前のブログ、見ようによっては 楽天的に過ぎるという印象になるかもしれませんね。
なにかを変えたいなら 行動あるのみ、座り込んできれいな言葉をいくら並べたって なにも変わらないでしょ? みたいな (^_^;)
人の意識は 多層構造になっていて、五感がすべての世界から 五感を超えた世界まで、さまざまな次元の意識が同時に存在し、どれにアクセスするかで 思うことが大きく(ときには真反対といっていいぐらいに)変わると感じています。
五感で触れる世界がすべて、という層が 自分の世界だと思い込んでいるときは、誰よりもこの私自身が、ああいうブログを書いた私につっこみたくなっちゃう(笑)
でもね。
10年前、とある大きな旅館で働いていたとき、新米の私は いろんな先輩方に付いて あれこれ教わりながら仕事をしていました。
そのとき、組んでいる相手の態度によって、自分から引き出されるものが180度変わるという体験をしました。
ダメ出しの連続で 否定され続けると、また何か言われる、とびくびく萎縮してしまい、かえって失敗が多くなります
そこにまた小言をかぶせられ、相手が言うとおりのダメダメな自分にますますなっていく、さらに その中で、納得いかないけれど言い返せない、というフラストレーションが次第に溜まって、自分の内側と 場の空氣をどんどん悪くしていく、そんなプロセスを つぶさに体験しました。
納得いかないのは、自分の負の反応が 相手によって引き出されたと どこかで感じているから。
でも、見える現象だけ取り出せば、「あなたはダメだ」 と言われ、そのとおりダメなことをしでかしているわけだから、「おっしゃるとおり」 で反論できないんですね (T_T)
ただただ理不尽な目に遭っているという 自分でもよくわからない怒りや恨みばかりが残り、そんなどんよりした氣持ちに足をすくわれ、またいっそう仕事の能率が悪くなる
その一方で、こちらを好意的に見てくれる人と組むと、別人か? と思うほど 生き生きと実力を発揮できる自分がいました \(^o^)/
ほめられればうれしいし、よ~し もっと! と張り切る氣持ちも湧いてくる
その人を喜ばせ、いい仕事をしたい、と意欲的になるから、ますます氣持ちよくテキパキ動ける。
ふだんしまい込んでいる力まで引っぱり出して、疲れ知らずでがんばれちゃうんですね♪
なにしろ人数の多い職場だったので、いろいろな人と組んで いろいろな体験ができて、そのうち 自分から積極的に “実験” してみるようになりました。
まあ、「実益を兼ねて」 ということだったんですけれど ( ̄∇ ̄*)ゞ
相手から好意的な反応を引き出したいとき、「あーもう この人文句ばっか」みたいな場面でも、にっこり笑って 「いろいろと教えていただいてありがとうございます」 と言ってみる。
そうすると、明らかに相手の反応がやわらぐのです。
ひどくいら立って仕事をしていた先輩が、まめまめしく面倒をみてくれる親切な先輩に変わったりして♪
同じ相手の態度でも、こちらが 「うるさいなぁ」という意識をぶつけるか、「教えてもらってる」 と好意的にとるかで、相手から引き出されるものがまるっきり違ってくるんですね☆
半年間 意図的にたっぷり場数を重ね データを集めさせてもらった あの体験は、今でも大きな財産です。
ひとりの人間の中に、「できる・できない」 「うれしい・うれしくない」 「好き・嫌い」 など、さまざまな 相反する要素が表裏一体となったものが ぎっしりしまい込まれているようです。
それが表に出るときは、必ずどちらか一方の面としてしか現れることができないのです。
どちらが出るかは、本人が自覚していれば、かなり意識してコントロールできます。
でも、そういうものだと知らなかったり、おおぜいの意識が集まって 外から強い力で働きかけられたりすると、自分に向けられるものによって 大きく左右されます。
逆に言うと、まだ起こっていない、可能性として見えない形で存在するものから、私たちは 自分の意識の向け方次第で、どちらの面でも 自在に引き出すことができるのです。
この力を無自覚に使うことで、好意的でない相手に 自分のフラストレーションを それと氣づかず上乗せして 不快な氣持ちをぶつけてしまい、相手から返ってくる反発のエネルギーがますます大きくなって、争いがエスカレートしていく。
ニュースをさっとひとわたり眺めるだけで、世界中のあちこちで このからくりが働いて、争いが激化していく様子が見て取れます。
私たちの見える世界は、見えない意識によって動かされています。
見える世界だけで判断すれば、状況を変えるのは 行動によってのみ、と思えるのも 無理ないこと。
でも、目に見える行動に 目に見えない意識が どれほど強く影響するものか わかっていれば、まず変えるべきは 意識の方だということもわかります。
まだるっこしく見えても、なんであれ きっとできる・うまくいく、という意識を持ち続けよう、発し続けよう、と思えるのは、あの半年間に渡る実験の手応えを 今も持ち続けているから。
最悪! と思える状況でも相手でも、必ず真反対の要素を内包しているもの。
自分の意識の向け方次第で、最悪なものをさらに発展させることもできれば、反対の要素を引っぱり出し 具現化させることもできるのです。
あの半年で氣づいたのだけれど、人って誰でも 自分のことをよく思いたい氣持ちがあるようです。
だから、かなりしんどい状況で、ストックホルム症候群ですか と言いたくなるほど 自分の意識を曲げてでも、好意的な意識を向けると、ウソっぽいと反発されるかと思いきや、けっこうしっかり乗ってきてくれるケースが多いと知りました。
意識してないけれど、互いに協力し合って 場の空氣をよくしているんですね (^^)
生きものはみな 不快より快を求めるようにできている。
この傾向を味方につけ、人やものごとのよい面に 意図的に光を当てて そちら側を引っ張り出す、そんな積み重ねが けっこう大きな力になるような氣がします。
さらに、おおぜいが心を合わせてそれをやれば、すごいパワーをもって 事に当たれるとも感じます。
意識や言葉の見えない力、なかなか強力です