知りたい宮島

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知りたい宮島 17 弥山山頂

2024年06月05日 09時27分39秒 | 貴方の知らない宮島
弥山山頂を目指しての、ロープウエイによる登山、山頂付近の史跡

 昔から宮島は「安芸の宮島、廻れば七里、浦は七浦七恵比寿」と謡われている様に、
広島市内から西へ約25km、島の周囲は約30km、面積は約30平方キロ、
瀬戸内海に浮かぶ小さな島である、島には現在775世帯1435名の人々が暮らしている。(令和4年9月1日)
島全体が、国の特別史跡及び特別名勝並びに国立公園特別地域に指定され、厳島神社
及び弥山を中心とした史跡と文化を育む島である。
厳島神社、及び鳥居、又付属建物を結ぶ回廊など国宝や国の重要文化財に指定された
建造物が多く保存され、平安時代の面影を現在に伝えている。
荘厳で華麗な建築美が緑深い森林の中に映え、人口の美と自然の美しさが見事に調和し、
立体的な優雅さを漂わせている日本有数の観光地である。
 平成8年(1996)12月メキシコのメリダ市で開催されたユネスコ第二十回の
世界遺産委員会で、平安時代の文化が現在でも引き継がれている厳島神社と広島市の
原爆ドームが人類共有の財産として登録されました。
その登録された区域は、平安末期当時の貴族の住宅であった寝殿造りを神社建築に移し
た荘厳な歴史的建造物「厳島神社」と、全面の海と背後の天然記念物「弥山原始林」を
含む431ha、全島の約14%にも及ぶ区域である。
 厳島神社は、世界に知れ渡っているエジプトのピラミッドや中国の万里の長城などと
肩を並べることとなりました。

山頂ロープウエイの獅子岩駅を降りて、最初は長い下りの坂道で、紅葉谷登山コース
との合流する辺りから上り坂へと変わります、駅から山頂まで約30分の道程です。
弥山原始林(約160ha)は、弥山の北斜面に位置し、亜熱帯植物のアカマツ、
クロバイ、モミ、ツガ、が生い茂っています。特に世界的に有名な植物学者でドイツ
ベルリン大学の「エングラー博士」は、原始的な被子植物であるヤマグルマやマツブサ
の実物を見て感激している(私は一生ここに住んでここで死にたい)と語っている。
 なお宮島にはクリ・クヌギ・ササ・タケ、などの自生植物はありません。
この様な世界文化遺産と天然記念物が、人口100万人の都市から僅か25km離れた
所に存在している事を日本人は誇りに思うべきである、と宮島を訪れた外国人観光客の
人達は言っていると言う事を教えられました。
➀ 閼伽井堂
あと少しで弥山本堂と言う所で、左手に「閼伽井堂(あかいどう)」があります。
内部には底の無い「壺瓶」が埋められ、少し甘みを含んだ水が湧き出ている。
この霊水は、弘法大師が「求聞持(ぐもんじ)」の秘法を習得中に明星水として仏殿
に供えた、祈祷水である。また如何なる干ばつの時でも涸れることがない。
現在でも儀式に従った祈祷水や修行僧の飲料水として汲み上げている。
➁ 弥山本堂
弥山本堂は平安時代の大同元年(806)中国の唐で修業を終えた「弘法大師」32歳
の時、この山頂に錫杖を留め、厳しくて辛い求聞持の秘法を成し遂げた道場である。
阿波大龍寺、土佐室戸崎と共に日本三大求聞持道場として、現在でも僧侶の厳しい
修行が続けられている。
弘法大師は、虚空蔵菩薩の左手で捧げている「如意宝珠(にょいほうじゅ)」は
榧(かや)の実であることから、求聞持ほ秘法を得る為に必要なものは全て、榧の木
に関するものを用いている。祭壇・花瓶・念誦(ねんじゅ)等の材質は榧で作られ、
燈明には榧の実を絞った油や花瓶には「樒(シキミ)」では無く、榧の枝葉が供えられ
ている。また仏壇に供えられた榧の枝葉は、修行が終了するまで枝葉に触る事は勿論
花瓶の水を取り替えることも禁じられている。
「求聞持修法」とは、慈悲(じひ)と慧智(けいち)の広大な無辺なることを象徴した
虚空蔵菩薩に百日間、百万遍の真言を唱えて、強固な記憶力を得る為の真言行者の
秘密練行法である。
平宗盛の寄進した国の重要文化財の「梵鐘・伊都岐島弥山水精寺と書いてある」もあり
金剛界曼荼羅(向かって左・男)、胎蔵界曼荼羅(向かって右・女)がります。
曼荼羅とは、大日如来の説く心理や悟りの境地を視覚的に表現したもの

➂ 消えずの霊火堂 弥山七不思議
堂内には不動明王が祀られくすぶり続ける霊火は弘法大師が修行した大同元年(806)
当時に焚かれた護摩の火が、およそ1200年間途絶えることなく燃え続けている。
霊火は山形の山寺立石寺、京都の比叡山延暦寺、宮島の不肖霊火堂などが知れ渡り
日本三大不滅の法灯、または霊火とも言われている。
宮島の霊火は、九州の日本製鉄八幡製作所溶鉱炉の種火や広島市の平和公園内の
「平和の灯ともしび」の元火に採火されるなど、全国各地で開催されている祭典の
炬火(きょか)に使われている。

➃ 錫杖梅(しゃくじょううめ)弥山七不思議
昔、弘法大師が立てかけられた錫杖が根付き、梅の大木になったと伝えられている。
弥山に不吉な事があれば、咲かないと言われている。

➄ 時雨桜(しぐれざくら)弥山七不思議
現在は三鬼堂の横にある山頂への階段のところにある。
この桜は鼻の重みで枝垂れ桜の様に枝が垂れ下がっている。この花弁や葉っぱに露が
降りると、晴れた日でも風になびけば、如雨露(じょろ)で散水したように濡れ、
地面は通り雨が過ぎ去ったようになる。一度枯れたが現在は再生している。

➅ 三鬼堂
昔は、御山神社の事を三鬼堂と呼び人々に厚く信仰されていたが、明治以降は現在の
場所に設置して麓の大聖院が管理している。
正式な呼び名は「三鬼大権現」と言い、正面に追帳鬼人(不動明王の化身)
左に魔羅鬼人(虚空蔵菩薩の化身)、右に時眉鬼人(不動明王の化身)が祀られた
全国唯一の鬼人で、その霊得は参拝して初めて感得することが出来る。
その他には、太郎坊の大天狗や次郎坊の小天狗を始めとする日本国中の天狗さんが
集り、偉大なる神通力で生きているもの全てを加護している。
特に伊藤博文公は、三鬼大権現に参拝すると心が安らぎ多大なるご利益があるとして
厚く信仰していた。三鬼堂に掲げられている額縁の文字は伊藤博文公の直筆である。

➆ 文殊堂 観音堂
登山道を歩くと最初の手前に見えてくるのが、「観音堂」次が「文殊堂」です。
観音堂は家内円満の観世音菩薩が祀られ、安産の仏様として多くの方々が参拝します。
文殊堂は知恵を司る文殊菩薩が祀られており、合格祈願杓子は、島民や観光客の間から
生まれたもので、杓子は「飯を掬う(すくう)」「敵を召し取る」と言う言葉の綾から
自然発生した宮島独特の縁起物である。(合格と言う文字を掬う)
ここから、少し進むと急な階段が始まります、更に10m位進み右折する所では必ず
左側にある「石柱」をよく見てください(皆さん疲れているので、下ばかりを見て歩く
ので気が付かない方々が多くいます)、大正15年5月27日に「昭和天皇」が
宮島参拝時に弥山に登山された、その記念石碑となっています。また、
山頂の最後の階段を登り切った所に「24丁」と書いた丁石(ちょうせき)があります
この長石には、そのことが書かれています。
*「丁石」とは登山道にあり1丁から頂上の24丁まであり、1丁が109mありす。

➇ くぐり岩
自然石に囲まれた弥山の隧道、別名「くぐり岩」と言われています。背の高い方は
要注意です。くぐり抜けた側に直径約35㎝位の穴があります、この穴を弁慶の水鏡
と呼ばれています。穴には雨水が溜まるようになっているが、土砂が溜まっている事
が多いです。その先階段を上り切ると山頂です。

⑨ 頂上岩  山頂展望台
弥山の頂上は、大小の岩石に囲まれた広場となっています。中央には、二等辺三角点
の標識が埋め込まれています。西の方向に高さ10m、周囲13mの岩石があります
昔からこの岩には、神様が御鎮座しているという「磐座石(いわくらいし)」として
あがめられていました。

伊藤博文にが云った、「日本三景一の真価は山頂の眺めにあり」
言われるように、素晴らしい景色を堪能する事が出来ると思います。
「弥山」と言う名前は、古代インドの世界観の中で中心にそびえる
「須弥山(シュミセン)」から付けた名前と言われています。
⑩ 弁慶足跡
説明版もなにもありませんが、大日堂方面に下る石階段の入り口にあります。
誰がつけたのかは、判りませんが思わすほほえみます。
⑪ 干満岩
説明版をよく読むと、「岩穴の水は、満潮の時には溢れ、干潮の時には乾くとあり、
不思議な穴で水は塩分を含んでいる。弥山七不思議の一つ」と記されています。
同所の側には、眼洗薬師地蔵があり、眼の不自由な人が干満岩の潮水で眼を洗って、
地蔵さんに祈れば、ご利益がある。と言われたが、今はそのような風習はない。
⑫ 疥癬岩
カニの横ばいの様になって、やっと通れる程の道の上に苔むした岩石があり、この岩に
触れると「皮膚病」になる、逆に皮膚病に人が触れると治ったとも言われる不思議な
岩石である。現在はこの様な迷信を信じる人は誰一人いません。しかし、この様な
平凡な岩や草木に対して様々な伝説が語られている事は霊験あらたかな弥山に
ふさわしいものでもあります。
⑬ 大日堂
大日堂は、永和2年(1376)弥山御堂神護寺として建てられた由緒ある寺院で、
弥山で最古の建物で「弥山水精寺」の中心的仏堂であった。
室町時代には「神護寺大日堂」。江戸時代には「弥山本堂」と称された。
本尊は「金胎両部の大日如来」が祀られている。古い棟札には弥山神護寺と書かれて
いたが、明治12年(1887)の火災で全焼した後大正9年(1920)に再建。
再建に伴い須弥殿の中央に安置されている「不動明王の座像」は、京都仁和寺の
真乗院より移されたものある。不動王明王の本体は、約100㎝、光背は160㎝
あり、平安中期寛弘年間(かんこう)頃(1000)の作品と伝えられている。
平成5年(1993)国の重要文化財に指定された事に伴い、京都国立博物館内で約2年
の歳月をかけて修理されている。現在は大聖院内の観音堂に祀られている。
⑭ 御山神社(みやまじんじゃ)
大聖院コースに向けて少し下ると、左手に朱色の明神鳥居が見える。ここを左に曲がり
進と断崖絶壁の上に石造りの四脚鳥居が現れる。
御山神社は、平清盛が厳島神社を造営した時、神社の奥の院として建てられ、

市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命、が祀られています。また珍しい木製の獅子と狛犬
も3対います。


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