新聞記者になりたい人のための入門講座

新聞記者は、読者に何を伝えようとするのか。地球の危機や、庶民の喜怒哀楽かもしれません。新聞記者のABCを考えましょう。

新聞への思い 4

2011年10月28日 | ジャーナリズム

  

 

会部が常に政治を監視していることは先に述べた通りだが、政治とは切っても切れない選挙、それも国政選挙に深くかかわり、選挙情勢を取材し当選、落選を判定するのも社会部、報道部や地方支局が中心である。私が東京都政担当で、衆院選、参院選、都知事選などさまざまな選挙の取材をしていた35、6年前のことだ。ある大政党本部の職員に「取材に応じるのは政治部の記者だけ。社会部記者には対応できない」と拒否されたことがある。今はそんなことはないと思うが、政党のなかに選挙は政治部の専売特許と勘違いしている職員がいて驚いた。

東京・永田町の政党本部で取材を拒否され、私はその職員に説明した。政治部は全国の取材網を通じて送られてくる選挙情勢や各政党に届く情報をもとに分析し、新聞の紙面を作るが、実際に各選挙区の立候補者に取材する政治部記者は特別なケースを除いてほとんどいない。社会部や報道部、各地方支局、通信部の記者たちがそれこそ地べたをはいずり回り、候補者の主張、支援状況、強弱などを取材するのが普通だ。特に東京、大阪など新聞社の組織として社会部のある地域は社会部が大きな責任を持ち、地方支局には社会部出身の記者も多いことを力説すると、その職員は最初のうち怪訝な表情をしていた。近くにいた上司の職員に確認すると私が説明した通りだと分かり、こちらが要求した各種選挙の資料をようやく提供してくれた。

この出来事は衆院選挙が中選挙区制で比例代表制が採用される前なので、現在とは背景が違う。しかし、国政選挙は政治部が担当し、社会部はその補助的な存在にすぎないという考えが意外に多かった。しかし、地方では社会部、政治部、支局など関係なく新聞記者と選挙の関係は政治家の間でよく知られていた。

 私が地方支局にいたとき、よく選挙の行方を尋ねられた。ある村の村長選挙の開票日、今ではとても考えられないことだが、開票所の学校体育館のなかに入り込み、束になって机の上に乗せられた票を勝手に数えて誰が当選したかを知り、学校正門前の交番に駆け込んだことがあった。近くに公衆電話がなく、交番で電話を借りて支局に「当選確実」の報を連絡するためだった。一通り仕事を終えて引き上げようとすると、私の早口が聞き取れなかったのか、交番の警察官が「結果を教えて」と言う。概略を伝えると、今度はその警官が受話器を取って「○×候補が当選しました」と本署へ連絡した。選挙管理委員会が正式に発表するはるか前のことだった。

 東京へ転勤し社会部勤務になってからも、選挙と警察の関係は続いた。投票日が迫ると、われわれは受け持ちの警察署を回り、情勢分析に役立つ情報を集めた。多摩地区の支局にいたある日、都下の警察署に行くと、普段、われわれの窓口になる次長が所用のため不在で署長に会った。いろいろ話しているうちに、こちらの情報を教えてほしいと言う。私は世論調査の結果などさまざまなデータをもとに差し支えのない範囲で説明すると、その署長は受話器を取り「○×新聞記者の情報によりますと、▼▽候補が優勢なようです」と警視庁の担当者に電話で連絡した。取材していたつもりが、逆に警察に取材されていたと気付いたときは、すでに署長は電話を終えていた。

 選挙になると、警察は必ず各候補陣営の動き、公選法違反の状況、有権者の支持などさまざまな情報を集める。それを知っているからこそ、我々は警察を回る。場合いによっては、交番、駐在所まで行く。「「政治部ではないから」と私の取材を拒否した政党の職員は、このように地を這うように、ときには政界の大物を相手に選挙を取材するのが社会部、地方支局記者の仕事とは全く理解していなかったに違いない。

 選挙になれば、新聞社は総力をあげて取材し新聞を発行する。そのなかで、社会部は政治部と並び重要な役割を果たすことを忘れてはならない。(写真:秋の陽光を浴びて、長野県・浅間山の峰が優美に見えた)

 


作文・小論文の実例  5

2011年10月14日 | ジャーナリズム

 

れまで、作文、小論文のいずれでも書くことが可能な抽象的な題の実例を紹介してきたが、就職試験の場合、小論文を書くように求められることが多い。作文は内容が題にうまく関連すれば、何を書いてもいいが、小論文では題に込められたテーマに対し、自分なりのはっきりした意見、見解を書かねばならない。新聞などマスコミ関係に限らず、多くの職種の企業、組織が時事問題、社会問題について題を出す。

多くの場合、その時点で世界やアジア、日本で大きな問題になっている事柄が焦点になる。未来に生き延びなければならない日本の企業、組織は、当然のことながら自社を志望する若者がどのような意見、見解を持っているか関心が強い。例えば円高、世界的な金融不安など経済危機の中で、どのように活路を見出していくか?

志望者は時事・社会問題に対する豊富な知識を持ち、さまざまな問題に対する説得力ある意見、見解を小論文で書かなければならない。私が大学で書くように求めた学生たちは必ずしもマスコミ志望ではなかったが、比較的充実した内容の作品を紹介したい。

 

 ジアと日本

ジアに属している。アジアの中でも、境界線が隣国と陸地で接していない島国だ。一見、領土問題はないように思えるが、そうではない。ロシアとの北方領土問題や、今、話題となっている中国との尖閣諸島問題などがある。             

二〇一○年九月七日、尖閣諸島をめぐって事件が起きた。尖閣諸島付近をパトロールしていた海上保安庁の巡視船に、中国の漁船が衝突してきたのである。現在、中国漁船の船長は処分保留のまま中国へ帰されたが、その後の措置はまだ取られていない。しばらくして、日本では漁船衝突映像の流出をめぐっても、大きな問題となっている。  

そもそも、なぜ、このような領土問題が起こったのだろうか。日本とアメリカとの条約では、尖閣諸島は日本の領土であると認められている。しかし、中国側でも、中国固有の領土として考えられており、今回の事件に発展したと考えられる。尖閣諸島付近には、油田などの貴重な資源が埋まっていることからも、中国としては手に入れたい領土である。          

中国は近年、北京オリンピックや上海万博の開催地となり、産業の面でも大きく成長している。いわゆる、日本の高度経済成長期である。貿易面でも、日本より中国が注目されるようにもなっている。日中関係は今後、どうなっていくのだろうか。    

中国が成長し世界に注目されているからといっても、尖閣諸島は日本の領土であるとはっきりと主張する必要がある。日本の対応として良くなかったことは、証拠となる衝突映像をすぐに公開しなかったことと、船長を処分保留のまま帰してしまったことである。この背景には、日中関係悪化の懸念や、中国からの圧力などが予想される。同じアジアの国として協力できる関係が望ましいが、まずは一日も早くこの問題が解決することを願っている。             

 

尖閣諸島での事件があった昨年秋に書かれた文章だが、事件の概要を正確に理解し、経済成長を続ける中国の存在に注目しているのが分かりやすい。海上保安庁撮影による中国漁船衝突の映像がすぐに公開されなかったことと、逮捕した中国人船長を処分保留のまま帰してしまったことの誤りを率直に指摘しており、筆者の明確な立場が伝わる。

身の周りから見た「アジアと日本」を書いた作品もある。

 

 

と日本

 

年、私の地元の大型スーパーでは、中国や韓国からの留学生と思われる店員が増えている。どの人も流暢に日本語を話し、日本式の接客をこなし、日本人のアルバイトより一生懸命に見えてくる。このように、アジアの各地域から来日した人々が日本の労働力となっている。もはや、外国人の助けがなくては、日本の労働現場は成り立たないのだろうか。

最近、人手不足で特に問題になっているのは医療現場である。地方の過疎の地域などで、人を必要としている。そこで、政府は東南アジアなどから研修生を呼び、看護師などを育成しようとしている。ここで、問題が挙げられる。まず、高度な技術を必要とする職場では、言葉の間違いなどからミスが起こる可能性がある。そのため、言語教育に多くの時間を費やし、本来の技術の習得までに時間がかかるのではないだろうか。また、賃金は、同じ職場で働く日本人と平等になるのだろうか。人件費の抑制を目的にして外国人を呼ぶのであれば、長く仕事を続けたいと思う人が少なくなるのではないだろうか。同じ環境で働く以上は、賃金や生活保障などの面で差があってはならない。

一方では、外国人の採用に良い面もある。日本で習得した技術を自国に持ち帰り、広めてもらう。もし、開発途上国であれば、その国に技術面で貢献できる。また、日本の方式を知ってもらうことで、日本の企業が参入する機会が増えるかもしれない。

日本の労働現場は、賃金を抑制するために、アジアなどから人材を得ようとしている面がある。しかし、安易に急いで行うのではなく、受け入れる環境や制度をきちんと整える必要がある。

 

人手不足に悩む医療・介護現場から日本とアジアを書き、「人件費の抑制……同じ環境で働く以上は、賃金や生活保障などの面で差があってはならない」と、自分の意見をはっきりと書いているのが分かりやすい。ただ、外国人研修生がいる医療現場の現実を、もう少し具体的に書けば説得力が出るはず。

 (写真:ベトナム・ハノイに残る撃墜された米軍機の残骸。私の風景写真アルバムから)

 


新聞への思い 3

2011年10月04日 | ジャーナリズム

 

 が国会を担当していた今から30年ほど前、永田町はロッキード事件にもかかわらず闇将軍として勢力を振るう田中角栄元首相と田中派の動向が焦点だった。政治部一色の感が強かった永田町で、金権腐敗政治の払拭を旗印にする国会記者クラブの社会部記者たちは、派閥や政権のキーパーソンから情報を集めて回り、まさに右往左往しながら日々の新聞記事を書いていた。

 当時、国会記者クラブの社会部記者たちは、政治部の場である首相官邸、自民党など各政党の主な記者クラブに形式的には加盟していた。普段、それらの記者クラブで取材することはなかったが、ロッキード事件の動きがあったり、内閣発足で新大臣が誕生し記者会見をする場合などは出向いて取材し、しかも記者席の最前列を占めることが多かった。どの政権も、田中元首相と田中派の影響を受けていたからだ。

新大臣がマイクの前に座ると、必ずと言っていいほど社会部記者から「刑事事件の被告の影響を受けた内閣をどう思うか?」などの質問が飛んだ。政治部記者から、このような質問はあまり出ない。社会部記者に任せておけばいい、との判断だったのか。われわれ社会部記者は、政治部記者がこの手の質問をすると政治家に嫌がられる、特に田中派では相手にされなくなるから、敢えて質問は避けていると考えていた。事実、国会記者クラブに記者を常駐させていないある民放は、私が質問した新大臣の答えを、私の声をカットして放映したことがあった。

当時、国会記者クラブの社会部記者と首相が年1回、首相官邸(旧)の小食堂で昼食のカレーライスを食べ、政治状況を聞きながら懇談する慣行があった。私が国会記者クラブの幹事をしていたとき、誰からともなく「首相に社会部らしい贈り物をしよう」と言い出し、相談の結果、その年に流行っていた「なめ猫」の縫いぐるみを贈ることになった。私が銀座の三越百貨店の玩具売り場に買いに行き、昼食後、首相官邸中庭で「今、世間で流行っているものです」と前口上を述べ、主の鈴木善幸首相に手渡した。田中元首相の影響を強く受けていると言われていた鈴木首相は「何か、なめられているみたいだな」と笑いながら受け取り、私は「お孫さんにでもあげてください」と言った。「なめ猫」は可愛い猫が暴走族のような服を着て鉢巻をしたキャラクターで当時、大変な人気があった。

世の中は、自民党政権から民主党政権の時代に変わった。だが、「政治とカネ」の問題ばかりはどの政権になっても変わりなく相次いでいる。そうである以上、以前に増して社会部記者の存在感は強まることがあっても、弱まることはない。昔のことを思い出しながら、政治部、社会部を問わず、金権腐敗だけでなくあらゆる問題で、新聞が国民の視点で政治を監視してほしいと願わずにはいられない。

(写真:夏の明け方、鹿児島・桜島に日が昇る。城山の頂上にあるホテルから見て、荘厳な気持ちになった。私の風景写真アルバムから)