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朝鮮人の近代犯罪史(きんだいはんざいし) 事件が語る大分の世相

2012-08-29 01:13:56 | 日記
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タイトルなし
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n212.htm



近代犯罪史 ( きんだいはんざいし)

事件が語る大分の世相

〈明治の犯罪〉
 明治維新を迎え新しい御代となったものの、 農民一揆 や士族の反乱で世情不安が続いた。その後、世の中が落ち着き、 日清戦争 後は資本主義の成長を見たものの、庶民の生活は依然として困窮していた。このため、県下の犯罪には賭博や強 窃盗が多く、明治18年の大分県警察統計表によると、強盗ニ遭ヒシ家80、 追剥(おいはぎ)ニ遭ヒシ人9、窃盗ニ遭ヒシ家7,549、強窃盗ニ遭ヒシ船39、 摸拐帯詐騙(すりかいたいさぎ)等ニ遭ヒシ人234、賭博犯人910となっていた。これらの犯罪者を処断する刑法典としては、裁判準則を示した「仮刑律」についで、明治3年(1870)12月1日には「 新律綱領(しんりこうりょう)」が公布され、更に、これに一部改正を加えた「改定律令」が明治6年6月に公布された。これらは、大宝律令 徳川幕府の 公事方御定書(くじかたおさだめがき)と中国の明律等を取り入れたもので、刑罰としては 笞(ちつ) (じょう) 徒(ず) 流(る) 死(
絞 斬)の5刑が定められていた。明治13年7月、欧米の刑法典を参考にした旧刑法が公布され、更に明治40年には、現行刑法が制定された。こうした明治時代の大分県下の事件を紹介する。
【戦場荒し】 明治10年2月に起こった 西南戦争 は大分県下に波及。5月12日、重岡に侵入した薩軍は、竹田 三重 佐伯 臼杵 鶴崎を襲った後、6月20日、宮崎に敗走した。この間、県下は 莫大(ばくだい)な被害を受けた上、 官軍 の名を 騙(かた)った詐欺事件や戦場荒しが横行したが、そのうちの一つを次に紹介する。明治10年6月9日、小加部岩五郎は、海部郡江無田村の戦闘で戦死した警視4番小隊の巡査が所持する風呂敷包から金品を 窃取(せっしゅ)。 大分区裁判所 は同年8月23日、小加部に改定律令賊盗律窃盗条で笞40(むちで40回叩く)の刑を言い渡した(『大分県警察史』第1巻 大分県警察本部 昭和61年)。
【旧士族の実母殺し】 版籍奉還 に続く 廃藩置県 で士族の家 禄(ろく)制度は次々改革が進められ、ついには家禄の支給を止め、元高の5年ないし14年間に相当する 金禄公債 を与え、5年間据え置いた上で、償還するという 秩禄処分 が行われるに至った。こうした時代の流れに士族が翻ろうされる中で、杵築で旧士族の実母殺しが起こった。秩禄処分が行われた明治9年4月26日、杵築の士族田村碩也(19歳)は、南杵築村の実家に帰ると兄夫婦が不在であったので、負債返済に充てるため、兄の金禄公債証書を持ち出し金に替えようと物色中、実母マスに見とがめられたので、長脇差でマスを斬り殺して金禄公債証書を奪って人力車で逃走。別府で娼妓と投宿しているところを逮捕された田村は、明治12年5月22日、 熊本裁判所大分支所 で改定律令人命律謀殺祖父母父母條により除族の上、斬罪を言い渡された(『大分県警察史』大分県警察部、昭和18年)。
【八坂の生肝事件】 文明開化 が浸透したが、庶民の衛生知識は低く、病気を治すため迷信を信じ引き起こされる事件が全国で多発したが、県下でもいわゆる生肝事件が発生した。明治25年7月25日夜、速見郡八坂村河野儀平(30歳)は、母の眼病を治すのには人の生肝がよく効くと信じ、娘マツ(3歳)を殺しその生肝を取ろうとしたが、妻スギが病の床から「娘の身代りになる」と訴えたため、儀平はスギの腹部を小刀で切り開き、肝を切り取って死亡させた。儀平には、懲役9年の判決が言い渡されたが、その後、この事件を芝居にした「闇夜烏迷の生肝」が大分町の 共楽館 で上演されると話題を呼び、観客は袖を涙でぬらしたという(前掲書)。
〈大正 昭和前期の犯罪〉
 大正に入ると、 第一次世界大戦 で好景気を迎えたが、物価の暴騰で人々は深刻な生活難に陥った。次いで、関東大震災等の影響で、昭和に入り不景気は深刻の度を深めた。こうした社会情勢下で犯罪は急増、社会不安を引き起こしたため、昭和5年(1930)5月、「盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律」が公布された。その後、日本は戦争への道を歩み、 太平洋戦争 が 勃発(ぼっぱつ)した直後の昭和16年12月18日、国内の治安維持を目的とした「戦時犯罪処罰ノ特例ニ関スル法律」が公布された。しかし、県下の犯罪は、大正後半から増加し、大正元年に4,155件であった刑法犯認知件数は、大正14年6,772件、昭和10年10,070件、昭和19年には13,749件となった。こうした、大正 昭和前期の世相を反映した大分県下の事件を紹介する。
【選挙に紹む山移村殺人未遂事件】政争県と言われた大分県下では、大正時代に入ると政争による事件が多発したが、その一つを紹介する。大正15年(1926)6月23日、下毛郡山移村精米業甲斐穀太郎(26歳)は同村久保九一を殺害しようと日本刀で斬りつけたが、その目的を達せず、顔面に全治2週間の傷を負わせて逃走した。当時、大分県下は 憲政会 と 政友会 が争っていたが、憲政会幹部の久保は、政友会の甲斐を憲政会に引き込もうとして失敗したので、甲斐の商売の邪魔をした。これに立腹した甲斐が犯行に及んだもので、時効完成寸前の昭和15年4月15日に逮捕され、同年8月16日、懲役2年執行猶予3年の判決を受けた(前掲書)。
【大分のもらい子殺し】戦前、優生保護法がなく堕胎が認められていなかったため、私生児が生み落とされることがしばしばあった。そこで、なにがしかのカネをつけてどこかへやってしまうか、こっそり里子に出すことが多かった。ところが、養育費をもらって後子供を殺すもらい子殺しが各地で発生、大分市でももらい子殺しが発生した。昭和7年10月25日、大分港突堤で 嬰児(えいじ)の他殺死体が発見され、捜査の結果、大分市大道1丁目の宮崎イカ(54歳)に、別府市の 酌婦(しゃくふ)が養育費30円で預けた私生児であることが判明。イカを取り調べた結果、11人のもらい子殺しが判明、イカの自宅床下から多くの白骨死体が発見された。宮崎は、昭和9年6月8日、殺人及び死体遺棄罪で懲役13年の刑に処せられた(前掲書)。
【鶴崎町の銀行強盗殺人事件】 日中戦争 が勃発すると、各地で出征兵士を送る風景が見受けられるようになった。こうしたとき、大分郡鶴崎町鍛治見習田村唯男(21歳)は、現役兵として入隊することになったが、貧しくて入隊の品をそろえることができずに銀行強盗を計画。昭和14年12月12日午後3時ごろ、覆面をして鶴崎町 高田実業銀行 裏口から忍び込んだところを銀行支配人仲摩一実に発見されたため、所持していた包丁で仲摩の頸部を刺して殺害したが、結局、何も盗らずに逃走。3日後には逮捕された(前掲書)。
〈戦後混乱期の犯罪〉
 昭和20年8月15日の敗戦後、物資不足と道義観念等の低下で犯罪は急増。県下の刑法犯認知件数は、昭和21年は前年の約2倍、昭和25年は昭和20年の約3倍の16,361件に急増。特に、すさんだ時代を反映した凶悪事件が続発。その主なものを次に紹介する。
【中津の一家4人殺害事件】戦後の極度の 食糧難 の下、一杯の飯のことで一家4人を殺害する事件が発生した。昭和21年9月14日午後8時ごろ、空腹を抱えた岩本こと李圭鈴(44歳)は、知り合いの中津市大新田の孫斗春を訪ねた。度重なる無心に、孫の妻がぶつぶつ言いながら夕飯を出したため、李と孫は口論となった。激昂した李は孫の妻が持ち出したハンマーを奪うと孫を殴殺。更に孫の妻と7歳と6歳の子供2人を殺害し、飯台の上の財布から現金2,090円などを奪って逃走。宮崎 鹿児島などを転々とし、同年9月26日、博多駅に現われたところを、張り込み中の刑事に逮捕された。李は、 大分地方裁判所中津支所 の死刑判決を不服として控訴したが、福岡高等裁判所はこれを棄却、昭和22年8月13日、死刑が確定した(前掲『大分県警察史』第1巻)。
【復員軍人のけん銃強盗事件】陸軍少尉で 終戦 を迎えた大分郡 石城川(せきじょうがわ)村の佐藤務(25歳)は、 復員 後、会社設立資金欲しさから強盗を計画。昭和22年8月20日午前11時10分ごろ、銀行から60万円を引き出して事務所に帰る途中の大分郡農業会会計係後藤監を大分市竹町裏通りで襲い、けん銃で射殺して現金30万円を奪って逃走したが1時間後に逮捕された。昭和23年4月23日、大分地方裁判所の死刑判決を不服として佐藤は控訴。福岡高等裁判所は無期懲役の減刑判決を言い渡した(前掲書)。
【女 祈祷(きとう)師人妻殺害事件】戦後、 新興宗教 や 祈祷 に頼る者が多く、これらに関係する事件が発生した。昭和23年5月28日午前10時ごろ、日田市の祈とう師深町ナミヨ(24歳)は、従姉妹の入舟ハツヨから「腹部にコワリができたので祈祷をしてくれ」と依頼され、奥座敷で祈とうを始めたが、突然「死霊に止めを刺す」と叫ぶと、仕立バサミでハツヨの 咽喉(いんこう)部を突き、えぐりとって殺害。更に、「仮面をはぐ」と言いながら目をえぐり、耳 鼻 下あごをそぎ、腹部を切開して内蔵をつかみ出した。驚いた家族に連れられて日田市警察署に出頭したナミヨは、「神のお告げで行った」と自供。同年7月23日、大分地方裁判所はナミヨを心身喪失者として無罪の判決を言い渡した(前掲書)。
〈昭和中 後期の犯罪〉
 戦後の混乱が収まると、昭和30年以降 高度経済成長 が続いた。大分県下でも 臨海工業地帯 建設が始まるとともに、都市への人口集中、自動車交通の進展といった問題が発生し、これらが、犯罪の増加 広域化など治安面に影響を与えることとなった。昭和31年の刑法犯認知件数は、戦前戦後を通じて最高の17,200件に達した。その後、昭和40年以降は、刑法犯認知件数は逐年減少するに至ったが、爆発物使用事件、女性犯罪、保険金目的殺人事件など特異犯罪が発生。このうち主なものを次に紹介する。
【パチンコプロ殺人事件】もともと子供の遊びであった パチンコ が、戦後、大人の遊びとなり、昭和26年以降爆発的に流行し、パチンコで稼いで生活するパチンコプロも出現、パチンコが犯罪の温床となることもあったため、パチンコ営業許可基準が強化された。こうした矢先の昭和29年10月12日、パチンコプロの上池康幸(22歳)とA(19歳)は、パチンコに負けて金に困り、仲間の麻生良を大分市東春日町県立大分工業高校東門に誘い出して殺害。現金2万円 腕時計などを奪って逃走し、別府市行合町の貸席に登楼中、逮捕された。上池らは、昭和33年5月28日、大分地方裁判所で無期懲役の判決を受けた(『大分県警察史』第2巻 大分県警察本部 昭和60年)。
【後藤巡査殺害事件】けん銃奪取目的で警察官が襲われるという事件が、戦後、日田、三重、大分で起こったが、別府では、勤務中の警察官が誘拐殺害されるという事件が発生した。昭和37年2月11日、別府警察署山の手派出所で単独勤務中の 後藤磨巡査 (39歳)が突然姿を消し、6日後の2月17日、国道10号線沿いの宇佐市の防空壕内で、制服、けん銃、警察手帳などをはぎ取られた他殺死体で発見された。早速、強盗殺人事件として捜査を開始したが、ついに犯人検挙はできず、昭和53年2月10日、時効を迎えた(前掲書)。
【富士航空機墜落事故】大量輸送期間の発達は利便をもたらした反面、大規模事故が発生。県下でも、昭和39年2月27日、鹿児島発大分 高松経由東京行の富士航空のコンベアーCU-240型双発旅客機が午後3時22分ごろ、大分市花津留の 大分空港 に着陸しようとしてオーバーランして、同空港東側裏川堤防に激突し河原に墜落炎上。死者20人、重傷者22人という事故が発生。民間航空事故で戦後3番目となった。なお、この事故は、富士 日東 北日本航空3会社が合併し「日本国内航空」として発足する直前の事故であった(前掲書)。
【新産都建設局汚職事件】総事業費2千数百億円の大分地区 新産都建設 工事で、汚職が行われているという噂が流れた。こうした矢先の昭和41年3月16日、新産都工事をめぐる恐喝事件で大分市拓成土木を捜査した結果、拓成土木が新産都建設局職員に現金を贈っていたことが判明、事件は、同局建設課長ら幹部職員に波及、贈賄業者に佐伯工業、大平建設、水野組らが関連した新産都建設局ぐるみの汚職事件に拡大、贈収賄53件、業務上横領1件、恐喝1件を検挙。昭和42年6月24日、大分地方裁判所は関係者に8か月から2年の懲役又は罰金の判決を言い渡した(前掲書)。
【宇佐の夫殺害事件】全国で女性の犯罪が多発していたが、県下でも、武蔵町で人妻が愛人と夫を殺害するという事件が、また、宇佐でも夫殺人事件が発生した。昭和42年4月4日、宇佐市 長州(ながす)の会社員南正晴(30歳)は、退社後姿を消した。夫の 失踪(しっそう)後、南の妻レイ子(34歳)は、愛人の豊後高田市家畜商山形秋利(40歳)と所在をくらました。「南は殺されて福岡県 刈田(かんだ)町の白石海岸に埋められている。」との情報もあり、捜査を開始したところ、同年6月3日、岡山県倉敷市で南レイ子と山形の2人を発見、取り調べた結果、2人の関係を夫に知られたため夫殺しを計画、山形は退社した南正晴を誘い出し豊後高田市小熊の国道で殺害して白石海岸に埋めたと自供した。大分地方裁判所中津支部は、山形に18年、レイ子に15年の懲役を言い渡したが、2人は控訴、昭和43年4月5日、福岡高等裁判所はこれを棄却し、2人の刑が確定した(前掲書)。
【電気カミソリ爆弾殺人事件】昭和44年から46年暮にかけて、新橋の日石ビル地下郵便局小包爆発事件、警視庁第8 第9機動隊舎ピース缶爆弾事件など、爆弾事件が続発。県下でも爆弾殺人事件が発生した。昭和48年11月17日、九重町大字町田会社員田吹二六が、女性名義で郵送された電気カミソリを使おうとしたところ、仕掛けてあったダイナマイトが爆発して即死。同年11月26日、女性関係のトラブルによる殺人として九重町の菅一成(35歳)を逮捕。50年3月4日、大分地方裁判所は菅に懲役13年の判決を言い渡した(前掲書)。
【別府の3億円保険金殺人事件】昭和55年版『犯罪白書』は、わが国の犯罪は欧米型に変質しつつあると指摘、倫理感の低下、享楽指向、欲望の増大、金銭的価値の偏重などを背景に、コンピュータやカード利用の詐欺をはじめ、保険金目的の殺人が急増している中で、別府の 3億円保険金殺人事件 が発生した。昭和49年11月17日午後10時15分、別府国際観光港で、走って来た乗用車が海中に突入、乗っていた 荒木虎美 (47歳)、妻玉子、妻の連れ子2人のうち虎美だけが助かり他は 溺死(できし)した。虎美は同年8月、荒木玉子と結婚して荒木姓に入籍、1か月後、妻子に3億1千万円の生命保険をかけていた。 大分県警察 は、東京フジテレビ「3時のあなた」の番組に出演中の虎美を同年12月11日逮捕。「妻が運転していた」と主張する虎美に対し、1、2審とも死刑を言い渡したが、被告側が上告した。その後、平成元年1月13日、虎美はガン性腹膜炎のため八王子医療刑務所で死亡した(前掲書)。
 参考文献 大分県警察本部『大分県警察史』第1 2巻
[山本 将敬]

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