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クリオネ(Clione)…裸亀貝・Κλει・Clio)

2014-10-18 06:56:09 | 日記


#ккк #クラーケン #単眼症? #ギリシア神話 #Clione #裸亀貝 #ムーサイの一柱クレイオー #Κλει #Clio


#紋別商工会議所
http://p204.pctrans.mobile.yahoo-net.jp/fweb/10181Wd5sJzd7km6/0?_jig_=http%3A%2F%2Fwww.mon-cci.or.jp%2Fkurione%2Fkurione.html&_jig_keyword_=%83N%83%8A%83I%83l&_jig_done_=http%3A%2F%2Fsearch.mobile.yahoo.co.jp%2Fp%2Fsearch%2Fpcsite%2Flist%3Fp%3D%2583N%2583%258A%2583I%2583l&_jig_source_=srch&guid=on


#クリオネ - Wikipedia
http://p222.pctrans.mobile.yahoo-net.jp/fweb/1018eZNEXcvH4r4v/0?_jig_=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2582%25AF%25E3%2583%25AA%25E3%2582%25AA%25E3%2583%258D&_jig_keyword_=%83N%83%8A%83I%83l&_jig_done_=http%3A%2F%2Fsearch.mobile.yahoo.co.jp%2Fp%2Fsearch%2Fpcsite%2Flist%3Fp%3D%2583N%2583%258A%2583I%2583l&_jig_source_=srch&guid=on



クリオネ


ハダカカメガイClione limacina


分類

界 : 動物界 Animalia
門 : 軟体動物門 Mollusca
綱 : 腹足綱 Gastropoda
目 : 裸殻翼足目 Gymnosomata
(後鰓目 Opisthobranchia)
亜目 : (裸殻翼足亜目 Gymnosomata)
科 : ハダカカメガイ科(クリオネ科)Clionidae
属 : クリオネ属 Clione
学名
Clione Pallas, 1774

Clione antarctica

ハダカカメガイClione limacina

ハダカカメガイ。神戸市立須磨海浜水族園での展示。

ハダカカメガイ。オホーツク流氷館での展示。


クリオネ(Clione) は、軟体動物門腹足綱裸殻翼足類(裸殻翼足目、または後鰓目裸殻翼足亜目)ハダカカメガイ科の1属である。

クリオネ属、ハダカカメガイ属。

日本ではハダカカメガイ(裸亀貝)Clione limacinaが知られる。

ギリシア神話に登場する文芸の女神たちムーサイの一柱クレイオー(Κλει ,ラテン語形Clio)に由来する。


特徴[編集]

巻貝の仲間であるが、成長すると完全に貝殻を失う(裸殻翼足類共通の特徴である)。

体は透明な部分が多く、体の前半に局在する内臓のみが不透明である。

胴体の前部に透明な1対の翼足(pteropods) があり、翼足を動かして遊泳する。

この姿から「流氷の天使」あるいは「氷の妖精」と呼ばれ、英語ではsea angelとも呼ばれる[1]。

ただしsea angelはもっと広く、裸殻翼足類の総称的に使われることが多い。


分布[編集]

両極をかこむ寒流域に広く分布している。

日本でも北海道沿岸の海でハダカカメガイClione limacinaが一年中見られる。

カナダ西海岸のクリオネは、体長が一回り大きく、食物の違いで内臓が緑色をしている。


種[編集]

ハダカカメガイ[編集]

北極海、北大西洋、北西太平洋の寒流域に棲息する。

表層0mから600mまで生息し、表層(200m以浅)を中心に分布する[2]。

体長は約1 - 3cm。

体はほぼ円筒形、前方にある左右に張った翼状の足(翼足)を羽ばたくようにして水中を泳ぐ。

体は頭部と腹部に分かれており、半透明で体内が透けて見える。

赤く見えるのは生殖腺や中腸腺である。

遊泳力は強いものではなく、プランクトンとして生活している[2]。

幼年期初期には植物プランクトンをろ過捕食し、成長後に肉食性を示す[2]。

餌は小動物、特に近縁な翼足類のミジンウキマイマイ(Limacina helicina)等。

嗅覚によりそれを見つけると接近し、頭部からバッカルコーン buccal cone(口円錐)と呼ばれる六本の触手を伸ばし、それで餌を抱え込むようにして、その養分をゆっくりと吸収する。

肉食に成長したクリオネは飢餓に強く、1年間の絶食にも耐える[2]。

種小名のlimacinaはラテン語のナメクジ limaxの女性属格(ナメクジの)である。


Clione antarctica[編集]

南極海、カナダ、アラスカ、北欧の寒流域に棲息する。


脚注[編集]

^ 日本おさかな雑学研究会 『頭がよくなる おさかな雑学大事典』 p.100 幻冬舎文庫 2002年

^a b c d 地球の鼓動に耳をすませば -東海大学新聞連載コラム- (32)流氷の使者クリオネ 東海大学新聞掲載日2004年2月20日 著者・浜岡荘司紋別市流氷都市推進室参事 東海大学新聞編集委員会、深海の天使 2013-01-26 13:14:28 沼津港深海水族館・シーラカンスミュージアム公式ブログどちらも2013年1月28日閲覧。


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カテゴリ:
巻貝
北海道



クリオネについて


クリオネは流氷と共にオホーツク海沿岸にやってきます。

クリオネには仲間がいてみんなが知っているクリオネはとてもかわいく見えるクリオネ・リマキナ(学名)という種類の外殻のない動物プランクトンです。

和名が「ハダカカメガイ」で巻き貝の一種、そして陸上生物のナメクジは実は同じ仲間なのです。

一番目立つオレンジ色からピンク色に透けて見える体の色は、内臓器官の生殖腺や中腸腺です。

クリオネの名前の由来はギリシャ語の「ナメクジのような海の女神」という語源からきています。

大きくなってもプランクトンのままで、一生を冷たい海の中で過ごします。

クリオネの頭に見える角の部分は実は触手という器官で、その中に口と内蔵があります。

顔のように見える部分が顔ではなく実は、おなかなのです。

さらに手のように見える翼は翼足といわれる足であり、これをヒラヒラさせて海中を移動しています。

食生活は貝殻のついた同じ種類のリマキナやクリオネ同士で共食いをするといわれています。

ほとんど1種類のエサを食べますが、クリオネの生息するところには、同じ種類のリマキナがたくさんいるのでそれを主食にしているようです。

頭の部分の口から飲み込むように食べる補食シーンはとてもどう猛でおどろおどろしいものがあります。

食べられる仲間の巻き貝は、クリオネヘルシナ(ミジンウキマイマイ)という同じ時期に寒いところに生息する動物プランクトンです。


クリオネの生態

クリオネは北極圏・および南極圏の寒い海に生息し、卵から生まれ、(一度に約1000個生みます)約1年で親になります。

翼足を上下に動かすことで移動し、冬にオホーツク海まで来れるのは、流氷にへばりついてくるためです。

クリオネはオスとメス両方の性質を持っているのでオスになったりメスになったりすることができ(どっち?)、オホーツク海沿岸に来るクリオネは一般的に体長5ミリ~30ミリくらいで生息年数(1年以上は生きる)については現在不明です。

冬に流氷と共にやって(流氷の小さな穴などの中に入り込み)きますが、その後、流氷が溶けだしたり流氷が北へ戻っていく段階でクリオネが海の底へ落ちたりしたときに動物プランクトンとして、魚たち(鮭・マス類)に補食されてしまいます(食物連鎖)。 


クリオネについてのQ&A





クリオネはなぜ体が透けているのか?

クリオネの体が透けているのは、基本的にの話ですが 魚に食べられないようにするための種の保存の遺伝と思われます。

その他に体の成分のほとんどがクラゲに近いような水分で構成されていることもあるとおもいます。


クリオネは、どうやって生まれてくるのですか?

卵からです。

卵を作るとき、まず2匹のクリオネが腹の部分をくっつけます。

その時どちらかがオスになりどちらかがメスになって、メスになったほうの体の中に卵を作ります。

そして約4時間後に生殖孔からゼリー状の卵の塊を海中に放出します。

卵の塊の中の卵の数は、約100から2000個だということです。


クリオネの寿命は、どれ位なのですか?

その生態についてはまだ不確かであり、生態の観測を行ったが、自然界の生態の年数とは違うため比較できないという結果です。

冷蔵庫でエサを与えないで半年以上生息した報告もあり、エサを与えて2年近く生きたものもあります。

実際にはどれくらい生きるのか謎。

長くても成体になってから2~3年が限度かと思われます。(あくまで予想)


このクリオネは死んだの?

クリオネが死んだ状態とは、翼足が白くなり、もげてしまって沈んだ状態のとき。

小さくしぼんで固まって沈んで動かないとき。

赤い部分がはみだした状態で沈んだとき。

死んでいない状態とは、沈んで動かないが、いつもと変わらず透明で翼足がついていて動いていない状態のとき。

沈んでいるがいつもより小さくしぼんでいない状態のとき。

死を判断するというのは、とてもむずかしいことですね。


クリオネは、生まれた時の姿なのですか?

卵から生まれたばかりの時は、ノミみたいなゲジゲジなプランクトンです。

クリオネは3~4日で卵からふ化してからヴェリジャー期幼生になりその2週間後に殻を捨て、多輪型幼生を経て約半年で成体となります。

ヴェリジャー期幼生についての画像写真等探しましたが、幼生の頃の写真を出したホームページはありませんでした。


クリオネには目や鼻や耳や口があるのですか?

クリオネには目はありません。

その代わり角のように見える触角があります。

これが目の代わりになります。

鼻ですが、あるかどうかわからないですが、(海の中では必要ないのでないように思われます。)食べ物を食べるときに開く頭のように思っているおなかの部分にあるかもしれません。

耳ですが、これも触覚が代わりを果たしているとおもわれます。(ないのではないでしょうか。魚などは体の側線という頭からシッポにかけて体を半分に区切っているような線が潜水艦のセンサーのようになっていて耳になっていると聞いたことがあるので、触覚が耳というところでしょうか。)

口ですが、頭のように見える(角のある)おなかの部分が開きそこが口となりガブガブエサを食べます。

開いたおなかの部分からは手の代わりになる触手も伸びてきて、リマキナを押さえつけて食べます。


クリオネは、種類があるのですか?

クリオネの仲間、俗にいうクリオネ科は世界中に16種います。

クリオネに近いクリオネ亜科は、8種ということです。


クリオネを冷蔵庫で飼育できると聞きましたが本当でしょうか?

クリオネですが生息温度は0~4℃が適しているようです。

つまり冷蔵庫の中の温度は安定していて適温ということになります。(細菌が繁殖しないように密栓します。)ここで注意しなければならない点があります。

まず海水で育てることと、こまめに(1~2週間に一度くらいを目安に。)海水は取り替えなければなりません。

それとプランクトンとはいえ、肉食動物なのでエビなどのプランクトンが海水の中にないと長生きできません。

以上を守ることが出来れば1年以上の飼育も可能と思われます。

海水についてですが、オホーツク海の海水でなければいけないと書くと調達が困難になりますので、ここでは別の方法を。

海水については、近くの海岸からペットボトルなどに多めにくんできて、冷蔵庫で冷やし、クリオネの海水をこまめに取り替えてあげることをおすすめいたします。

海水もあまり長く放置すると悪くなるので、3ヶ月以上経過したら捨てて新しい海水をくんできてください。

ペットショップなどで売っている水道水から海水もどきにする方法(カルキ抜き作業水)は自然界で育ったクリオネには厳しいので絶対にやめたほうがいいと思われます。


クリオネは呼吸するのでしょうか?

クリオネは、魚とはちがい、えら呼吸をしません。

ではどうやって酸素を体内に取り入れるかというと、実は体の表面からの皮膚呼吸によって体内に酸素を送り込んでいるのです。

ですので、海水にとけ込んでいる酸素をちょびっとずつ吸収しています。

まめに海水を取り替えてあげればクリオネは呼吸することができます。

海水を換えるときに棒か何かでかき混ぜると酸素が海水に入るかも・・。


クリオネは簡単に捕まえることができるのでしょうか?

クリオネは流氷にくっついてやってきます。

つまり砂浜の岸などに流氷が打ち上げられた流氷と海水の間にクリオネが泳いでいるのを確認できます。

もちろんすくう道具があれば簡単に捕まえることが出来ます。

私も流氷にへばりついているクリオネをじかに見たことがあります。


クリオネは売っていますか?

紋別市内では本当に残念ですが、そのような業者は存在しません。

もしもそのような業者が現れてくれたら、すぐにこのホームページで紹介いたします。

どうしてもという方は、インターネット検索し、網走か釧路か稚内の会議所にでも問い合わせてみてはいかがでしょうか。

都会の熱帯魚等扱っているペットショップ等で季節限定販売しているというメールもいただきました。


クリオネをもらいました。どうやって飼うの?

クリオネの飼い方は難しいです。

水温を下げることのできる水槽をお持ちの方はそれで4度以下に設定できるようにすればいいとおもいます。

そういう設備のない方は冷蔵庫で飼育し、(できればクリオネのみ保管できる冷蔵庫)鑑賞するときだけ外に出して鑑賞します。

次にエサですがクリオネはクリオネヘルシナだけ(ミジンウキマイマイ→生息圏は北極圏から流氷南下したときのオホーツク海沿岸まで)をエサにするということですが、調べたところ動物性プランクトンもエサとしている可能性があるようで、エビの幼生のイサダアミ(冷凍可)と呼ばれる小さな魚のエサになるアミを食べるという情報を見ました。(さだかではないので、保証はできませんが・・・。)これがクリオネを長生きさせてくれるエサのようです。

具体的には僕も飼っていないのでわかりません。ごめんなさい。m(_ _)m


クリオネを飼育している方のホームページはあるの?new!

①東京在住の手島さんが自宅で飼っているクリオネについての日々の生態や観測について自分で気づいた疑問等を詳しく掲載しています。よろしければクリオネ研究のためにご覧下さい。

ここにでていないクリオネを紹介しています。

下のリンクよりクリオネのホームページへ移動します。

http://clione.bunny-grant.net/

株式会社 千秋庵総本家は、北海道函館市にある和菓子店。

2014-10-15 20:12:31 | 日記

#山親爺

千秋庵総本家 - Wikipedia
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♪出てきた出てきた山親爺、笹の葉かついで鮭しょって、スキーにのった山親爺

千秋庵の山親爺、今日のおやつは山親爺、千秋庵の山親爺♪



千秋庵総本家


株式会社千秋庵総本家(せんしゅうあんそうほんけ)は、北海道函館市にある和菓子店。

1860年創業。


概要[編集]

屋号の由来は、創業者の故郷が秋田県の出身からという説が有力である。

函館市内に数店舗を構える地元密着型の和菓子店である。

この店からのれん分けしたいくつかの和菓子店は、その後、著名になったため、函館の千秋庵は「総本家」を名乗っている。

北海道の製菓メーカー札幌千秋庵製菓・六花亭も、歴史を辿ると千秋庵総本家にたどり着く。


千秋庵系和菓子店の系譜[編集]

千秋庵(現:千秋庵総本家) - 1860年創業。

小樽千秋庵 -1894年創業⇒1995年に廃業。

札幌千秋庵 -1921年創業。小樽からの分店。現在の千秋庵製菓。

帯広千秋庵 -1933年創業。札幌からの分店。現在の六花亭。

旭川千秋庵 -1919年創業⇒2008年9月に廃業。

釧路千秋庵 -1934年創業⇒1990年に札幌千秋庵と合併して廃業。


関連項目[編集]

札幌千秋庵製菓

六花亭


外部リンク[編集]

千秋庵総本家

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カテゴリ:
日本の製菓業者
函館市の企業
老舗企業 (江戸時代創業)



札幌千秋庵製菓 - Wikipedia
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札幌千秋庵製菓


千秋庵製菓株式会社
Sapporo Senshuan Inc.

種類 株式会社
本社所在地 日本
〒060-0063
北海道札幌市中央区南3条西3丁目17番地
設立 1921年
業種 食料品
事業内容 和菓子、洋菓子、冷菓類の製造・販売ほか
代表者 岡部卓司(代表取締役会長)
岡部一衛(代表取締役社長)
資本金 1億1600万円

外部リンク 千秋庵製菓株式会社

千秋庵あけぼの店(北海道札幌市手稲区)

千秋庵製菓株式会社(せんしゅうあんせいか)は、北海道札幌市中央区に本社を置く菓子メーカー。

通称名は、札幌千秋庵(さっぽろせんしゅうあん)、千秋庵。


概要[編集]

菓子店の屋号は、「千秋庵」。

主力商品は、山親爺、ノースマンであり、札幌の銘菓でもある。

現在、北海道内で47店舗(チェーン店、デパート店、売店を含む)を有する。

また、インターネット通販も行う。

また、本店内には水が湧いており、無料で飲むことができるようになっている。


歴史[編集]

創業は1921年(大正10年)、札幌で最も繁華な駅前通りと狸小路の交差点に開店、年間400余種類の和洋菓子を製造している。

千秋庵という由来は、当初、1860年に函館で開店した現在の千秋庵総本家が源流。

名称は、初代の故郷が秋田県秋田市という説が有力である。ここから数店の支店が出た。

1894年出店の小樽千秋庵(1995年廃業)で修行した岡部式二が1921年に開業したものが札幌千秋庵である。

つまり、札幌千秋庵は暖簾分けの暖簾分けということになる。

本舗である函館市の「千秋庵総本家」、以前あった「帯広千秋庵」(現在の六花亭)、「小樽千秋庵」、「釧路千秋庵」(1990年頃に札幌千秋庵と合併)、「旭川千秋庵」(2008年廃業)と区別するため、当初の屋号である「札幌千秋庵」のほうが通りがよい。

なお、道内主要都市の店舗は帯広市と函館市以外に出店。

以前は本社のほかに札幌市厚別区にも工場があったが、リストラで2005年に廃止、敷地もマンション道内大手のクリーンリバーに売却されている。


社員教育[編集]

同社は製造部所属の社員を対象とした全国初のパン・菓子科の認定職業訓練による職業能力開発短期大学校を開設している。

千秋庵製菓高等職業訓練校 1970年(昭和45年)開設

千秋庵製菓短期大学校 1987年(昭和62年)開校

この短期大学校では、和菓子の伝統的技術の継承、諸外国との技術交流、コンピューター、バイオテクノロジーといった最先端技術の学習を目標としており、定員10名、修業年限2年で製造原理からデザイン、販売基礎知識を学び、修業後は技能照査に合格すれば技能士補が得られ、技能検定2級(菓子製造職種)の受検資格が付与される。


主な製品[編集]

山親爺(やまおやじ)

北海道産の素材を使用し、香ばしく焼きあげたバター風味の煎餅。

山親爺にはキャラクターがあり、スキーに乗り、笹にサケを刺したものを担いだヒグマが描かれる。

また、同社の看板テレビCMでもあった。

2014年現在、毎週土曜午前9時25分のHBC天気予報枠で放映されている。


ノースマン

道産の小豆餡をパイ生地に包んで焼きあげたもの。


メダルチョコ(金、銀、銅)

メダル型に成型し、各色のアルミ箔で包んだミルクチョコレート。

当時のオリンピックメダル(札幌オリンピック)がモチーフ。

など


店舗がある市町村[編集]

札幌市

岩見沢市(ダイエー岩見沢店内他1店)

小樽市(マックスバリュ手宮店内)

旭川市(旭川西武内)

室蘭市(ホテルサンルート内)

苫小牧市

新ひだか町(イオン北海道ポスフール静内店内)

北見市(イオン北海道ポスフール北見店内)

釧路市(イオン北海道ジャスコ釧路店内他1店)


関連項目[編集]

千秋庵総本家

六花亭


外部リンク[編集]

千秋庵製菓株式会社

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日本の製菓業者
札幌市中央区の企業
1921年設立の企業

ユニバーサル・スタジオ 中国で開業へ…だからアジアは嫌いだ

2014-10-14 12:46:40 | 日記
#ккк #ррр #蘇我森 #咒 #蕋Lg

ニュース> #ユニバーサル_スタジオ #中国 開業へ - モバゲー
http://mbga.jp/.m278d32d/_news_item?id=2894531&mbtk=itemre

だからアジアは嫌いだ。



ユニバーサル・スタジオ 中国で開業へ


ハリウッド映画のテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ」が、5年後をメドに中国で初めて北京にオープンすることになった。

ユニバーサルや出資する中国国営の旅行会社によると、「ユニバーサル北京」は広さが約120ヘクタール、東京ドーム25個分以上になる予定で、2019年の開業を目指す。アジアでは大阪、シンガポールに続き3か所目で、中国へは初めての進出。

中国では娯楽需要の高まりを受け、来年の開業に向け、上海でディズニーランドの建設も進むなど、大型テーマパークの進出が相次いでいる。

建設予定地に住む住民は立ち退きを迫られているということで、不満の声も聞かれた。


((c)日テレNEWS24 10/13 21:03)

グリーングラス → テンポイント、トウショウボーイ…TTG

2014-10-14 10:48:48 | 日記
#グリーングラス - Wikipedia
http://p214.pctrans.mobile.yahoo-net.jp/fweb/1014anBk21aE33iK/0?_jig_=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2582%25B0%25E3%2583%25AA%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25B3%25E3%2582%25B0%25E3%2583%25A9%25E3%2582%25B9&_jig_keyword_=%83O%83%8A%81%5B%83%93%83O%83%89%83X&_jig_done_=http%3A%2F%2Fsearch.mobile.yahoo.co.jp%2Fp%2Fsearch%2Fonesearch%3Fp%3D%2583O%2583%258A%2581%255B%2583%2593%2583O%2583%2589%2583X%26fr%3Dm_top_y&_jig_source_=srch&guid=on



グリーングラス

英字表記 Green Glass
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 黒鹿毛
生誕 1973年4月5日
死没 2000年6月19日
父 インターメゾ
母 ダーリングヒメ
母の父 ニンバス
生国 日本(青森県七戸町)
生産 諏訪牧場
馬主 半沢吉四郎
調教師 中野吉太郎(中山)→中野隆良(中山→美浦)
競走成績

生涯成績 26戦8勝
獲得賞金 3億2845万1400円



グリーングラスは、日本の競走馬である。

テンポイント、トウショウボーイとともに、3頭の馬の頭文字を取ってTTGと称され、三強の一角を担った。

クラシック戦線最後の菊花賞で花開いた晩成の馬で、第三の男とも呼ばれた。

競走成績26戦8勝。

おもな勝ち鞍は菊花賞、天皇賞(春)、有馬記念など。

1979年には年度代表馬と最優秀5歳以上牡馬に選出される。

妹に1979年のクイーンステークスの勝ち馬ハザマファーストがいる。

馬齢については原則旧表記(数え)とする。


生涯[編集]

誕生・デビュー前[編集]

1973年4月5日、青森県七戸町の諏訪牧場に生まれる。

父インターメゾはセントレジャーステークスの勝馬で、競走馬引退後間もなく輸入されグリーングラスがセカンドクロップに当たる新種牡馬、母ダーリングヒメはダービーステークス、2000ギニーの二冠を制したニンバス産駒で、七夕賞や福島大賞典を勝った活躍馬だった。

牧場主の間梯三によれば、当歳時は「ホレボレするような馬」で、「欲しいという人が何人もいて、どこに行かせたらよいか困った」というほど際立っていた。

しかし2歳春になると背が伸びだし、10月の時点で体高(キ甲=首と背の境から足元まで)は163cmに達していた[1] [注 1]。

1974年11月、馬主の半沢吉四郎の地元福島競馬場へ入厩。

調教の動きから早くから評判となり、3歳の4月になると福島遠征中の増沢末夫が毎朝自主的に調教を買って出たりしている。

半沢によればこのとき増沢は「ハイセイコー以上」とコメントしたという[2] [注 2]。

その後中山競馬場の中野厩舎へ入厩したが[注 3]、風邪をこじらせてしまい3歳時は未出走に終わる。


競走馬時代[編集]

4歳(1976年)[編集]

1976年1月31日、郷原洋行を鞍上にデビュー戦を迎え、2番人気に支持されたが4着に終わる。

同レースを1番人気で楽勝したのは、後にライバルとなるトウショウボーイである。

また、ミスターシービー(父はトウショウボーイ)を産むシービークインも出走していた。

同年3月13日の未勝利戦で3戦目にしてようやく初勝利を飾る。

しかし続く300万下では4着、東京優駿(日本ダービー)出走へ僅かな望みをかけて出走したNHK杯では1勝馬ながら5番人気に支持されたが12着と大敗。

トウショウボーイが既に皐月賞を勝ち、東京優駿(日本ダービー)2着となってクラシック戦線の主役だったのに対し、グリーングラスの春はほとんど無名であった。

秋を迎え、関西でトウショウボーイが京都新聞杯を勝利した10月24日、中山競馬場で鹿島灘特別をアタマ差で制し、ようやく3勝目を挙げる[注 4]。

迎えた11月14日の第55回菊花賞は獲得賞金順で21頭立ての21番目、回避馬による繰り上がり出走と、まさに滑り込みであった[注 5]。

皐月賞優勝馬トウショウボーイ、東京優駿(日本ダービー)優勝馬クライムカイザー、実績馬テンポイントがそれぞれ1、2、3番人気の中、グリーングラスは12番人気に過ぎなかった。

同レースは、最後の直線でテンポイントがトウショウボーイを交わし最後の一冠を手にすると思われた瞬間、グリーングラスがコースの内側からするすると伸びてきて、2馬身半の差を付け勝利した[注 6] [注 7]。

この菊花賞はTTGが初めて顔を揃えたレースでもあり、三強時代の幕開けと言えるレースとなった。

また、鞍上の安田富男はクラシック初騎乗で初勝利と言う偉業を達成した[注 8]。

尚、グリーングラスの単勝5250円は、2013年現在でも菊花賞の単勝最高払い戻し金額である。


5歳(1977年)[編集]

1977年1月23日、有馬記念に予備登録すらなかったグリーングラスはアメリカジョッキークラブカップに出走、3番人気であったが前年の天皇賞(秋)優勝馬アイフルらを相手にレコードタイムで完勝し、菊花賞がフロックでないことを証明した[注 9]。

中間歯替わりと虫歯で順調さに欠いた天皇賞(春)は、菊花賞同様インコースを突くもテンポイントに雪辱を果たされ4着に敗れる(トウショウボーイは不出走)。

続く第18回宝塚記念は、TTG二度目の顔合わせとなった。

6頭立てながらアイフル、クライムカイザー、後の天皇賞(秋)優勝馬ホクトボーイと実力馬が揃い、TTGが上位人気を分け合った。

結局逃げたトウショウボーイが勝利、2着テンポイント、グリーングラスは3着に終わる。

その後嶋田功騎手に乗り替わり、7月3日の日本経済賞をレコードタイムで勝利している。

秋を迎えると11月27日の天皇賞(秋)に出走。

脚部不安と熱発もあり、休養明けと順調さに欠いたものの、トウショウボーイに次ぐ2番人気となる。

しかし向こう正面よりトウショウボーイと競り合いとなり、両者共倒れでホクトボーイの5着に敗れる[注 10]。

そして12月18日の有馬記念はTTG三度目、そして最後の顔合わせとなる。

このレースは、終始テンポイントとトウショウボーイのマッチレースで進み、結果は1着テンポイント、2着トウショウボーイだった。

グリーングラスはこれに半馬身まで迫る3着であったが、4着の菊花賞馬プレストウコウは6馬身もの差をつけられており、TTに肉薄できたのは唯一この馬だけで、負けはしたが三強と呼ばれるに相応しい実力を見せた[注 11]。(レースに関する詳細については第22回有馬記念を参照)


6歳(1978年)[編集]

アメリカジョッキークラブカップで2着、落馬負傷の嶋田功から岡部幸雄に乗り替わったオープン競走で3着したグリーングラスは、1978年4月29日の天皇賞(春)に出走する。

今回も不調が伝えられ天皇賞は同馬にとって鬼門となりつつあったが、直前の調教で急上昇、1番人気に支持される。

そしてこのレースでも京都コースのインを抜け出したグリーングラスは、トウフクセダン、カシュウチカラらを抑え、二つ目の八大競走勝ちを収める[注 12](鞍上の岡部騎手も天皇賞初制覇)。

しかしこの年の勝鞍はこれのみで、続く宝塚記念はエリモジョージの2着、脚部不安と感冒により宝塚記念以来となった暮れの有馬記念では、カネミノブの6着に敗れた。


7歳(1979年)[編集]

この年のグリーングラスは更に脚部不安に苦しめられ、アメリカジョッキークラブカップ2着後、4ヶ月ぶりのぶっつけで宝塚記念に出走したが3着[注 13]。

結局この2戦のみでシーズン後半を迎え、休養明けのオープン競走を2着して久々に調子を上げて挑んだ12月16日の有馬記念が、引退レースとなることが決定した。

この第24回有馬記念では、東京優駿(日本ダービー)と宝塚記念を制した2歳年下のサクラショウリに1番人気を譲るものの、グリーングラスは2番人気に支持された。

このラストランで、鞍上には大崎昭一を迎えて挑み、早めのスパートを仕掛けてメジロファントムの猛追をハナ差で凌ぎ、三つ目のタイトルを獲得。

かつてのライバル、トウショウボーイやテンポイントが果たせなかった有終の美を飾り、TTG最後の一頭がターフを去ることとなった。

この年、グリーングラスはようやく現役最後の年にして、トウショウボーイ・テンポイントと同じく年度代表馬を受賞した。


競走馬引退後[編集]

引退後は種牡馬となった。

晩成の長距離血統と思われたせいか産駒にさほど恵まれなかったが、数少ない産駒の中からリワードウイングが産まれ、同馬が1985年のエリザベス女王杯を制したことでGI馬の父となる。

他にも金杯(東)・アメリカジョッキークラブカップ)を勝ち、引退後には東京競馬場で誘導馬を勤めたトウショウファルコや短距離戦線で活躍したトシグリーン、阪神3歳ステークス3着、弥生賞2着のツルマルミマタオーなどを輩出している。

ライバルの大半が早期に引退したのに比べ、グリーングラスは7歳まで現役を続けていたために晩成馬という見方も可能であるが、決して単純な晩成ステイヤー種牡馬ではなかったようである。

1996年に種牡馬を引退。

その後は佐賀県のエンドレスファームにて余生を送ったが、2000年6月12日、放牧中アブに刺され驚いて柵に激突し右前脚を骨折、懸命な治療が続けられたが、6月19日に予後不良の診断を下されて安楽死となった。

28歳。

墓は最後に余生を送ったエンドレスファームに建てられている。

2004年8月15日、JRAゴールデンジュビリーキャンペーンの「名馬メモリアル競走」として「グリーングラスメモリアル」が小倉競馬場で施行された(尚、グリーングラスは小倉競馬場で出走したことがない)。


競走成績[編集]

年月日 競馬場 競走名 頭
数 馬
番 人気 着順 距離 タイム 騎手 着差 勝ち馬 / (2着馬)
1976 1. 31 東京 4歳新馬 18 9 2人 4着 芝1400m(良) 1.26.3 郷原洋行 -1.6秒 トウショウボーイ
2. 22 東京 4歳新馬 19 14 2人 4着 芝1600m(稍) 1.39.9 郷原洋行 -1.2秒 ローヤルセイカン
3. 13 中山 未出未勝 13 1 1人 1着 ダ1700m(良) 1.47.8 郷原洋行 1/2馬身 (バイエル)
4. 4 中山 300万下 12 9 1人 4着 ダ1800m(不) 1.53.6 郷原洋行 -0.4秒 レッドフラッシュ
5. 9 東京 NHK杯 16 9 5人 12着 芝2000m(良) 2.03.9 郷原洋行 -1.5秒 コーヨーチカラ
6. 6 東京 あじさい賞 12 7 2人 1着 芝2000m(重) 2.06.0 安田富男 クビ (キシュウリュウ)
7. 10 中山 マーガレット賞 17 10 2人 2着 芝2000m(良) 2.03.1 岡部幸雄 -0.1秒 トウフクセダン
10. 3 東京 中距離H 17 4 2人 2着 芝2000m(良) 2.02.1 安田富男 -0.3秒 トミカゼ
10. 24 中山 鹿島灘特別 7 1 1人 1着 芝2000m(重) 2.06.6 安田富男 アタマ (シマノカツハル)
11. 14 京都 菊花賞 21 11 12人 1着 芝3000m(重) 3.09.9 安田富男 2 1/2馬身 (テンポイント)
1977 1. 23 東京 AJCC 13 12 3人 1着 芝2400m(良) R2.26.3 安田富男 2 1/2馬身 (ヤマブキオー)
2. 20 東京 目黒記念(春) 13 1 1人 2着 芝2500m(良) 2.34.6 安田富男 -0.4秒 カシュウチカラ
4. 29 京都 天皇賞(春) 14 2 2人 4着 芝3200m(稍) 3.22.0 安田富男 -0.3秒 テンポイント
6. 5 阪神 宝塚記念 6 6 3人 3着 芝2200m(良) 2.13.8 安田富男 -0.8秒 トウショウボーイ
7. 3 中山 日本経済賞 10 4 1人 1着 芝2500m(良) R2.33.8 嶋田功 5馬身 (トウカンタケシバ)
11. 27 東京 天皇賞(秋) 12 10 2人 5着 芝3200m(稍) 3.23.4 嶋田功 -0.9秒 ホクトボーイ
12. 18 中山 有馬記念 8 6 3人 3着 芝2500m(良) 2.35.6 嶋田功 -0.2秒 テンポイント
1978 1. 22 東京 AJCC 6 2 1人 2着 芝2400m(良) 2.28.9 嶋田功 -0.0秒 カシュウチカラ
4. 9 中山 オープン 12 12 2人 3着 芝1800m(良) 1.50.6 岡部幸雄 -0.1秒 プレストウコウ
4. 29 京都 天皇賞(春) 16 3 1人 1着 芝3200m(稍) 3.20.8 岡部幸雄 1馬身 (トウフクセダン)
6. 4 阪神 宝塚記念 7 3 1人 2着 芝2200m(重) 2.14.8 岡部幸雄 -0.6秒 エリモジョージ
12. 17 中山 有馬記念 15 1 3人 6着 芝2500m(良) 2.34.2 岡部幸雄 -0.8秒 カネミノブ
1979 1. 21 東京 AJCC 9 5 2人 2着 芝2400m(良) 2.29.3 岡部幸雄 -0.3秒 サクラショウリ
6. 3 阪神 宝塚記念 13 6 7人 3着 芝2200m(良) 2.12.7 岡部幸雄 -0.3秒 サクラショウリ
11. 10 東京 オープン 5 3 1人 2着 芝1800m(稍) 1.48.9 岡部幸雄 -0.9秒 メジロイーグル
12. 16 中山 有馬記念 16 3 2人 1着 芝2500m(良) 2.35.4 大崎昭一 ハナ (メジロファントム)

1 タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

2 太字の競走は八大競走。


主な勝鞍[編集]

(GI級) - 菊花賞、天皇賞(春)、有馬記念

(GII級) - アメリカジョッキークラブカップ、日経賞


騎乗騎手[編集]

郷原洋行 デビュー戦からNHK杯まで5戦連続

安田富男 2勝目を挙げた初騎乗から、5歳時の宝塚記念まで8戦。

嶋田功 5歳時の宝塚記念の次走日経賞から、6歳時のアメリカジョッキークラブカップまで4戦連続。

岡部幸雄 6歳時のアメリカジョッキークラブカップの次走4月9日オープン戦から、7歳時11月10日のオープン戦までなど8戦。

大崎昭一 引退レースとなった7歳時の有馬記念のみの騎乗。

嶋田功から岡部幸雄への乗り替わりは嶋田の負傷によるもの。

有馬記念での岡部幸雄から大崎昭一への乗り替わりは、岡部がハツシバオーに騎乗したことによるものである。


種牡馬成績[編集]

リワードウイング- エリザベス女王杯

トウショウファルコ- アメリカジョッキークラブカップ、金杯(東)

トシグリーン-CBC賞、京王杯オータムハンデキャップ

ツルマルミマタオー-弥生賞2着、阪神3歳ステークス3着、東京優駿(日本ダービー)4着

グリーンカップ-セントライト記念2着

チャームダンサー-東京プリンセス賞

グリーンタイセイ-北海優駿、農林水産大臣賞典(札幌)

オーバーパパグラス- 2勝、神戸新聞杯6着

母の父
ザスクープ-京都大障害


総評[編集]

スピードのある「近代型ステイヤー」と評されたグリーングラスだが[3]、細身ながら一般的なステイヤーとはかけ離れた大柄な馬体[注 14]。

それ故に古馬になってからは大形馬の宿命・脚部不安に悩まされ[注 15]、6歳以降の出走回数は4歳時の10戦を下回る9戦だけに止まった。

またインを突くコーナーリングについては同馬がラチを頼って走る癖があるためでもあり[4]、器用なタイプとは断定するのは難しい[注 16]。

グリーングラスが勝つときは直線で先頭に躍り出て他馬の追撃を振り切っている。

また悍性が強くステイヤーとしては落ち着きに欠き、レース中騎手との折り合いを欠く場面もしばしば見られた[注 17] [注 18]。

全26戦中掲示板を外したのが僅かに2回のみなので安定していると言えないこともないが、これまた大型馬にありがちな瞬発力不足で、いまひとつ勝ち切れなかった故の結果である。

そのため優勝回数及び勝率は明らかにトウショウボーイ、テンポイントに見劣りする。

また、獲得した3つのタイトルの内、ライバルを負かして手に入れたのは菊花賞のみである上、同レースでは人気薄でインコースから出し抜けを食らわすような戦法だったのも2頭より格下として見られる要因となっている。

それでもなおグリーングラスが三強の一角として最強世代の1頭として名が後世に称えられているのは、揃って出走したレースは必ずこの3頭が上位を独占したこと、TTが去った後も第一線で活躍し続けたこと、TTも果たしたように有馬記念を制して年度代表馬に選ばれたこと、それと同時にタイトル数でライバルに並んだこと[注 19]など、馬自身の実績としても優れている点が挙げられる。

また、グリーングラスの6歳時以降の活躍は、自身のみならずTT2頭の評価をさらに高めることにもなった。

TTGの中では唯一顕彰馬に選出されていないが、グリーングラスはクラシック、天皇賞、グランプリ競走のいずれをも制し[注 20]、3頭の中で最も多く賞金を獲得し、最も長寿であった。

種牡馬としても、国内産種牡馬不利の情勢下の中で1頭ながらGI馬を出している。

補注

「1年の半分は温泉[注 21]暮らし」と揶揄されていたように、本馬の競走成績は体調面で評価し辛い面がある[注 22]。

次のコメントは騎乗していた岡部幸雄のものである[5]。

「この馬は、はっきりしている。使わないと[注 23]、絶対走らない。1回でも使うとコロッと変わる馬なんだ[注 24](...)別の馬になったような変わりようだった。」 「脚が痛くないときは、競馬の内容が違っていた(...)ほかの馬はおかまいなし。展開もなにもない。行きたいところから行けば、それで力で押し切っちゃう。」 「脚がなんともなかったら、どうなっていただろうね。5歳なんか、負けなかったんじゃないだろうか[注 25]。」


血統表[編集]

グリーングラスの血統(ハイペリオン系/ Hyperion3×5=15.63% Nearco5×3=15.63%)



*インターメゾ
Intermezzo
1966 黒鹿毛 Hornbeam
1953 栗毛 Hyperion Gainsborough
Selene
Thicket Nasrullah
Thorn Wood
Plaza
1958 鹿毛 Persian Gulf Bahram
Double Life
Wild Success Niccolo Dell'Arca
Lavinia



ダーリングヒメ
1964 栗毛 *ニンバス
Nimbus
1946 鹿毛 Nearco Pharos
Nogara
Kong Baytown
Clang
ダーリングクイン
1958 栃栗毛 *ゲイタイム
Gay Time Rockfella
Daring Miss
ダーリング *セフト
第弐タイランツクヰーンF-No.14-f
母ダーリングヒメは1968年の福島大賞典、七夕賞の勝ち馬。曾祖母ダーリングはトキノミノルの1歳上の全姉。


脚注[編集]

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注釈[編集]

^ 当時、中野吉太郎は「キュウリにワリバシを刺したみたいだ」とよく言っていたという(白井1980、20頁)。競走馬引退時には体高170cmに達しており、細身の馬体は曾祖母ダーリング(トキノミノルの全姉)の系統の特徴という(白井1980、28頁)。

^ 後に菊花賞をグリーングラスで制した安田富男も福島に遠征してきており、この頃から同馬への騎乗を希望していた(白井1980、23頁)。

^ 美浦トレーニングセンターの開設は1978年4月。

^ 菊花賞の3週間前だった。

^ 中野隆良は、レースで立て続けに不利を被るなど馬自身に運がなかったが、鹿島灘特別を写真判定で勝ってから勝負運が激変した、と語っている(白井1980、20頁)。

^ なお、熱烈なテンポイントファンでこのレースを実況していた杉本清(KTVアナウンサー)は、僅かに絶句した後、絞り出すような声でグリーングラスの勝利を告げている。

^ レース後、グリーングラスの勝利をフロック視する声に対し武田文吾は、「空を飛ぶような末足だった」とこれを否定している。

^ 後に中央競馬の全競馬場での重賞競走優勝を達成した安田にとって、これが唯一の京都競馬場での重賞勝ちでもあった。

^ 中野は、グリーングラスが勝ったレースでは一番強かったと評している(白井1980、21頁)。同レースにハーバーヤングに騎乗し4着となった岡部幸雄も、「向こう正面の坂のあたりから行ってもっちゃうんだから。(...)馬力が違うっていうかんじだった。」と語っている(同、26頁)。しかしこれ以降、グリーングラスは両前の球節など慢性の脚部不安に苦しめられる(同、21頁)。

^ 競り合ったトウショウボーイは7着、テンポイントは当時の天皇賞勝ち抜けルールで出走できなかった。

^ このレースの後、トウショウボーイは引退し、TTGが2度と揃うことはなかった。テンポイントは翌年の日本経済新春杯で故障し、闘病生活の末に死亡している。

^ グレード制の導入は1984年。

^ このときのグリーングラスは非常に状態が悪く、騎乗していた岡部は(休み明けであれだけのレースが出来れば)「もう暮れの有馬記念は勝つだろうと思っていた」という(白井1980、26頁)。

^ 当時の馬としては重い、同期のトウショウボーイに勝るとも劣らない500キロ前後の馬体であった。

^ 補注に詳しいが、それほど体質も強くない。

^ 第22回有馬記念について後に安田は、内に入れていればグリーングラスが勝っていた旨述べており、騎乗していた嶋田功も最後の直線、内に切れ込んでしまい追い切れなかったと発言している。ただし当時、この時期の中山は内が極端に荒れており、内ラチ沿いを走らせる騎手は皆無だった。

^ 中野、安田が第75回天皇賞の敗因の一つに挙げている(白井1980、21頁24頁)。

^ 6歳時以降は気性も落ち着き、大崎昭一は素直で利口な馬と評している(白井1980、27頁)。

^ ただし、グレード制導入以前であるため、グリーングラスは当時、格の高い競走として認識されていた八大競走を三つ制していることになる。トウショウボーイが制した宝塚記念・テンポイントが制した阪神3歳ステークスは八大競走ではない。

^ テンポイントはクラシックを、トウショウボーイは天皇賞を勝っていない。

^ 福島県いわき市の競走馬総合研究所常磐支所。温泉治療施設がある。通称「馬の温泉」。

^ 競走成績で見たように感冒や熱発も多い。体質面の弱さは産駒にも受け継がれたようで、能力のある馬は故障で大成を阻まれるケースが多かった。

^ 「レースに使わないと」の意。

^ しかし続けて使うと脚を痛がった。

^ 旧表記、現4歳。TTとしのぎを削った時期をこのように評していたのは注目される。


出典[編集]

^ 白井1980、28頁

^ 白井1980、18頁

^ 白井1980、35頁

^ 白井1980、24頁

^ 白井1980、25頁26頁


参考文献[編集]

白井透(編)「特集グリーングラス」、『競馬四季報』通巻36号、サラブレッド血統センター、1980年、 1-39頁。


外部リンク[編集]

競走馬成績と情報netkeiba、JBISサーチ


表彰・GI勝ち鞍


優駿賞年度代表馬

啓衆社賞
1954ハクリヨウ / 1955オートキツ / 1956メイヂヒカリ / 1957ハクチカラ / 1958オンワードゼア / 1959ウイルデイール / 1960コダマ / 1961ホマレボシ / 1962オンスロート / 1963メイズイ&リユウフオーレル / 1964シンザン / 1965シンザン / 1966コレヒデ / 1967スピードシンボリ / 1968アサカオー / 1969タケシバオー / 1970スピードシンボリ / 1971トウメイ


優駿賞
1972イシノヒカル / 1973タケホープ / 1974キタノカチドキ / 1975カブラヤオー / 1976トウショウボーイ / 1977テンポイント / 1978カネミノブ / 1979 グリーングラス / 1980ホウヨウボーイ / 1981ホウヨウボーイ / 1982ヒカリデユール / 1983ミスターシービー / 1984シンボリルドルフ / 1985シンボリルドルフ / 1986ダイナガリバー


JRA賞
1980年代
1987サクラスターオー / 1988タマモクロス / 1989イナリワン


1990年代
1990オグリキャップ / 1991トウカイテイオー / 1992ミホノブルボン / 1993ビワハヤヒデ / 1994ナリタブライアン / 1995マヤノトップガン / 1996サクラローレル / 1997エアグルーヴ / 1998タイキシャトル / 1999エルコンドルパサー


2000年代
2000テイエムオペラオー / 2001ジャングルポケット / 2002シンボリクリスエス / 2003シンボリクリスエス / 2004ゼンノロブロイ / 2005ディープインパクト / 2006ディープインパクト / 2007アドマイヤムーン / 2008ウオッカ / 2009ウオッカ


2010年代
2010ブエナビスタ / 2011オルフェーヴル / 2012ジェンティルドンナ / 2013ロードカナロア


優駿賞最優秀5歳以上牡馬

(旧)最優秀5歳以上牡馬

1950年代

54ハクリヨウ / 55ダイナナホウシユウ / 56メイヂヒカリ / 57ハクチカラ / 58オンワードゼア / 59クリペロ


1960年代

60オーテモン / 61タカマガハラ / 62オンスロート / 63リユウフオーレル / 64ヤマトキヨウダイ / 65シンザン / 66コレヒデ / 67スピードシンボリ / 68ヒカルタカイ / 69タケシバオー


1970年代

70スピードシンボリ / 71メジロムサシ / 72ヤマニンウエーブ / 73タニノチカラ / 74タニノチカラ / 75フジノパーシア / 76アイフル / 77テンポイント / 78カネミノブ / 79グリーングラス


1980年代

80ホウヨウボーイ / 81ホウヨウボーイ / 82ヒカリデユール / 83キョウエイプロミス / 84カツラギエース / 85シンボリルドルフ / 86サクラユタカオー / 87ニッポーテイオー / 88タマモクロス / 89イナリワン


1990年代

90オグリキャップ / 91メジロマックイーン / 92メジロパーマー / 93ヤマニンゼファー / 94ビワハヤヒデ / 95サクラチトセオー / 96サクラローレル / 97マーベラスサンデー / 98タイキシャトル / 99エルコンドルパサー


2000年代

00テイエムオペラオー


最優秀4歳以上牡馬

2000年代

01アグネスデジタル / 02マンハッタンカフェ / 03シンボリクリスエス / 04ゼンノロブロイ / 05ハーツクライ / 06ディープインパクト / 07アドマイヤムーン / 08スクリーンヒーロー / 09ドリームジャーニー


2010年代

10ナカヤマフェスタ / 11ヴィクトワールピサ / 12オルフェーヴル / 13オルフェーヴル


1 2001年より馬齢表記法が数え年から満年齢に移行
*2 1954-1971年は「啓衆社賞」、1972-1986年は「優駿賞」として実施


菊花賞勝ち馬

1930年代
第1回テツモン /第2回マルタケ


1940年代
第3回テツザクラ / 第4回セントライト / 第5回ハヤタケ / 第6回クリフジ / 第7回アヅマライ / 第8回ブラウニー / 第9回ニユーフオード / 第10回トサミドリ


1950年代
第11回ハイレコード / 第12回トラツクオー / 第13回セントオー / 第14回ハクリヨウ / 第15回ダイナナホウシユウ / 第16回メイヂヒカリ / 第17回キタノオー / 第18回ラプソデー / 第19回コマヒカリ / 第20回ハククラマ


1960年代
第21回キタノオーザ / 第22回アズマテンラン / 第23回ヒロキミ / 第24回グレートヨルカ / 第25回シンザン / 第26回ダイコーター / 第27回ナスノコトブキ / 第28回ニツトエイト / 第29回アサカオー / 第30回アカネテンリュウ


1970年代
第31回ダテテンリュウ / 第32回ニホンピロムーテー / 第33回イシノヒカル / 第34回タケホープ / 第35回キタノカチドキ / 第36回コクサイプリンス / 第37回グリーングラス / 第38回プレストウコウ / 第39回インターグシケン / 第40回ハシハーミット


1980年代
第41回ノースガスト / 第42回ミナガワマンナ / 第43回ホリスキー / 第44回ミスターシービー / 第45回シンボリルドルフ / 第46回ミホシンザン / 第47回メジロデュレン / 第48回サクラスターオー / 第49回スーパークリーク / 第50回バンブービギン


1990年代
第51回メジロマックイーン / 第52回レオダーバン / 第53回ライスシャワー / 第54回ビワハヤヒデ / 第55回ナリタブライアン / 第56回マヤノトップガン / 第57回ダンスインザダーク / 第58回マチカネフクキタル / 第59回セイウンスカイ / 第60回ナリタトップロード


2000年代
第61回エアシャカール / 第62回マンハッタンカフェ / 第63回ヒシミラクル / 第64回ザッツザプレンティ / 第65回デルタブルース / 第66回ディープインパクト / 第67回ソングオブウインド / 第68回アサクサキングス / 第69回オウケンブルースリ / 第70回スリーロールス


2010年代
第71回ビッグウィーク / 第72回オルフェーヴル / 第73回ゴールドシップ / 第74回エピファネイア


天皇賞(春)勝ち馬

1930年代
1938ハセパーク / 1939スゲヌマ


1940年代
1940トキノチカラ / 1941マルタケ / 1942ミナミモア / 1943グランドライト / 1944ヒロサクラ / 1945 開催中止 / 1946 開催中止 / 1947オーライト / 1948シーマー / 1949ミハルオー


1950年代
1950オーエンス / 1951タカクラヤマ / 1952ミツハタ / 1953レダ / 1954ハクリヨウ / 1955タカオー / 1956メイヂヒカリ / 1957キタノオー / 1958オンワードゼア / 1959トサオー


1960年代
1960クリペロ / 1961ヤマニンモアー / 1962オンスロート / 1963コレヒサ / 1964ヒカルポーラ / 1965アサホコ / 1966ハクズイコウ / 1967スピードシンボリ / 1968ヒカルタカイ / 1969タケシバオー


1970年代
1970リキエイカン / 1971メジロムサシ / 1972ベルワイド / 1973タイテエム / 1974タケホープ / 1975イチフジイサミ / 1976エリモジョージ / 1977テンポイント / 1978グリーングラス / 1979カシュウチカラ


1980年代
1980ニチドウタロー / 1981カツラノハイセイコ / 1982モンテプリンス / 1983アンバーシャダイ / 1984モンテファスト / 1985シンボリルドルフ / 1986クシロキング / 1987ミホシンザン / 1988タマモクロス / 1989イナリワン


1990年代
1990スーパークリーク / 1991メジロマックイーン / 1992メジロマックイーン / 1993ライスシャワー / 1994ビワハヤヒデ / 1995ライスシャワー / 1996サクラローレル / 1997マヤノトップガン / 1998メジロブライト / 1999スペシャルウィーク


2000年代
2000テイエムオペラオー / 2001テイエムオペラオー / 2002マンハッタンカフェ / 2003ヒシミラクル / 2004イングランディーレ / 2005スズカマンボ / 2006ディープインパクト / 2007メイショウサムソン / 2008アドマイヤジュピタ / 2009マイネルキッツ


2010年代
2010ジャガーメイル / 2011ヒルノダムール / 2012ビートブラック / 2013フェノーメノ / 2014フェノーメノ


有馬記念勝ち馬

1950年代
第1回メイヂヒカリ / 第2回ハクチカラ / 第3回オンワードゼア / 第4回ガーネツト


1960年代
第5回スターロツチ / 第6回ホマレボシ / 第7回オンスロート / 第8回リユウフオーレル / 第9回ヤマトキヨウダイ / 第10回 シンザン / 第11回コレヒデ / 第12回カブトシロー / 第13回リュウズキ / 第14回スピードシンボリ


1970年代
第15回スピードシンボリ / 第16回トウメイ / 第17回イシノヒカル / 第18回ストロングエイト / 第19回タニノチカラ / 第20回イシノアラシ / 第21回 トウショウボーイ / 第22回 テンポイント / 第23回カネミノブ / 第24回 グリーングラス


1980年代
第25回ホウヨウボーイ / 第26回アンバーシャダイ / 第27回ヒカリデユール / 第28回リードホーユー / 第29回 シンボリルドルフ / 第30回シンボリルドルフ / 第31回ダイナガリバー / 第32回 メジロデュレン / 第33回 オグリキャップ / 第34回 イナリワン


1990年代
第35回 オグリキャップ / 第36回ダイユウサク / 第37回メジロパーマー / 第38回 トウカイテイオー / 第39回 ナリタブライアン / 第40回マヤノトップガン / 第41回サクラローレル / 第42回シルクジャスティス / 第43回グラスワンダー / 第44回 グラスワンダー


2000年代
第45回テイエムオペラオー / 第46回マンハッタンカフェ / 第47回シンボリクリスエス / 第48回シンボリクリスエス / 第49回ゼンノロブロイ / 第50回 ハーツクライ / 第51回 ディープインパクト / 第52回 マツリダゴッホ / 第53回 ダイワスカーレット / 第54回 ドリームジャーニー


2010年代
第55回 ヴィクトワールピサ / 第56回 オルフェーヴル / 第57回ゴールドシップ / 第58回 オルフェーヴル

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1973年生 (競走馬)
2000年没
サラブレッド
日本生産の競走馬
日本調教の競走馬
日本供用種牡馬

膀胱炎(cystitis)は、膀胱に起こる炎症である。

2014-10-11 07:53:49 | 日記

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#膀胱炎 - Wikipedia
http://p215.pctrans.mobile.yahoo-net.jp/fweb/1011uJFHlKZpxDMO/0?_jig_=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E8%2586%2580%25E8%2583%25B1%25E7%2582%258E&_jig_keyword_=%E4N%E3%F7%89%8A&_jig_done_=http%3A%2F%2Fsearch.mobile.yahoo.co.jp%2Fp%2Fsearch%2Fpcsite%2Flist%3Fp%3D%25E4N%25E3%25F7%2589%258A%26b%3D1%26trans%3D1&_jig_source_=srch&guid=on



膀胱炎


分類及び外部参照情報
ICD-10 N30
ICD-9 595
DiseasesDB 29445
MeSH D003556


膀胱炎(ぼうこうえん,英 cystitis)は、膀胱に起こる炎症である。

急性膀胱炎と慢性膀胱炎がある。

急性膀胱炎は細菌性の感染症である。

慢性膀胱炎は、急性膀胱炎の慢性化のほか、非細菌性慢性膀胱炎もある(間質性膀胱炎も最近話題となっている)。

なお、糖尿病などの合併症に膀胱炎を起こすこともあるが、それらは主に細菌性である。


診断[編集]

女性に多く、男性では比較的少ない。

発熱を伴わないことが多い。

発熱を伴っているときには、実質臓器の炎症、特に腎盂腎炎まで感染が拡がっている可能性がある。

排尿時痛、頻尿、肉眼的血尿のいずれかがあれば、ほぼ50%の確率で急性尿路感染症と診断される[1]。


検査としては

検尿

尿沈渣

尿培養

などがある。


治療[編集]

多くは細菌感染症である。

原因となる細菌がはっきりしていれば、感受性や薬剤の組織移行性を考え処方を行う。

原因菌がはっきりしない段階で処方を行う際には

ST合剤

ニューキノロン系

セフェム系

などを用いる。


性感染症も合併が疑われるときには

テトラサイクリン系

マクロライド系

も使われることが多い。


引用[編集]

^ Bent et al. JAMA 287:2701-2710,2002


関連項目[編集]

出血性膀胱炎


腎・泌尿器系の疾患

疾患


糸球体病変

急性糸球体腎炎|IgA腎症|急速進行性糸球体腎炎|慢性糸球体腎炎


ネフローゼ症候群


原発性

微小変化群|巣状糸球体硬化症|膜性腎症|膜性増殖性糸球体腎炎


遺伝性腎炎

アルポート症候群|良性家族性血尿


尿細管機能障害

ファンコニ症候群|バーター症候群|ギッテルマン症候群|リドル症候群|尿細管性アシドーシス|腎性糖尿|尿細管間質性腎炎


続発性腎障害


膠原病

全身性エリテマトーデス|全身性強皮症|シェーグレン症候群


糖尿病性腎症|痛風腎|クリオグロブリン血症|アミロイドーシス|溶血性尿毒症症候群


腎循環障害

腎血管性高血圧症|腎梗塞|クルミ割り現象


泌尿器疾患


機能障害

膀胱尿管逆流|神経因性膀胱|水腎症|


先天異常

多発性嚢胞腎(常染色体優性多発性嚢胞腎|常染色体劣性多発性嚢胞腎) |尿管異所開口|重複腎盂尿管|ポッター症候群


感染症

腎盂腎炎|腎膿瘍|膀胱炎|腎結核


尿路結石

膀胱結石


腫瘍

腎細胞癌|腎盂腫瘍|尿管腫瘍|前立腺肥大症|前立腺癌|精巣腫瘍|陰茎癌|腎芽腫


病態・症状


腎不全

急性腎不全

急性尿細管壊死


慢性腎臓病

慢性腎不全|尿毒症


尿所見異常

乏尿|無尿|多尿|頻尿|血尿|タンパク尿|尿円柱


尿閉|陰嚢腫大


検査


腎機能検査

糸球体濾過量|クレアチニンクリアランス|ナトリウムクリアランス|尿中ナトリウム排泄率|腎不全指数


腹部X線写真|腎盂造影|レノグラム|腎生検


腎・泌尿器系の正常構造・生理

腎臓

肉眼解剖


尿細管

近位尿細管-ヘンレのループ(下行脚-細い上行脚-太い上行脚) -遠位尿細管-集合管-腎盤( -尿管)


腎循環

腎動脈-傍尿細管毛細血管-輸入細動脈- (糸球体) -輸出細動脈-直細動脈-腎静脈


ゲロタ筋膜


顕微解剖


ネフロン


腎小体


糸球体

毛細血管|糸球体内メサンギウム細胞|ボーマン嚢


傍糸球体装置

緻密斑|傍糸球体細胞|糸球体外メサンギウム細胞


尿細管


生理学

アシドーシスとアルカローシス|膠質浸透圧|糸球体濾過量|腎血漿流量|クレアチニンクリアランス


生化学

バソプレッシン|アルドステロン|心房性ナトリウム利尿ペプチド|エリスロポエチン|レニン-アンジオテンシン系


尿路

肉眼解剖

尿管-膀胱-尿道


顕微解剖

移行上皮


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腎泌尿器疾患