かな〜り久々の blog 更新です。
自家用車を日産キューブZ12→プジョー308に乗り換えたのが今年7月24日…以来運転が楽しくて色々と出かけています。
今年最後のドライブの行き先は…福島県浜通り双葉町→中通り田村市です。
お目当ては…仁井田本家でのみ売っている有田焼のこの↓平杯を購入すること。
8年程愛用していた品が欠けてしまった(一応まだ使える)ので、予備を買いに。
天気の良い太平洋沿岸部を南下するルートを取りました。
途中、広瀬川と名取川を越える橋で渋滞…東部道路を使うという手を失念していました。
しかし、これが結果的に「吉」と出るとは思いませんでした。
進行方向左手に連なる堤防と時折見える海を視線の端に捉えつつ淡々と南下。
福島県に入り、双葉町まで来た所で…以南は帰宅困難地域ということで止むなく右折…国道6号線へ向かいました。
途中、真新しい大きめの建物を発見。
近寄って確認してみると…「東日本大震災・原子力災害伝承館」寄ってみることにしました。
受付を済ませると、「間もなく語り部の講話が始まります」とのことだったので、先に聞くことにしました。
(これが「吉」と出た所以です)
語り部を担当してくれたのは、元双葉町役場にお勤めだったという年配の男性でした。
宮城県も津波の被害がありましたが、こちらは放射性物質の除せんが未だ終わっていないとの事。
震災当初はこの町の全域を除せんする予定だったのだそうですが遅々として進まず…
国が避難している住民に帰宅の是非を問い、帰宅を希望した人の家のみ除せん…に方針を転換したそうです。
しかし、是非を問われても答えられる判断材料(除せんの進み具合や予定、移住後の対応など)が無い状態なので答えようがない。
そうこうしている内に避難住民が年老いてそれどころでは無くなっているし、亡くなってもいる…。
45分程リアルなお話をお伺いできました。
語りが終了後に少しお時間いただいて、私から4つ質問し、お答えを頂きました。
Q1:原子力発電所の水素爆発の音を聴いたそうですが、語り部さん含めて放射線の影響はあったのでしょうか?
A1:無い…とは言い切れない。私(語り部さん)も甲状腺の手術を受けたが、東京電力からは「原発事故との明確な関連が証明されない限り保証はできない」という対応を受けた。
原発事故さえなければ自分だって手術をすることはなかったのだから、保証すべき。
知られていないだけで私のような人は多くいると思う。
Q2 :国が「復興税」を現在も徴収していますが、それが他の事業に流量されているのはご存知ですか?
※ちなみにこの記事↓のことです。
税金が驚くほどムダに…大震災から9年、「復興予算流用問題」を問う
また、この事を被災地の元役場の職員としてどう思われますか?
A2:知らなかった。それが本当だとしたら…ゆゆしき事だし、きちんと復興に使っていたらとっくにその役目は終えていただろう。憤(いきどお)りを感じる。
Q3:原子炉の廃炉が進み、エネルギー源の多様化が行われています。
太陽光、風力、火力などで賄っている状況の中、原子力発電再稼働や新たな原発を作るという話も出ていますが、どのように思われますか?
A3:原発事故の当事者として、新たな原発をすぐに容認できる状態ではない。
遠い未来ならいざ知らず、原発無くても他の発電でなんとか賄えたのだからそちらに力をかけるべき。
Q4:避難先で差別的な扱いを受けたことはありますか?また差し支えなければどのような扱いでしたか?
A4:避難所でのプライベート皆無の生活は大人でも大変だったが、特に避難先の学校に通う子供達が「(放射能が?)移るから近寄るな」という扱いを受けた。
大人はなんとか我慢できるが子供達は痛ましかった。(これは放射能被害への無理解から来るものと推察される)
…この施設は福島県の予算で建てられたものだそうです。税金が投入されているわけですが…
展示物やら資料よりもむしろ、この語り部さんとの会話が今回最大の成果でした。
思いがけず立ち寄った所で思わぬ話を聞くことができました。
展示物は…予想の範疇を越えなかったので軽くスルーだったのですが、運良く語り部さんのお話を聴くことができました。
(つづく)
自家用車を日産キューブZ12→プジョー308に乗り換えたのが今年7月24日…以来運転が楽しくて色々と出かけています。
今年最後のドライブの行き先は…福島県浜通り双葉町→中通り田村市です。
お目当ては…仁井田本家でのみ売っている有田焼のこの↓平杯を購入すること。
8年程愛用していた品が欠けてしまった(一応まだ使える)ので、予備を買いに。
天気の良い太平洋沿岸部を南下するルートを取りました。
途中、広瀬川と名取川を越える橋で渋滞…東部道路を使うという手を失念していました。
しかし、これが結果的に「吉」と出るとは思いませんでした。
進行方向左手に連なる堤防と時折見える海を視線の端に捉えつつ淡々と南下。
福島県に入り、双葉町まで来た所で…以南は帰宅困難地域ということで止むなく右折…国道6号線へ向かいました。
途中、真新しい大きめの建物を発見。
近寄って確認してみると…「東日本大震災・原子力災害伝承館」寄ってみることにしました。
受付を済ませると、「間もなく語り部の講話が始まります」とのことだったので、先に聞くことにしました。
(これが「吉」と出た所以です)
語り部を担当してくれたのは、元双葉町役場にお勤めだったという年配の男性でした。
宮城県も津波の被害がありましたが、こちらは放射性物質の除せんが未だ終わっていないとの事。
震災当初はこの町の全域を除せんする予定だったのだそうですが遅々として進まず…
国が避難している住民に帰宅の是非を問い、帰宅を希望した人の家のみ除せん…に方針を転換したそうです。
しかし、是非を問われても答えられる判断材料(除せんの進み具合や予定、移住後の対応など)が無い状態なので答えようがない。
そうこうしている内に避難住民が年老いてそれどころでは無くなっているし、亡くなってもいる…。
45分程リアルなお話をお伺いできました。
語りが終了後に少しお時間いただいて、私から4つ質問し、お答えを頂きました。
Q1:原子力発電所の水素爆発の音を聴いたそうですが、語り部さん含めて放射線の影響はあったのでしょうか?
A1:無い…とは言い切れない。私(語り部さん)も甲状腺の手術を受けたが、東京電力からは「原発事故との明確な関連が証明されない限り保証はできない」という対応を受けた。
原発事故さえなければ自分だって手術をすることはなかったのだから、保証すべき。
知られていないだけで私のような人は多くいると思う。
Q2 :国が「復興税」を現在も徴収していますが、それが他の事業に流量されているのはご存知ですか?
※ちなみにこの記事↓のことです。
税金が驚くほどムダに…大震災から9年、「復興予算流用問題」を問う
また、この事を被災地の元役場の職員としてどう思われますか?
A2:知らなかった。それが本当だとしたら…ゆゆしき事だし、きちんと復興に使っていたらとっくにその役目は終えていただろう。憤(いきどお)りを感じる。
Q3:原子炉の廃炉が進み、エネルギー源の多様化が行われています。
太陽光、風力、火力などで賄っている状況の中、原子力発電再稼働や新たな原発を作るという話も出ていますが、どのように思われますか?
A3:原発事故の当事者として、新たな原発をすぐに容認できる状態ではない。
遠い未来ならいざ知らず、原発無くても他の発電でなんとか賄えたのだからそちらに力をかけるべき。
Q4:避難先で差別的な扱いを受けたことはありますか?また差し支えなければどのような扱いでしたか?
A4:避難所でのプライベート皆無の生活は大人でも大変だったが、特に避難先の学校に通う子供達が「(放射能が?)移るから近寄るな」という扱いを受けた。
大人はなんとか我慢できるが子供達は痛ましかった。(これは放射能被害への無理解から来るものと推察される)
…この施設は福島県の予算で建てられたものだそうです。税金が投入されているわけですが…
展示物やら資料よりもむしろ、この語り部さんとの会話が今回最大の成果でした。
思いがけず立ち寄った所で思わぬ話を聞くことができました。
展示物は…予想の範疇を越えなかったので軽くスルーだったのですが、運良く語り部さんのお話を聴くことができました。
(つづく)
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