に向けて言われたわけではないのに、一つ一つの言葉が私の胸を動かした。この時、初めて誓いの意味を知った。何と表現したらいいのか分からないが、それは私にとって、とても重いものであった。
 家庭とは、一体、何なのだろうか。私は、それはとても強い絆で結ばれているものだと思う。私は四人家族だが、家族といると、とても落ち着く。友達といる時とは違う、とても不思議な気持ちを抱く。外では明るく振る舞い、友達に好かれようと努力している私が、家庭の中では感情の変化が激しくなる。素の自分と言っていいのだろうか、私はいつもより素直に気持ちを表現できる気がする。暗い時には無口になる。家庭は、切っても切っても切れない糸でつながっている、私にとってとても特別な居場所である。          
 家族のつながりが誓われた結婚式は、私に誓いの意味を考えさせてくれた。すべての新郎新婦は結婚式を始まりとして、新たに夫婦ができあがる。家族の強いつながりを一生崩さないと結婚式で誓った夫婦は、それを機に「人生を、この人と一緒に歩んでいこう」と決心する。誓いは、それからの人生を保証する、幸せへの手がかりなのかもしれない。


     誓い

 現在も、世界のたくさんの国や地域で戦争や紛争が続いている。最近で思い出されるのが、アメリカで発生した同時多発テロとその後のイラク戦争だ。アメリカから多くの軍人が派遣され、アメリカ人だけではなく、イラク人にもたくさんの死者が出た。被害者の家族の話をテレビで見るたびに、家族の悲しみが伝わってくる。そんなテレビやニュースを見るたびに、日本は他国と比べ何と平和な国だろうと感じずにはいられない。
 日本は第二次世界大戦後、日本国憲法を制定した。そのなかに戦争の放棄が決められているからこそ、日本は第二次世界大戦後、大きな戦争に巻き込まれることなく、平和な日々を過ごすことができた。日本は、世界で唯一の被爆国である。その経験があるから、日本は戦争をしないと憲法で誓った。この誓いがある限り、日本は今後、戦争に巻き込まれることはないと思っていたが、そんなに簡単な問題ではなかった。
 今、憲法の改正が問題になっている。戦争放棄を定めた憲法第九条が、改正されようとしている。憲法の内容を変えてしまえば、考え方も変わる。考え方が変われば、戦争放棄の考えも変わってしまうかもしれない。この問題は賛否両論があるため、話が進んでいない。しかし、戦争放棄を続けるためにも、私は憲法第九条をそのまま残すべきだと思う。
日本は世界で唯一の被爆国として、戦争放棄を守っていく義務がある。そのためにも、憲法第九条を改正することなく、今のまま戦争放棄の誓いを守っていくべきだ。日本がリーダーとなり、世界平和のために積極的に活動していかなくてはいけない。争いを完全になくすことは、できないかもしれない。しかし、争いが少なくなるような活動を、憲法で誓った戦争放棄のもとで、積極的に取り組んでいくことが世界平和のためには必要だ。
 

 最初の作品は叔父の結婚式に出席し、教会での誓いの言葉の意味をかみしめるように書いています。家庭、家族のつながりに思いを込めていても結論らしい表現はなく、就職試験的には作文と言っていいでしょう。私には、むしろ結婚と家庭を考える若い女性ならではのエッセイの印象があります。
 一方、後の作品は日本にとって重大なテーマである憲法改正問題を取り上げており、社会的、時事的な問題を小論文にまとめています。戦争放棄の誓いを定めた第九条を守り、日本は世界平和のために努力すべきだと結論ではっきり述べており、筆者の主張がはっきり伝わります。「誓い」のように抽象的な題では、書くテーマは無限にあります。ただ、この2作品の筆者がそれぞれ作文、小論文を強く意識してテーマを選んで書いたかどうかは疑問です。自分にフィットした話題を書いた結果、作文、小論文のスタイルになったと考えた方がいいかもしれません。実際の就職試験では、受験する会社、組織によって求める文章のスタイルが異なる場合がありますので、よく研究してください。