「目に映るものすべてが 自分の心の投影」 と たびたび言ったり書いたりしていますが、その意識で 最近のニュースの見出しをさっと眺めるだけでも 冷や汗が出ます ( ̄  ̄;)
意になじまない他人の所業を 自分に引き寄せて眺めるのは、なんてしんどくて 勇氣のいることか。
そして、だからこそ 必要な作業でもあるのですね。
他人の顔は見えても 自分の顔だけは直接見ることができないように、自分の心というのも 限りなく見えにくいもの、鏡があって ようやく見ることができるのだから、そこに映ったものに文句を言っても始まらない
そうはいっても、庶民から奪うことをためらわない政治家や官僚、いのちに害をなすものを流してでも利益を得ようとする事業者、などのオンパレードを見ていると、「いくらなんでも 私こんなことしないもん」と 思わず叫びたくなります。
でも、そこで思考停止せず、彼らにそういう行動をとらせる さらにその大元に目を向けると、見えてくるものがあるんですね。
自分の利益を守るためなら、他の生命の安全をおびやかし、エネルギーを奪うこともいとわない、世間で起きている現象から そんな要素を抜き出して、自分に当てはめると。。。。
あるんだなぁ、これが
たとえば、過食。
ありがたいことに、このところはかなり 心身共にいいバランスを保っていますが、白浜にいたときを見ればわかるように、多少なりともストレスがかかると、この方向に走りやすい傾向は、今も健在。
心が不安定になると、食べる量の加減がわからなくなり、しかも やたら甘いものやしつこいものが欲しくなります。
こういうときは、口にするものが安全か、からだにいいもの・必要なものか、という基準が吹っ飛んでしまうので、質・量共にからだにダメージを与えるような食べ方を、平氣でしてしまいます。
一部の意志が、全体に悪影響を及ぼし 害をなす行為を選んでしまっている、と。
自分を 世の中全体の縮図に見立てると、当てはまるんだよね、ちゃ~んと
過食に限らず、依存症と呼ばれるような中毒行動は、大なり小なり 身に覚えのある人が多いのではないかなぁ。
明らかに 自分全体に害を及ぼす行為を、一部の意志が暴走して 選択してしまう。
では、なにがそんなことを引き起こしているのかといえば、思い当たるのは 「不安」。
つきまとう不安をどうしていいかわからなくて、さらされ続けることが耐え難いので、とにかく一時的にでも忘れようという強迫観念にかられて動いてしまう。
それが楽しくてするのではなく、とにかく不安から逃れたい一心での行為なんですね。
そんな自分を やたら責めても、事態はかえって悪化するのが関の山。
過食でいえば、強引にダイエットなんかしたところで、結局はリバウンドしてしまうのがオチです。
およそ勧められる行為でないとはいえ、身を守るためと信じて必死でやっているんだもの、強引にやめようとするのは 安全弁を奪うこと、どうしてもブレーキがかかってしまう。
意に反してやめられないから 「中毒」 なのですね。
ひるがえって、これを今の世の中に当てはめると。。。。「害をなす」 と思われている人たち、どれほど大きな不安にとらわれているんでしょう (T_T)
戦いに走る傾向、からだに悪い食品や 怪しげな医薬品の流通、放射能の止まらない原発、どれひとつとっても 地球全体に害が広まるのは目に見えていることなのに。
自分たちにだって いずれは害が及ぶことが、わからないわけではないだろうに。
でも、過食に走っているときの自分に置き換えると、「それ 栄養バランス悪いよ」 「添加物いっぱい入ってるよ、からだによくないよ」 なんていう声が聞こえたところで、振り払わずにはいられないのです。
あとでツケが回ってくることは 重々承知しているんだけど、耐え難い怖れが先行してしまっているので、聞く耳を持つ余裕がまるでないんですね。
そのときの自分の心理を思い返すと、今世の中を動かす立場に立っている人たちって、いったいどれほどすさまじい不安にさらされているんだろうと、胸が痛くなるほどです。
同じ要素を自分の中にも見いだしてしまえば、それはもう他人事じゃないものね (- -;)
こうして 大宇宙たる世の中と 小宇宙たる個人に 相関関係を見ることができれば、今の自分にできることも見えてきます。
ちっぽけな個人が 徒手空拳で いきなり世の中を変えることはできなくとも、自分という個の調和を図ることはできる。
たとえ団結して、意に染まないものを 力任せに叩き潰そうとしても、抵抗は相手の力を増すだけ。
一見まだるっこしそうに見えても、自分の心をしっかり見つめて 怖れを払い 安定させることができれば、その反映である世の中全体も きっとよくなっていくはず。
鏡に映るものを変えたいなら、映像をどうこうするより、まず元のほうを変えないとね
ジョン・レノンじゃないけれど、想像してみて。
自分の心の中に点在する黒い闇、それを取り巻くように ちっちゃな灯りが ひとつ、またひとつと 灯っていくさまを。
野火のように 闇に散らばるちっちゃな灯りが どんどん増えていって、やがて集まり 大きな光になって、闇を照らす。
ひとりひとりの心の中であれ、世の中全体であれ、戦わなくても 脅かさなくても、闇を払うことはできるんだよね♪
ちっぽけな自分と 限りなく広い世界を イメージの中で行き来して、今すぐにでもできることを見つけて、きょうも貴秋は、小さな自分の暮らしを楽しみながら、ささやかな灯りを灯すことに専念します。
ひとりひとりの明るい氣持ちが、いつか必ず大きな光になって あかあかと世界を照らし出すと信じて、ね(^^)