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童話や昔話に見る 「インセプション」 ~ その3

2015年11月03日 02時35分06秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


童話や昔話が 容易に 「インセプション」 としての役割を果たしうるのは、まずなんといっても 脳の回路が未完成の 幼い子どもに与えられるものであること。

そして、ひとつのパターンが 複数の物語に散見されるため、さまざまなお話に親しむ中で 特定の観念を繰り返し刷り込まれて、いつの間にか根づくこと。

その1で挙げた、「貧しいが心は清らかな主人公と 悪辣な金持ちの隣人の組み合わせ」 そして 「シンデレラのような 継子イジメもの」 というパターンも、どなたでもぱっと思いつくお話が いくつかあるのではないでしょうか。




私たちの世界には、いのちの流れにそぐわないものは自ら壊れてゆくという作用があります。

傷ついたり役目を終えたりした細胞は アポトーシスで消えてゆくし、私たちを幸せにしない社会のシステムは 自己崩壊を起こす。。。そういう仕組みになっているんですね。

その働きに則って、今 お金のシステムも 家族のあり方も 大きく変わろうとしています。




富の偏在から抜け出して お金の介在しない生き方を模索する動きは、すでにあちこちで始まっているようです。

ご参考までに、こんな話こんな話も。

家族のあり方についても、大家族から核家族への移行の中で見えてきた、家族に恵まれない人の不幸や、閉鎖空間となった家庭で起こる 虐待などの悲劇を踏まえて、誰もが幸せになれる 新しい形を探る動きが出てきています。

「神との対話」 では、先住民族に見られるような 若い世代が生んだ子どもを 智恵のある年長者が育てるコミュニティについての話があります。

性的に成熟する年齢と 人として成熟する年齢に 大きな開きがあるのに、「子どもをつくったら、育てる責任もひとりで負わねばならない」 という考え方のために起こる さまざまなひずみをなくすために、大人たちが それぞれの得意な役割を発揮して、コミュニティ全体で助け合いながら子どもを育ててゆくというスタイルの提示。

また、前に何度か書いた 映画 「美しき緑の星」 では、氣候が穏やかなのか 家すら持たない戸外での生活、家族はあるけどそれにこだわらない、という感じのゆるやかな暮らしぶりが描かれていますし、他にも このような文章での提言もあります。




たとえば、「いい学校を出ていい会社に入ることが 幸せな人生を約束する」 などと信じている人は もはやそうそうないだろうに、学歴重視で 少しでも条件のいい会社への就職に熱を上げる動きが いまだに続いているのは、それに変わる形を見つけられないからやむを得ず という人が大半でしょう。

もっといい道が見つかれば、古い形など ためらいなく手放す人が増えるはず。

一見混乱状態に見える 今の社会でも、新しい答えに通じる道は、目立たないながらも 少しずつ開かれ始めています。




こういう世の中に、今よりさらに古い社会の通念を持ち込んでも、苦しい目を見るだけのような氣がする。。。。というのが、童話や昔話の “インセプション効果” に 私が懸念を覚える理由です。




童話や昔話を読んだからといって 必ず特定の思い込みが生まれるとは限らないし、私自身 長年慣れ親しんできた なつかしいお話の数々を否定するつもりはないのです。

ただ、与えようによっては そういう作用があるかもしれないとわかった上で、新しい時代を創ってゆく子どもたちに それにふさわしいものの見方 ・ 考え方が育ってゆくよう、力を貸しながら 見守ってあげられたら、と思うのです。





















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