新聞記者になりたい人のための入門講座

新聞記者は、読者に何を伝えようとするのか。地球の危機や、庶民の喜怒哀楽かもしれません。新聞記者のABCを考えましょう。

作文・小論文の実例  4

2011年09月22日 | ジャーナリズム

 

者がどのような生き方を求め、興味を抱いているかを知るため、「生きる」という題について書くように求めてきた。新聞社はもちろん、社会のどの分野で働くにしても、ただ面白おかしく楽しく生きることなどできないからだ。多くの場合、自己犠牲が求められる。

自らの生き様を書くにしても、自分の胸の内の思いをひたすら綿々と書くだけでは、読者に思いが伝わらない。主観の塊を吐露するためには、それなりの努力と工夫が必要だ。それには、自分を客観化して書くしかない。次の作品を読んでほしい。

 

   きる

たい」と妹が言っていた。妹はまだ小学六年生である。中学受験の勉強がつらいから「もう、死にたい」と言う。しかし、私は驚かなかった。なぜなら、私自身も小学六年生のころ、同じ理由で死にたいと思ったからである。           

私は祖母をとても尊敬しているし、大好きである。祖母はもう八十歳以上で、戦争を経験した。戦争の時代を生き抜いた人である。そして、戦争で滅びた日本をここまで回復するまでの基礎を作り上げた世代でもある。物や情報の少ない時代に数少ない食料を手に入れ、働いて貯金をしてきた。つらい状況の中、祖母が生きたことは本当に立派なことであるし、頭の下がる思いである。私が幼いころに、よく戦争中の話を聞いた。爆弾を避けながら逃げ、食料はイモ類が少し、ないときはネコを食べたという。祖母と祖母を親代わりで育ててくれたおばあさんの二人で、戦争時代を生き抜いたのだと祖母は話してくれた。戦争が終わった直後に、親代わりのおばあさんは血を大量に吐いて死んだという。結核だった。その後、祖母は一人で生き、祖父と結婚して今の私の父が生まれた。戦争のことは、今でも目の前に広がるように鮮明に思い出すと祖母は言っていた。        

「あなたたちは、良い時代に生まれたね。食料は豊富にあるし、便利だし。でも、苦労をしていないわね。おばあさんみたいに苦労して生きないと、何も分からない人間になってしまう」と言われた。私はのどが詰まって、何も言えなかったことを覚えている。   

簡単に「死にたい」とか思ってはいけない。祖母の話を思い出して、改めて思う。だから、妹にも「死にたい」と思ってほしくないし、つらい受験も乗り越えてほしい。私は祖母に「生きる」ことは非常に大変なことだと教えてもらった。祖母の努力があったからこそ、私たち家族は幸せに生きられている。

*現在の家族の幸福が、戦争を生き抜いた祖母のおかげであることが良く伝わる。祖母の生き方と「死にたい」と言った妹はともに筆者以外の題材であり、これが客観的に書くことに役立っている。ただ、祖母に教わった「生きる」ことの大変さをもう少し具体的に書ければ、なお良かった。

もう一つ、筆者がどのような生き方に関心を持っているかが分かる別の作品を紹介する。

 

    きる

弘という画家をご存じだろうか。小学校の担任の先生が以前からファンで、クラスで紹介してくださった。彼の絵のモチーフは主に草花で、とても柔らかいタッチだった。しかし、彼の人生は山あり谷ありの壮絶なものだった。

元々、スポーツ万能だった星野さんは体育教師となり、学校に勤務していた。ある日の体育の授業中、鉄棒で生徒に手本を見せようとして失敗、そのまま地面に落下した。幸い命を取り留めたものの、首から下が完全にまひしてしまった。この時の絶望感は計り知れない。それまで普通に生活していたのが一変、病院内のベッドから起き上がることすらままならない。自殺を考えたこともあったろう。だが、星野さんは絵画に魅せられ、自分で描こうと決意した。首から下の自由が利かないので、ベッドに横たわりながら、絵筆を口にくわえる。少しずつ首を上下左右に動かし、やっと一枚の絵となる。根気のいる作業だが、筆を動かすことがリハビリにもつながった。最初は平仮名や片仮名と段階を踏んで漢字、それから絵へと進んだ。現在の星野さんはカレンダーや画集を出版したり、個展を開いたりと幅広い活動を続けている。

星野さんの絵には、必ず詩が添えられている。この言葉に、また絵にどれだけの人々が生きる勇気や希望を与えられたことだろう。一度は死にかけた男が今度は人々に夢を与え、その一言一言が読者の胸をえぐる。口で書かれた味わい深い字も新鮮だ。

生きることを簡単にあきらめて自殺する日本人が多い昨今、五体不満足の星野さんは絵に携わることで生きる喜びを得、救われた。まさに努力のたまものであり、生きることを強く願った結果だ。

 

に生きる星野さんに学ぼうとする筆者の気持ちが、読む者の心に響く文章だ。星野さんの生き様が、この文章を客観化するカギになっている。

(写真:ロンドン・コベントガーデンで大道芸を演じる人たち)

 


作文・小論文の実例  3

2011年09月18日 | ジャーナリズム

 

 

感動」と言えば、人は何を考えるだろうか。感極まって涙が出るほどうれしかったこととして、自分が所属していた部活動の試合、大会で優勝した経験などを書く学生が多い。それでも、社会的な問題意識でこの題を書いた学生が結構いた。古い作品でマスコミ志望かどうかは確認できないが、紹介したい。

 

   

 

に映った黒人女性は、涙を流しながら語った。「最高に感動しています。生きていて良かったです」と。

バラク・オバマ氏が大統領に就任した。私はそのニュースを、アルバイト中にお客さんから聞いた。「もう、アメリカは大丈夫だ」とほっとした。

昨年の冬に「ルポ貧困大国アメリカ」という新書を読んだ。民営化が、アメリカに貧困をもたらしている。アメリカの格差社会を知った。大きなショックを受けた。経済大国と呼ばれるアメリカは、表面だけの印象だった。中をのぞけば、経済格差が濃厚な問題となっていた。また、この本は日本に警鐘を鳴らしていた。このままだと、アメリカの二の舞だぞとでもいうように。

アメリカのこうした状況を知ったからこそ、オバマ氏の大統領就任は、私にとって大きな感動だった。オバマ氏はヒーローだと思った。彼の演説はとても素晴らしく、心を動かされた。きっと、彼ならアメリカを変えてくれるに違いないと思った。感動は、アメリカ中に広がった。インタビューに答える人は涙を流し、オバマ氏の就任を喜んだ。アメリカの国民だけではなく、他国民にとっても大きな感動であったに違いない。彼の就任は海を越えて、多くの人に感動を与えた。

首相の就任で国民が涙を流して感動することは、かつて日本にあっただろうか。この人が首相になれば、きっと日本は大丈夫だと感動する日は、一体いつになるのだろうか。日本は、確実にアメリカの跡をたどっている。だからこそ、その状況を変えてくれるヒーローが現れてほしい。「もう大丈夫だ」と国民が涙を流し、感動を巻き起こす首相就任の日を迎えたい。

 

オバマ米大統領誕生の感動を、テレビの画像を通じて書いている。ベストセラーになった堤未果著「ルポ貧困大国アメリカ」(岩波新書)を読んだ感想をベースにしているので、説得力がある。学生のなかには米国へ留学したものも多く、米国への憧れも強いが、格差社会にあえぐ黒人女性の流す感動の涙が生々しい。この視点を日本にも向け、感動を起こす首相就任を待ち望む気持ちも理解できるだろう。ただ、オバマ大統領はその後支持率が低下するばかりで、失業率は改善せず、不況も打破できない苦境に陥っている。これは現在の状況であり、大統領就任時の世界的な「感動」は大きかった。オバマ大統領の言う「チェンジ!」が実現し、続いて日本でも自民党から民主党へ政権交代したのだが……

 

    感動

 先日、ドキュメンタリー映画「ディープ・ブルー」を見た。あまりにも壮大な自然の美しさに圧倒され、まるで自分が実際に世界中を旅しているように感じた。厳しい自然界で生きる動物たちの生き生きとした姿は、動物園で見る姿とは全く違って荒々しく美しく、私に大きな感動を与えた。

「ディープ・ブルー」は外国の長編ドキュメンタリー映画で、撮影には何年もの年月をかけたという。地球の海の姿をありのままに写し、その映像はとても美しいが時に残酷でもある。海のハンターと呼ばれるシャチは、クジラの親子を六時間以上追い回し、子クジラを捕らえる。しかし、食べるのはヒレだけで、残りは捨ててしまう。私は、自然界で生きる過酷さを知り、身震いしてしまった。深海に生きる生物たちは、あまりにも美しすぎて、まるで作り物のように感じた。赤や黄、青などさまざまな色や形で輝きを放ち、真っ黒な闇の世界である深海が、一気に神秘的な美しい空間に様変わりした。万華鏡をのぞいているような映像に、すっかり心を奪われてしまった。

今、地球の自然は危機に瀕している。森は伐採され、北極の氷はどんどん溶け出している。このまま地球が壊れていってしまったら、映画の中で懸命に生きていた動物たちを、二度と見ることができなくなってしまう。あの美しい神秘的な海をこの先ずっと残していけるのかは、私たち人間の行動次第なのだ。

私は「ディープ・ブルー」を見て、以前、訪れた沖縄の美ら海水族館を思い出した。そこで、飼育係の人は「この美しい海の生き物たちは、美しい海でしか生きられない」と言っていた。美しい自然は、人々に大きな感動を与えることができる。美しい自然と、そこに生きる動物たちが、遠い未来までいつまでも守られることを願う。

 

ュメンタリー映画を見て、美しい海に感動したことが良く伝わる文章になっている。沖縄の  美ら海水族館を通じ、人間の行動次第で美しい海を守れるかどうか問題提起しているのも分かりやすい。

両作品とも本、ドキュメンタリー映画などを読み、見た体験を中心に文章を書いているので説得力がある。空理空論で抽象的な文章は、よく書けていてもどうしても難解になる。

(写真:英国・ドーバー城の上から、フランス・ダンケルク地方が遠くに見える。私の風景写真アルバムから) 

 


作文・小論文の実例  2

2011年09月14日 | ジャーナリズム

 

義の前半では、人によってさまざまな内容が書ける題を学生に示してきた。その典型的な例が「花」だ。「希望」「勇気」「感動」など抽象的な題とともに、筆者の考え方、感じ方、好みによって何でも書ける。最初のうち、文章の内容というより「起承転結」、無駄な表現の削除など文章の基本的な作法を身に付けようとする狙いだったが、やはり人によって書く内容にはさまざまな違いが出た。

 

    花

小学生のころ、私はある絵本作家に出会った。彼の絵は色使いがとてもきれいで、その絵本を見た誰もが彼の絵の虜になる程だった。小学生のころ、絵描きになりたかった私は、もちろん彼の虜だった。その彼の絵が、彼の手によって、まるで世の中にあるありとあらゆる色が巧みに操られていく様子は、小学生の私には魔法使いに見えた。

私にとって魔法使いでもある葉祥明さんの代表作の一つに「地雷ではなく花をください」という本がある。その内容は、主人公の一匹のウサギが今もなお戦争を続け、地雷を埋めている国に行く。そこには戦争の被害者である人々が暮らしていたが、今、生活しているその場所のどこかに必ず地雷が埋められていて、いつ被爆するか分からない恐怖の状況の中、人々は生きていることを知る。そこで、ウサギは埋められている地雷の代わりに、花を植えようと決心する。地雷だらけの町にいつしか花が一面に咲き、平和な国となるようにウサギは花を植えていく、というお話であった。その絵本を買うと、そのお金が戦争で地雷がたくさん埋められてしまった国へと寄付され、地雷を取り除くためのお金へと変わると聞いた。

その絵本には、たくさんの色とりどりの花が出てくる。大きさも形も、さまざまであった。花は、人と生活のリズムが似ている。朝、日が昇り、顔を上げ花びらを広げる。夜になると顔を下げ、花びらを閉じてしまう。日中、花を見ると心が晴れ、祝い事があれば誰かに花をプレゼントしたくなる。花には、そんな不思議な力がある。

現在も、人と人との争いが絶えず、戦争が行われている。人々の心が病み、住む場所は荒れ果てている。葉祥明さんが描いた世界のように、いつか地球上のどんな場所でも、地面一面に花が咲く日を望まずにはいられない。                      

 *ウサギが地雷をなくそうと働きかける有名な物語だが、「花」の題で世界的に問題化している地雷撤去運動の問題について書いた社会的な意識に、驚く読者がいてもおかしくない。現代の動きに常に問題意識を持つ姿勢は、評価される。だが、全く別の視点の作品で読者の心を打つ作品もある。

 

 

     花

 

小さいころ、晴れた日曜日のお昼ごはんは、いつも庭で食べた。桜の木の下にシートを敷いて、お弁当を並べて、麦茶を入れた。近くに住む祖父母も呼んで、ちょっとしたピクニックだった。あれからもう十年以上がたち、今はもう桜の木はない。

前に住んでいた人が植えたという桜は、かなりの大木だった。春になれば、これでもかと言わんばかりに咲き誇る。ピンク色の花が満開になり、周囲の緑が色濃くなり始めると、幼いながらも春を感じ、ワクワクした気分になった。その美しい花を近所の人にほめられれば、得意気に自慢した。実際の手入れをしていたのは祖父だった。余分な枝を切り落としたり、冬には雪囲いもした。「きれいな花が咲くのは、おじいちゃんのおかげなんだよ」と、母はよく言った。私は、そんな祖父の手伝いをするのが好きだった。

桜の木を切ることが決まったのは、中学二年の夏だった。その年、初めて桜は咲かなかった。アメシロという虫がつき、どうにもならないのだと父から聞いた。晴れた日曜日に、私より年上だった桜は、あっさりと切り倒された。祖父も私も、無言のままそれを見た。残された切り株はとても大きく、切断面は不自然なくらいに白かった。ぼんやりとそれを見ながら、幼いころのピクニックを思い出していた。春に咲き誇る、美しい姿を思い浮かべた。

祖父はその三年後に亡くなった。今でも我が家の庭には、大きな切り株が残っている。春になり、美しく咲く桜を見ると、私はピクニックを思い出す。桜を愛した祖父の姿を思い出す。

桜の木と亡くなった祖父の思い出が、読者の心にしみじみと響く。桜の花に社会的、時事的な問題があるわけではない。満開の桜の下で、家族みんなで弁当を食べ、その桜は後に虫に侵されて切り倒され、祖父も後を追うように亡くなったという話が淡々と書かれているだけだ。文章の行と行の間から、今は切り株しかない桜をしのぶ気持ちが伝わってくる。活字になった文字ではなく、文章の「行間」から醸し出る情感を読者に読んでもらう味わいのある文章になっている。

*ウサギが花を植え、地雷をなくそうとする絵本の話もそうだが、両方の文章例とも子供のときの記憶をもとに書いている。それはそれで読み応えのある文章になっているが、就職試験を意識する場合、できるだけ子供のころの体験をもとに書くのは避けた方がいい。最近の体験、少なくとも高校生以降の体験をもとに書く方が採用する側にアピールしやすい。(写真:小説「嵐が丘」のモデルとなった英国・ハワースのトップ・ウィズンズと呼ばれる廃墟。私の風景写真アルバムから)


作文・小論文の実例  1

2011年09月11日 | ジャーナリズム

 

 この入門講座で文章の書き方を説明した際、私が東京都内の大学で指導していた学生の作品を紹介し、新聞社などの入社試験にも役に立つようにしてきた。受講する学生が希望する就職先は新聞社に限らず幅広く、なかには就職とは関係なく文章の書き方そのものを学びたい学生もいた。就職試験、新聞の文章だからといって特別な書き方があるわけではなく「読みやすく、分かりやすい文章」くことがすべてに通じると信じている私は、この一点に集中して学生たちを指導し、作品を添削してきた。最初のうちは四苦八苦していた学生たちが、講義の後半まで書き進んでくると驚くほど上達するのが、わがことのようにうれしかった。

 今、この入門講座では記者現役時代の私の記憶をもとに「新聞への思い」を書き続けている。記者志望の若者たちの役に立つように題材を選んでいるつもりだが、新聞記者の原点はやはり文章だろう。記者志望だけでなくすべての職種に必要な文章――つまり読みやすく、分かりやすい文章」が現代人に求められている。学生の作品の中から、その実例を私のコメントを添えて紹介してゆきたい。「新聞への思い」は適時、書きつないでいきたい。

 

枚の写真

 突然、目に飛び込んで来た写真に、私はしばらく動くことができなかった。そのモノクロ写真は、戦争の悲劇を無残に映し出していた。ある新書本の一ページに載せられていた写真が、頭に強く焼き付いて離れない。

 私がその本に出会ったのは、ほんの一ヶ月前だ。オールカラーで「四国八十八カ所巡り」の題に興味を持ち、手に取った。著者は元朝日新聞記者の石川文洋さんで、戦場カメラマンでもあった。その戦場で出会い、失った多くの戦場カメラマンたちへの慰霊の思いを込め、四国八十八カ所巡りを思い立った。寺だけでなく、遍路の途中で出会った人々、風景などの美しい写真が、旅の記録として掲載されていた。読み進めていくうちに、章の終わりでコラムが書かれていることに気が付いた。石川さんが実際に目にした凄惨な戦場や、亡き戦場カメラマンたちの名誉を讃えていた。そこに、その写真が載せられていた。

 写真の中央に、一人の少年が倒れていた。いや、死んでいた。少年の顔は、しっかり映っていた。少年の周りには武装した兵士たちがいて、少年を見下ろしている。ほんの十歳前後の、何の罪もない少年が殺されていることが、戦争の恐ろしさを物語っていた。緊迫した戦場の空気までも封じ込めた一枚の写真に、私は言葉を失った。写真は多くを語っていた。少年の顔、兵士の顔、戦地、その他あらゆる要素から、戦争を想像し恐れた。何の言葉もないその一枚の写真は、私の心を大きく動かした。

 私は、何かを伝えるには、言葉なくしてできないと考えていた。しかし、そのたった一枚の写真は、写真一枚分を超えてさらに多くを語っていた。言葉がなくても伝わることを初めて知った。その写真は戦争の悲劇だけでなく、写真の素晴らしさを私に教えてくれた。これからも、自分の人生や考えを変えてくれる写真に出会いたい。

   *「一枚の写真」という題では、家族、親友らと写した印象に残る写真を取り上げ、懐かしい思い出などを書く人が多い。この筆者は本で巡り合った戦争カメラマンとその作品に注目し、戦場で死んだ少年を写した一枚の写真に集中して書いている。今も世界のどこかで続く戦争の犠牲者を思い、大変、重いテーマを読者に突き付けた。自分や親しい人々以外の世界に題材を見つけ、絶えることのない戦争の悲劇を見つめる筆者に、読者は心を動かされるのは疑いない。

   (写真:エジプトのアブシンベル宮殿。私の風景写真アルバムから)