神海(シンカイ)‐ハルノウミナナキソナキソ…arena8order 慧會隴

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死者からも略奪…フィリピン台風被災地 2013/11/11

2013-11-13 20:21:34 | 日記

「台風」に関連した金融の英語例文の一覧
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#ккк#Filipino #warweapon's #yl.
#goorenge_orotiXX #PortugalXX


飲まず食わずで死者からも略奪、フィリピン台風被災地 → It is plunder, atyphoon stricken area of Philippines fromadead person without food or drink 、

食料を口にしていないという。 → As for most of victims,it is said that not eat food afterthelanding ofthetyphoon like
Mr. グアルベルト.

対応に手一杯の市当局は、救援物資を十分市内に行き渡らせらずにいる状況を認めている。 → Thecity authorities busy with it gotherelief supplies for correspondence enough inthecity and recognizethe 渡らせらずにいる situation.

台風の猛威にはどうにか持ちこたえた商店のショーウインドーを叩き割ったり、シャッターを押し開けたりして略奪する者もいる。 → Smashtheshopwindow ofthestore which held fortheviolence ofthetyphoon somehow,and there istheperson who pushashutter open,and plunders it.

ある店では店主が銃を手に立ちはだかったが、略奪を止めることはできなかった。 → Astorekeeper stood in the way inahand withagun in a certain shop,but was not able to stop plunder.

やはり略奪被害に遭った菓子店の店主は「みんな泥だらけで、飢え乾いている。 → After allthestorekeeper oftheconfectionary which encountered plunder damage "starves in all muddiness and is dry".

あと数日この状態が続けば、殺し合いが起きるだろう」と話した。 → If this state continued for another several days, Itold,killing each other would happen.

フィリピン赤十字(PhilippineRedCross)の救援隊は、タクロバン近くで救援物資を積んだ車列が襲われたと発表した。 → Therescue party ofthePhilippine Red Cross(Philippine Red Cross)announced thataconvoy loaded with relief supplies in タクロバン neighborhood was attacked.

リチャード・ゴードン(RichardGordon)フィリピン赤十字会長は、略奪者たちのことを「暴力団」だと表現した。 → When "it wasagang ," Richard Gordon(Richard Gordon)Philippines Red Cross's chairperson expressed plunderers.

■さまよい歩く被災者たち 一方、途方に暮れた人々は大人も子どもも、ひっくり返った車や切れた電線の散乱する路上を、当てもなくたださまよい歩いていた。 → Did not have a hope,and bothanadult andthechild only wandered onthestreet whereanoverturned car and sharp electric wires were scattered in,and victims one which wandered,and walked, theat a loss people walked.

遺体が腐敗する臭いに口や鼻を押さえる姿も見られる。 → Thefigure holdingamouth andthenose is seen inthesmell thatacorpse decays.

フィリピン軍の遺体回収班が動員されているが、兵士らも惨状に圧倒されているようだ。 → Acorpse collection squad ofthePhilippine military is mobilized,but soldiers seem to be overwhelmed inaterrible sight,too.

「トラック6台で遺体の回収に当たっているが、間に合っていない。 → "Deal withthecollection ofthecorpse by six trucks,but am not in time".

どこも遺体だらけだ。 → It is full of corpses everywhere.

人手も足りない」と運転担当の兵士は言った。 → Thesoldier in charge ofthedriving said, thehands were not enough.

通りがかりの人や報道陣にメモを手渡し、自分の消息を親戚に連絡してほしいと頼む生存者もいる。 → Handapasser-by andthereportersamemo,and there isthesurvivor to ask to want one's news to contactarelative.

被災者の多くは顔を負傷し、足を引きずっていた。 → Most of victims were wounded inaface and draggedafoot.

全員が想像を絶する恐怖の体験を口にした。 → All the members spoke ofanunimaginable fright.

「ものすごく大きな波が何度もやって来て、私たちを道路に押し流し、家をさらっていってしまった」と、数千人が避難している海岸沿いの市営スポーツ・スタジアムでミラソル・サオイさん(27)はAFPの取材に語った。 → When"anextremely big wave came over many times and washed us away onaroad and had kidnappedahouse ,"Talked about Mira Sor サオイ (27) to coverage oftheAFP atthemunicipal management sports stadium alongtheshore where several thousand evacuated to.

「夫は、自分と私の体を紐で結び付けてくれた。 → "Thehusband joinedabody of oneself and me together withastring".

けれど、がれきに混じって流される中で離ればなれになってしまった。 → However,it has been unlikeadetached room while it was drained among debris.

たくさんの人たちが溺れ、叫びながら沈んでいった。 → Many people were drowned and were depressed while crying.

夫とはあれきり会えていない」 → That cannot meetthehusband

(c)AFP/JasonGUTIERREZ → AFP/Jason GUTIERREZ

AFPBBNews → AFPBB News


「台風」に関連した金融の英語例文の一覧 - Weblio英語例文
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人肉食-Cannibalism…現在、最大のタブーで禁忌事。

2013-11-13 18:40:02 | 日記


#ккк

【危険閲覧注意】卑劣な支那「大量死の豚」日本に輸入無慈悲な殺戮化
http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=9023410651&articleId=11500538437&guid=ON


人肉食
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人肉食 Cannibalism


「人肉食」は、現在に於ける最大のタブーであり、禁忌とされるものです。

「人食い」「人肉食い」と言う言葉は、数ある悪口の中でも一際、悪いイメージを持って通用しています。

現在、北朝鮮など、一部の飢餓状態にある国々を除いて、人肉食を恒常的に行っている場所は無いとされています。

「されている」と敢えて言葉を繋ぐのは、20世紀末になっても尚、人肉を喰って逮捕されたと言う人間が後を絶たないからです。

ガールフレンドを殺害して食べたとされる佐川氏然り、12年に53人もの少年少女を殺害して食べたアンドレイ・チカチーロ然り。

ですが、歴史を紐解くと、その中には人肉食を行ったと言う記述は幾つも見る事が出来ます。

驚くべき事に、聖典であるはずの旧約聖書にも、「息子、娘たちを食い尽くしました」と言う記述を見る事が出来るのです(エレミア書第3章24項)。

かつての「未開の民族」だけで無くなく、日本でも、中国でも、ヨーロッパでも、アメリカでも、人肉食は行われ続けてきました。

人肉食を意味する「カニバリズムcannibalism」と言う言葉は、スペイン語で「カリブ族」を意味するカニバルcanibalという名前から来ています。

彼等はカリブ海を中心とする中南米に勢力を持つインディオたちの総称ですが、コロンブスに「敵を殺して喰う習慣がある」と伝えられ、ヨーロッパ人によって「人食い民族だ」とされた民族です。


中国のカニバリズム

「人食い」と言えば、かつて「未開の民族」とされた地域特有の習慣だと思われるかも知れませんが、勿論、そんな事はありません。

例えば、中国は結構、最近迄、人肉食の習慣が残っていた事が分かっています。

唐代(8~10世紀ごろ)迄の記録には、人肉が「両脚羊(ヤンシャオロウ)」、即ち「両脚で歩く羊」として、かなりの頻度で人肉が食されていたと言う記述が残されているものがあります。

何と、その肉は、飢饉でも無い、普通の市場でも売られていたと言いますから、その「文化」の広まり具合が分かりそうです。

この習慣は、少なくとも宋代(11~12世紀)迄は続き、その後歴史の陰にひっそりと沈んで行きますが、その後も、時代の狭間に、人肉食はひょっこり顔を出します。

因みに、この「両脚羊」は羊や犬よりも一統価値の低いものと見なされ、それに手を出すのは、余程、食べるものに困っている時であると相場が決まってました。

その他に、過去の記録を紐解くと、例えば「史記」には、春秋時代(紀元前7世紀ごろ)の覇者、斉の桓公が、料理人の易牙に勧められて、易牙の息子を食べると言う話が出て来ます。

「世語」にも、三国時代(3世紀ごろ)に、魏の重臣として名高い程鬻(ていいく)が、軍の備蓄食糧に「干した人肉」を混ぜたと言う事で、主君の曹操に嫌われたと言うエピソードが出て来ます。

また、曹操のライバルとして有名な劉備も、人肉を食べたと言う話が伝えられています。

ある日、劉安と言う人物の所に泊まった所、生憎、彼をもてなす肉が無い。

そこで、妻を殺してその肉を供した、劉備はそれを知ると、劉安の恩の深さを知り、冷め挫滅と涙を流したと言うエピソードが巷間に伝わっています。

古代ばかりではありません。

何と20世紀になっても、人肉を欲して喰ったと言う話が伝えられています。

有名なのは文化大革命のライバルを襲って食べる、と言った出来事でしょう。

1966年から1970年の間に、実に6万人もの知識人・文化人を始めとする「反革命主義者」が殺され、その一部が「革命支持者」の腹に入ったと言うのです(勿論、公式記録には何も残ってません)。

この時、頻繁に行われたのが、「凌遅(りょうち)刑」と言う、人間の肉を足から順に削ぐという処刑方法でした。

人々は、この刑が行われる時、挙って、その周囲に集まり、肉を貰っては食ったとも言われています。

1984年にも、台湾で炭鉱事故に遭い生き残った炭鉱夫が、人間の肉の味についてコメントして大きなニュースとなっています。

「やはり死んだ人間の肉は旨くない。旨いのは生きた人間の肉だ」。

21世紀になって、流石に、その様な明から様な報告は無くなりましたが、やはり一部では、あくまでも「一般的では無い」と言う註釈付きですが、料理によっては、堕胎後の胎児を食材として使う事もある様です。


日本・欧米のカニバリズム

日本はどうだったのでしょう。

こちらも、やはり飢饉の時等には、人肉市場が立ったと言います。

羽柴秀吉が三木城を攻めた時、同じく鳥取城を攻めた時、秀吉が周辺の食糧を全部買い占め、城の中では凄絶な共食いが起こった様です。

また、ヨーロッパでも、アラブ側の視点として、十字軍が人肉を食っていた等と言う記録が残っている様です。

南米のアンデスで行われたとされる、人身御供の儀式も、寧ろ、そこから得られる「たんぱく源(人肉)」が目的だったと言う人も居ます。

江戸時代中期に活躍した勤王家で、吉田松陰にも影響を与えたとされる、高山彦九郎正之は、東北地方を旅行した時、日記に天明飢饉で起こった人肉食の有り様を記しています。

それは、子供の腕を咬み千切り取る凄絶なものであった様で、女子供は共食いを恐れて外に出なくなったとも書かれています。

明治時代に「大森貝塚」を発見したエドワード・モース博士も、貝塚の中から「人間に食べられた様な跡のある」人骨を発見したと書き残しています。

第二次世界大戦では、日本軍が中国人を襲って食べたと宣伝されましたが、これは中国軍側の悪質なプロパガンダで、その様な事実は無かった事が分かっています。

只、南洋の島々では、飢餓状態に置かれた兵士の中に、涙を呑んで友軍の死体に手を出した人が居たという痛ましい出来事が、暫々あった様です。


現代のカニバリズム

今は、多くの地域に食糧が行き渡っているので、人肉食の事例は殆ど報告されていませんが、猟奇・快楽殺人の題材として暫々、人肉食が取り上げられる事はあります。

先に少し触れた佐川氏の例然り、「羊たちの沈黙」の元ネタにもなった、エドワード(エド)・ゲインの例しかり、チカチーロ然り。

少し前にも、大阪で女性が不和の夫を殺してシチューにしたと言う事件がありました。

ドイツのハノーバーでは、フリッツ・ハールマンという男が、人を殺して、その肉をソーセージにしていたと言う事件がありました。

そのためか、今でもハノーバーでは、他の地域に較べて菜食主義者の割合が多いと言う噂もある様です。

猟奇では無い「緊急避難」としての人肉食の例を挙げるとするなら、1972年にアンデス山中に墜落した飛行機の乗客16名が、他の乗客の死体を食べて2ヶ月半を生き延びたと言う記録があります。

この辺りの描写は敢えて避けますが、骨の髄迄食う、かなり本格的な食べ方だった様です。

この事件は、生き残った人間に対してローマ法王庁が「食べた者を破門しない」と宣言した事で、世界中で逆に評判となりました。

このエピソードは、後にアンバロ・J・コバセビッチ監督の「アンデスの聖餐(せいさん)」、フランク・マーシャル監督の「生きてこそ」と言った映画の題材になりました。


人間の「味」

人間の味について語ったものは幾つも見受けられますが、その内容は言う人間に拠って、かなりバラバラです。

全体的に臭みが強い上、かなり特殊な方に属する「食材」であり、宗教観、倫理観、個人の嗜好、飢餓状態に因って、かなりバイアスが掛かり易いと言うのが、その理由だと思われます。

因みに、実際に食った人の話では「豚肉の様で、とても美味しい」とする人と「とても食えたものでは無い。非常に不味い。」と言った二つに大別出来る様です。

パーツ別に見れば、人間は眼の周りが一番旨いと言われています。

特に視神経は珍味中の珍味とされます。

上腕二頭筋や大腿筋(太もも)等、赤身の部分も人気が高い様です。

心臓や肝臓等の内臓や男性器もかなり旨い、と言う話を聞きます。

逆に人気が無いのが乳房とお尻で、どうも脂肪分の多い場所は、水っぽくて、あまり旨くは無い様です。

女性器も「人肉食い」の人々にはあんまり人気がありません。

人間の身体が「薬になる」という話は、中国では、かなり昔から言われてましたし、日本でも19世紀になる迄、信じられておりました。

明治時代の事件簿を紐解くと「病気の親戚に新鮮な肝を食わせたかった」「精を付ける目的で人を襲って殺した」と言う記録が次々に出て来ます。

なお、漢方薬には人間の身体の一部を材料にしたものがあるそうです。

只、その内容は「胎盤」と「髪の毛」であり、残念ながら(?)、肉体やその一部は使われていません。

胎盤は粉末にして滋養強壮薬として使います。

「紫河車」と言います。

髪の毛は黒焼きにして血止めに使います。

「乱髪霜」と言います。

7.「天成る道」謎の国・日本

2013-11-13 18:29:41 | 日記
(5)これからの世界について

世界は食料、エネルギー、健康、自然環境問題などとあらゆる面で、混沌の時代から混迷、摩擦、やがては闘争の時代へ突入して行く気配を感じさせ、しかも天変地変や治癒困難な病いの出現も危惧されますが、それも主神のプログラム通りであり、私たちが永き輪廻転生で学んだ総決算として、困難な状況の中にあっても動じない魂の輝き、魂向上の成果を見せる時代がはじまったと考えられます。

言い換えれば、唯物的拝金主義、権力志向の旧き世界、思想は破壊され、魂の清らかな人々による霊主体従、徳積み志向の、新たな想念・世界の創造の時代に入ったと表現しても良いかと思われます。

そして、さまざまな闘争や苦難の中で人々はどう生きるか、何を想念するのか、主神は私たちの心のあり方を凝視し続けるでしょう。

こうした過酷な試練の時代に直面しても、日本人が決して忘れてはならないことがあると私は思います。

それは太平洋戦争での敗戦という悲惨な立場、原爆被災の莫大な犠牲を礎として、20世紀の奇跡と言われるほどの世界に冠たる経済力と科学的能力を手にし、同時に、戦争放棄の絶対条件を背負っている事実です。

これらはすべて主神からのメッセージであり、日本の進むべき道が指し示されていると思います。

古文書を読み解き、伝承的な精神性を想い、三内丸山などの遺跡を考察するにつけ、日本人が生きとし生けるものが調和し弥栄えて行く道、「この世の摂理」を知る類まれな民族であり、太古の時代から人々の進むべき道を示し、世界の民族がそれぞれの特長・能力を生かしながら、お互いに尊重し合い、いたわり合いながら、相和合して進む姿の手本として存在してきたと私は信じています。

ですから今や、日本人の使命は、霊の元(ひのもと)として「天成る道」、「この世の摂理」の心を世界に伝え、世界平和の実現のために心血を注ぐところにあるに違いないでしょう。

大国がミサイルや原爆、レーザーなど残酷な兵器で小国を屈伏させたり、小利口な理屈や目先の餌で誤魔化し、資源を独り占めにするような考えで政治し、浅知恵や利己欲で経済を動かす現代社会を正し、神界、霊界の実在や人の命、存在の意味を学んで、人としてあるべき姿、進むべき道を求めて謙虚に努力しなければならないと思います。

ましてや、うかうかと魂を汚す唯物的志向に心を奪われてはなりません。

残念ながら日本人すべてが霊の元の魂とはいかないようですが、その力を結集すれば、いとも簡単に大難が小難となると思います。

しかも、大和の魂をもった人々はこの時代には魂が呼び覚まされるはずですから、これらの人々の霊性が一日も早く蘇ることを切に願うものです。

この世界が破壊される方向から見ると、大きな役割をユダヤの民が実行しつつあります。

人道的にみれば獣道であり、非道ですが、実行部隊たるユダヤの民には恐らくそうした認識はなく、ホルスの末裔を称する民は、ただただ己の伝説にしたがって九神を仰ぎ、権力や情報、資源・金力を手中に収めながら、世界支配へ突き進もうとしているように見受けられます。

彼らによって絢爛たる物質文明の花が開き、快適性、利便性と人々は多くの恐怖や労苦から開放され、しかも情報、経済活動の発展により、集落単位で争う小さな世界観から、地球が一つの家族とも考えられるほど大きな視野、大きな愛の交流が可能となった反面、地球上のいたるところで、目に見えない金融戦争、弱肉強食の資源強奪戦、インターネットやメディアによる情報管理や社会統制などが仕組まれ、その結果、これまでの秩序、常識が破壊されて行くのです。

そして、それら社会的な大きなうねりに影響され、人々の心に巣くう金や物質への欲望は膨張を始めます。

彼らは人々を欲望の渦へ引き込む磁力でもあり、多くの人は本性を露呈し更なる欲望をかきたたせ、渦の深部へと巻き込まれて沈んで行くと思います。

悲しみ、苦しみをまき散らし、人の心に怒りと憎悪を増幅させて、魂の下落を誘っているのです。

こうして知ってか知らずしてかは分かりませんが、彼らはこの世の掃除役の一端を担っているに違いないでしょう。

ルシファーのお役とも言えるかもしれませんが。

神界や霊界など見えない世界を信じ、他者へのいたわりや思いやりなど心に愛を貯えてきた人のみが、渦の強力な吸引力、磁力から逃れられると思います。

また、岩のドームをはじめとして、エルサレムのわずか数百m四方の場所へユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教の聖地が、重なっているのも神の深慮遠謀でしょう。

お互いがいたわり合い、想い合う世界であればなんら支障も無いだろうが、お互いが宗教の本道を間違えたら骨肉の争いとなる。

果たしてどちらに転がるのか。

太古より神々は楽しみにしていたに違いないと思います。

しかし、残念ながらキリスト教での最後の審判、神道での大峠は、悲しい結末を迎える可能性が高いようです。

しかし、明るい兆しも見えるようになりました。

これまで、破壊され行く世界の断片ばかりが目に映り、新しい世界の建築側を垣間見ることはほとんどありませんでしたが、最近になって、未来の景色を想像できる情報がありました。

エネルギー、食料、水は人を支配する切り札となりますが、現代の石油化学文明では支配する側とされる側がハッキリできる素地があり、それを見事に構築したのがユダヤの民でしたが、その土台を揺るがす開発が実を結びつつあるのです。

一つはクオークからエネルギーを取り出すプランが発表されています。

これは、大神様から聞いていた霊子であり、クリーン、無尽蔵で何処にでもあるエネルギー源ですが、人類が神界、霊界の実在を信じ、この世は霊と体の二重構造でできていることを確信しなければ、取り出せないことになっていると聞いており、いよいよ時が近づいたように思われてなりません。

また、大企業であるトヨタが車のボディへ麻を活用する計画を発表したことです。

麻はプラスチック類をはじめとして、現代・石油科学で作られたほとんどの素材の代替が可能であり、実は安価で高性能、しかも環境汚染を引き起こさない夢の素材なのです。

かつてアメリカ自動車企業・フォード社が金属より衝撃に強く、丈夫で軽くしかも安価だとして、車体に活用することを決めていましたが、計画に横やりが入り、それ以降石油化学文明の花が開いていったと伝えられているほどです。

また日本では麻の文化、生活が築かれており、麻の特質に支えられていましたが、戦後アメリカ軍の進駐軍の情報操作によって大麻が麻薬にされ、神事にのみ特例として残された状況となってしまいました。

本来、大麻には習慣性もなく害もタバコよりはるかに少ない程度だとされていますが、麻も多様なので、トヨタは麻薬性の極めて低い品種を採用したのでしょう。

すでにヨーロッパでは建材に活用され、麻の優れた特色が見直されています。

さらには、バクテリアの研究が進み、さまざまな組み合わせにより生物の生命力・原始の力が飛躍的に向上し、環境汚染を修復するパワーにも素晴らしい結果がでつつあります。

クオークのエネルギー活用と大麻の活用、バクテリアの研究だけでも、循環型文化が開花し、自然破壊や環境問題の大部分が解消され、水や食料問題の根源が解決し、エネルギーは各戸、個人で自由に使用でき、資源の争奪戦も激減するはずであり、世界は劇的に変貌するでしょう。

新しい文明、文化の暁の時を想います。

6.「天成る道」謎の国・日本

2013-11-13 18:27:29 | 日記
 ● 日本教

イザヤ・ベンダサン氏が著書「日本人とユダヤ人」で、勝海舟は世界レベルで考えたとしても、一世紀に一人も出ないような超人だが、その勝海舟でさえ無条件で頭を下げる「偉いやつ」の西郷隆盛については、日本人にはそれが分かっても、世界の人々には何が偉いのか分からないだろうと述べていて、その理由を、西郷が日本人にしか分からない根本理念、すなわち日本教の聖者だからに違いないとしています。

日本教とは、日本人が意識するしないとはかかわりなく、民族として言外の言、法外の法にある価値観、人生観ですが、理屈を越えた人間としてのあり方とも言えましょうか。

西郷隆盛の逸話にこんな話があります。

「西郷隆盛は故郷の村に戻り、毎日、田畑を耕していたが、ある日、肥桶を担いで畦道を歩いていると、その土地の武士が隆盛を百姓と勘違いして呼び止め、下駄の鼻緒が切れたから直してくれと言うので、西郷は何の躊躇もなく、その人の頼むがまま下駄の鼻緒を直した。

後年、縁があって西郷はその武士にその話をしたところ、武士は驚いてひたすら謝ったので、西郷は『何の益もないことを話してしまった。ゆるしてくれよ』と笑った」

西郷は押しも押されもしない大人物でありながら、肥桶を平然と担ぎ、人から頼まれれば、汚れた足元に伏して下駄の鼻緒を直しても何の意も無い。

この価値観は宗教そのものであり、こうした人物が人々の心に生き続ける社会は、宗教社会だとイザヤ・ベンダサン氏は言います。

そして彼は、日本人がキリスト教徒となったとしても、けっして日本教をやめること(本当の意味での改宗)は無いだろうとも言い切っています。

実は私も、日本人には宗教がないというのは大きな間違いだと考えていて、宗教が日常生活や社会風習の常識として昇華され入り込んでいたから、あらためて教典化したり、先生が生徒に教示するような必要もないほど、国民の精神レベルが高かっただけのことだと思っています。

この場合、宗教とはわけのわからない超能力とか、本来必要のない戒律や説教染みた訓告ではなく、神界・霊界の実相や自然界に潜む大きな脈絡を含む宇宙の摂理、神の律法のことであって、それが「天成る道」であり、その根本原理が「この世の摂理」でしょう。

そして、それを日本教と言うならばそれも良いと思いますが、逆に考えれば、日本人以外では分からない価値観かもしれません。

ですから、私が幼い頃、家庭内だけでなく、学校や近所の人々から始終聞かされたり、注意を受けていた当たり前の話や言葉に、実は本当に得難い真理の断片が秘められていたのだとつくづく思うのです。

「文明とは道のあまねく行はるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言うには非ず」

この言葉は、その西郷隆盛の遺訓ですが、明治時代は西欧列国に負けないよう富国強兵を合言葉として、欧風文化を積極的に採り入れた時代だったにもかかわらず、彼はその先を見据えていたに違いないと思うのです。

表面的なきらびやかさや物質にとらわれ、欲望に支配される「貪・瞋・痴」の文明、西欧文化の本質は日本を変質させて行くと危惧していたに違いないでしょうが、現代の日本の状況はまさに南洲公の危惧したとおりの世界へ展開しているようです。

ですから、少しでも早く「天成る道」「この世の摂理」に気付いてほしいと願うのです。

自分の真の幸せとは、この世が平和で豊かとなり、一切の生きとし生けるものが楽しく幸せに弥栄えて行く中にしか存在せず、たとえ争いに勝利しても、我欲や利己的欲望を満足させても、一時的には良くてもけっして長続きはしません。

自己の利益追求を捨て、他者の幸せのために自分を用い、一切と和して行く心にしか平安はあり得ません。

「人間の本当の値打ちは、他者の幸せのために、報われない努力をどれだけできるかにある」大神様はこのように仰せであり、我欲から利他愛へ。

唯物志向から唯心へと回帰する努力を重ねたいと思います。

この道は、現代社会では最も厳しい道かもしれませんが、しかし、神道などの世界には残されており、求めて学び、その中から本物を捜し出し、真っ直ぐ歩んでいただきたいと思います。

それは単に、今の不安や苦しみを乗り越えるといった御利益主義な発想ではなく、永遠に続く魂の存在として、いかに安らかで弥栄の道を歩めるか。

いかに清まって霊格の向上ができるのかなど、より高い命題として道を考えたいと思います。

5.「天成る道」謎の国・日本

2013-11-13 18:25:19 | 日記
(4)日本人の使命「この世の摂理」「天成る道」

日本が「日の本・ひのもと」と呼ばれているのは、単に「日出る国」を指し示しているだけでなく、本質は「霊の元」に由来し、かつて日本は世界の精神を支える屋根だったと思います。

しかし、永い歴史の中で本当の日本の姿は抹殺、あるいは歪曲して伝えられてしまったように感じています。

ですが、日本という国に生まれた人々の心の奥底、魂は必ず「天成る道」「この世の摂理」が秘められていると信じていますので、はやく目が覚めてほしいと切に願うのです。

鎌倉時代に浄土宗を開いた法然上人は、幼年を勢至丸と呼ばれ、当時の美作国(岡山県久米郡)でも有数の名家に生まれていますが、9才の時、地方の治安維持のため武士たちを指揮する官職に就いていた父は、明石源内武者定明と争いを起こして夜討ちをかけられ、この時の傷がもとで亡くなっていて、その臨終の際、勢至丸に遺言をこう残したと伝えられています。

「私は今ここに命を終わろうとしている。汝はこれを恥と思い、敵人を恨んではならない。これはもっぱら私の先の世の宿業である。もし汝が父の仇を討とうとして敵を討つならば、また敵の子がその仇を討とうとして、仇はいつまでもつきないであろう。それよりも、すぐに世俗の世界から出家して私の菩提をとむらい、真実の道を求めてほしい」

父の言葉にしたがって出家した勢至丸は、後に「法然」として宗教の歴史に名を残す名僧になったのです。

この法然上人の父親の思想には霊界と現世との関わりや、因縁と宿業と幸せの関連性、怨念の恐ろしさ、そして不徳の理などがきちんと折り込まれ、この世の摂理の真髄に触れ「天成る道」の心を受け継ぐものだと思います。

そして、それはとりもなおさず日本人のあり方を示唆しており、こうした心が鎌倉時代まで色濃く継承されていたことに私は驚き、かつ感動しましたが、心に沸き上がる怨念の炎を消す理性の力、清まり行くための叡知。

怨念を残さないように計らった子孫へ愛は、「臥薪嘗胆」の故事と正反対の、和して成し、生きとし生けるものが弥栄えて行く道を伝える、真の日本人の心に違いないと思います。

日本では、こうした「天成る道」の心が、時代の節目や人の危機的な状況の時にその力が発動され、その都度、人々のために命や人生を懸けて対処、挑戦したり、地域の幸せのために私財を投げ打って行なったなどの話は、枚挙の暇がありません。

伊能忠敬は江戸時代後期、日本で初めて日本全国地図を完成させた人として歴史にその名を留めており、その精度の高さは現在の科学技術と比較しても遜色のない出来映えなので、驚異的な能力の持ち主であったことが窺えますが、彼の本当の素晴らしさはそれだけではないのです。

彼は今の千葉県に生まれ、18才の時養子として伊能家に入り、酒や味噌醤油作りの家業を継ぎましたが既に家運は傾いていました。

しかし、やがて彼の努力で財力も豊かとなり名主にもなった程でしたが、その名主の間に二度、関東一円で飢饉が発生し、多くの村で餓死者、一家離散など痛ましい事態となったのです。

そうした折り、米やその他食料が高騰する中で大儲けをした商人もいましたが、伊能忠敬は二度起きた飢饉に二度とも全財産、蓄えてあった一切の食料を投げうって村の人々を救ったのです。

しかも彼は、こうした非常事態に備えて日頃から質素倹約をし、蓄える努力を重ねており、当然のことをしただけだとして、その後も偉ぶらず淡々と暮らしていたと伝えられています。

ちなみに、日本地図は、そうした苦労を終えた後、日本のために必ず必要となると感じ、50才を越えてから20年近い歳月と多くの私財をかけて、自動車どころか近代の道具もない時代に全国津々浦々、道なき道を徒歩で歩んでなし遂げられた偉業です。

昨今は、こうした話が時代の流れの中に埋もれてしまい、事業や金儲けに成功した人々を偉人として扱う風潮が色濃いようですが、人の為に尽くし、無償の義に生きた人を郷土の偉人として語り継がれていたのは、かつての日本ではどの地方にも数知れずあったはずです。

とくに時代の変わり目には一般民衆の心の中にも「天成る道」が蘇り、そのエネルギーの中から優れた指導者が輩出したと私は思っています。