意に染まない観念を書き換えるにあたり、感覚フォーカスという手立てに恵まれはしたものの、使いこなせるようになるまでにはかなりの時間がかかりました。
負の感情が湧くと すぐさま氣づいて 体感と言葉をスッと切り離せるようになってきたのは、ごく最近のこと。
怒りや恐れに囚われかけたとき すかさず言葉を引っ込める、これがうまくいくと 感情はきれいさっぱり消え失せ、後に残るのはからだに響く感覚だけ。
圧迫感とか激しい動悸とかひりつく感じとかはありますが、“物語” はもう存在しません。
これを何度も何度も繰り返すと、私たちが日ごろ 「自分」 「自分の世界」 と思っているものが 言葉によって構築されたストーリーであることが よくわかります。
私たちは、いまのこの 「現実」 と呼んでいる世界で 五感を駆使して生活しています。
目、耳、鼻、口、皮膚、それぞれのしかるべき部分に刺激を受けると、それを読み取り判断解釈して 取るべき行動や反応が決まります。
この判断解釈の物差しとして使われるのが、私たちの積み重ねてきた過去のデータ。
こうして過去体験から導き出される筋書きを、貴秋は “物語” “ストーリー” などと呼んでいます。
私たちの 「現実」 は、私たちの観念をもとに創られています。
幼いころの体験を通じて潜在意識に刻まれた 私たちの世界観 (世界とはこれこれこういうものだ、という思い込み) が、私たちを取り巻く今のこの世界を そのとおりに形作っています。
ですから、今の世界が心地よくて万事うまくいっているのなら問題なし、おめでとうございます、そのままGO
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問題なのは、かつての貴秋のように 世界が不安と怒りに満ちていて、もっといいイメージに書き換えたくても 過去の不快な思考回路の発動グセが強すぎて意のままにならず、あっさり引き戻されてしまう人の場合
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こういうときは なにがどうなってコントロール不能に陥っているのかがわからないから 「意のままにならない」 わけで、世界を望むものに変えたいのなら ブラックボックスを覗き込んで 原因を突き止める必要があります。
しかしこの世はほんとうにうまくできています。
けんめいに覗き込まずとも、向こうからしょっちゅう合図を送ってくれているのです、「ここ、ここに原因が潜んでるよ」 と。
繰り返し起きる その人固有のパターンを持ったトラブルが、その合図です。
からだの痛みや不調が その部分の問題を知らせてくれているのと同じように、「なんでこう何度も何度も起きるかなぁ
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貴秋がもらった手がかりと それをもとにした観察では、その根っことは 起こった事柄に反応してまず現れる からだの感覚です。
その不快な感覚が、すかさず 初めてその感覚を引き起こしたであろう出来事にまつわるネガティブな感情を思い出させ、それが目の前の相手に投影されて揉め事になったり、辛さを忘れるための逃避行動に結びついて問題になったりします。
そんな繰り返しを今度こそきっぱり終わりにしようと思うなら、一番のおおもとである感覚に焦点を絞って向き合うことです。
そのためには、最初に現れるからだの感覚を 言葉をいっさい使わずに ただ感じ切ることをお勧めします。
感覚が言葉と結びつくと、まず 「悲しい」 「悔しい」 などの感情が浮かび上がり、さらに 「 (私にこんな思いをさせた) コイツのせいで」 とか 「私ばかりこんな悲しい思いをするのはなぜ?」 などという これまでと同じパターンの不幸な“物語” へと とめどもなく発展していき、肝心のおおもとからどんどん離れていってしまいます。
ここで感覚と言葉をすっぱり切り離すのが、感覚フォーカスの要です。
以前は一生持ち続けるしかないのかと悩んだ負の物語ですが、下りるのはどうやら十分可能なことのようです (^^)
これは望むところですが、限界があって無理そうです。
コツとかありますか?
先日 ゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想合宿に行ってきました。どんな事が起きても反応しないで(渇望も嫌悪もなく)感覚を観察するために心の平静さを育み 無常の真理を 体験の中で理解していくという瞑想です。この瞑想を続ける事で、無意識に反応してしまうくせを取り除く事ができます。潜在意識にある条件づけを取り除けるのです。
怒りがこみ上げてきても、呼吸と感覚の変化を警報装置として利用すれば、すばやく怒りに気づきそのまま呼吸と感覚を見つめていれば 怒りから抜け出す事ができます。
私は 感覚にフォーカスする事は 苦手だなぁ〜と思っていましたが、人生何が起こるかわからないものですね(笑)今は感覚にフォーカスする、この瞑想を続けています
お役に立ちそうな情報があればいいのですが、残念ながらここはもうあれこれ試しながら会得してゆくしか。。。。
ただ コツというほどでもありませんが、私は言葉をどうしても止められなかったとき、それならばと からだの感覚を実況中継するように えんえんと言葉に置き換え続けたことが たびたびありました。
これだと感覚から意識を離さずに済み、言葉化するのに疲れたタイミングで ひょいと切り離しができてしまったりするのです。
また うまく感覚が消えたときの内側の状態を覚えておかれると、少しずつでも これだ!という手応えをたぐり寄せる助けになると思います。
あと、「限界があって」「無理そう」と思ったとき からだにどんな感覚がきているか 観察してみられるのはいかがでしょう?
これも言葉が作った物語なので、手放せれば世界が大きく広がるかもしれません(^^)
ほんと人生なにが起こるかわからない。。。。理数系でも特に数学と物理が大の苦手だった私が 量子物理学なんて分野に心魅かれる日がこようとは(笑)
月うさぎちゃんも 新しいことにどんどんチャレンジして手応えをつかんでるんだなぁって なんだかとってもうれしいです。
自分の根っこを見つめることで いろいろと目を開かれることがあるのね。
まだまだプロセスの途上だけれど、次は何が見られるんだろうって楽しみにできることが いまの大きな幸せです