3月末、新聞で初任地・水戸の偕楽園で梅祭り始まるのニュースを読んで、支局員3年生の時、書いた記事を思い出した。梅まつりの話ではない。以前、私が書いた梅まつりの原稿を、書き出しで「梅は3分、人は満開」とズバリ書き直して表現した支局デスクの思い出だ。「駆け足母さん」の語句を読んで、読者は何を連想するだろうか。
茨城県政記者になっていた私に、5月の「母の日」を前にしたある日、そのデスク(次長)は「『母の日』の県版に、ふさわしい話題ものの記事を書いてくれるかな」と注文を付けてきた。広い意味で水戸市政も県政に含まれると考え、私は市の福祉事務所を訪ね、「母の日」に記事として取り上げるのにふさわしいお母さんを紹介してくれるように頼んだ。そこで紹介されたのが、交通事故で夫を失い、小学生以下の子供4人か5人を懸命に育てて働きながら毎日を送っているお母さんだった。
早速、私はその家庭を訪ね、取材に入った。すぐに家庭に招き入れられ、お母さんの話を聞いていると、狭い家を幼い子供たちは走り回り、それを追いかけるお母さんは「危ないでしょっ!」と後を追う。そうかと思うと仕事から帰ってまだ間もないのに、仕事着のまま夕飯の支度に入り、合間を縫って洗濯ものを洗濯機に入れた。「母の日」といっても、カーネーションの花束をプレゼントするのに子供たちはまだまだ幼い。私は夕食を皆と一緒にご馳走になって、「新聞の記事でこのお母さんを励まそう」と支局に帰って、徹夜でそのお母さんの奮闘ぶりを微に入り細に入り原稿を書いた。
翌日、原稿をデスクに渡すと、デスクは丹念に読んで少し考え、サラサラっと原稿の前文に「駆け足母さん」と書き込み、前文から本文へお母さんの頑張りぶりを続けた。
「母の日」の当日、朝刊の茨城版に「頑張る 駆け足母さん」と大きな見出しが躍る私のトップ記事が掲載された。どんなに詳しく丁寧に書いても、読者に伝えたいことをズバリと簡潔に分かりやすく書かなくては意味がない。読者の気持ちを奮い立て、興味を持ってもらわねばならない。私はこの記事で、そのことをいやというほど思い知らされた。他紙の女性記者から、「『駆け足母さん』の記事、とてもよかった」と褒められうれしかった。
そのデスクは、愛称をヨシビンさんと言った。正式社員として採用されたのではなく、地方支局で臨時(赤伝票)採用された人だった。しかし、その能力が評価されて正式社員になり、社会部ではナンパの名文記者の一人になっていた。しかし、水戸支局から社会部へ帰任後、程なくして肺がんで亡くなってしまった。私の36年間に及ぶ新聞記者の文章暮らしの原点は、ヨシビンさんの教えだとかみしめている。現在の新聞記事にも、立派に通用すると固く信じている。(写真:ギリシャ・アテネのピレウス港には、多数の地中海クルーズ船が係留されていた。)