毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

始まりはネガでも

2013年04月18日 22時49分10秒 | ふと思うこと

私が今以上に未熟者で、まだほとんど三次元視点からしか物事が見えていなかったころのこと。

親子関係に不満が多く、過去の親の仕打ちを恨みに思っていたときがありました。

今思えば、親は決して悪氣があったわけではなく、精一杯のことをしてくれていたんだけれど、親自身体験していないことは したくてもできなかった、「ない袖は振れない」状態だったゆえのこと、とわかるのですが。

それが見えなかったころは、十分な愛情を注いでもらえなかった、ひどい仕打ちをされた、と不満だらけだったんですね。




そんな自分のネガティブな氣持ちが、それに見合った出来事を引き寄せてしまうからくりが見えるようになってからも、この不満を払拭することは なかなかできませんでした。

そして当然、そんな自分の“未解決課題”に注意を引くように、内心の不満を象徴するような 対人面でのトラブルが続発し、心理的にひどく追い込まれることになりました。




そんなある晩、「もう限界~」ってなるほど ぎりぎりまで追い詰められた氣分で七転八倒していたとき、不意に心の中で叫んでいました。




もう十分です。

もうたくさんです。

頭ではわかっているのに、思い通りに動けないのがこれほど苦しいとは思わなかった。

「足りてない。欠けている。なんとかしてよ」という被害者意識が 自分で自分をこれほど苦しい目に遭わせるのなら、もういいです。

誰かに(親に)どうにかしてもらおうというのは、もうきっぱりやめます。

私は今のままで十分満たされている、ということに決めます。

もし不足が生じても、誰に要求する必要もない、自分の力で満たすことができる、ということに決めます。

これまでの自分の意識、すっぱりと書き換えます




成長の証とか そういう立派なことではなく、「これ以上こんなしんどい思いするぐらいなら もういいよ~」という、破れかぶれ的な思い切りだったわけなんですが(笑)

でも、さんざん痛い目を見ただけのことはあったようです。

うっかりこの決意を忘れて「しまったぁ 」ということはあっても、前言をひるがえそうという氣には ついぞなりませんでしたから。

そして、いささか危なっかしい面こそあったものの、この誓いを守り通したことが、私のその後を大きく変えてくれたのです。




私が真理だと信じている法則で、「否定的な土台から始まったものは、否定的な結果しか生まない」というのがあります。

もちろん逆もまた真なり、ということで。

トマトの種を蒔けば トマトが生る、カボチャの種を蒔けば カボチャが生る。

自分が蒔いたとおりの実りを受け取るというこの法則、確かに今でもそのとおりだと思います。




でも、いい方に行ってやるぞ!という決意が伴っていれば、始まりはネガティブでもいい結果を生む場合があるのも、また事実だな、とも思うのです。




たしか本田健さんのご著書のどれかだったと記憶していますが、「見返してやる!というような動機からであっても、スタートダッシュのパワーとしては有効だが、そのままいけば いずれネガティブな事象を呼び込んでしまうので、どこかの時点で 肯定的なエネルギーに切り替える必要がある」というような話を読んだ覚えがあります。

いつかあいつをギャフンと言わせてやるぞ、みたいな怒り任せのスタートでも、その勢いで新しいことや今までできなかったことができるようになれば、それはやっぱりうれしく誇らしいもの。

やるな、自分 と思えたときに、すかさず「そういえば、あのときのあの怒りがあったからこそ ここまで来られたんだな」と思い出すことができれば、そこで恨みを感謝に変えて、順風満帆で進んでいけるようになるのかもしれませんね。



怒りだって 絶望だって、「ほんとうの自分は もっと素晴らしいはず」とどこかでわかっていて、なのに思うとおりに実現できないからこそ湧いてくるもの。

つまり、怒ったり絶望したりしている間は、実はまだ あきらめてないよ、っていうことなんですね☆

そこで「こんなのやってられるかぁ!」な動機をバネに、絶対よくなってやるから!という方向に飛び出していくなら、それは「よくなるぞ」という肯定的な思いからのスタートとも言えるわけで。

だから、「あれ?いつのまにかこんなによくなってるじゃない」とふと氣づいたとき、望みが叶ったという喜びが、最初のささくれだったネガティブな感情を 感謝の念に書き換えるチャンスをくれるのかもしれません。



私のほとんど逆切れみたいな“起爆剤”(笑)も、今はなんだかなつかしく、心から感謝できる思い出に変っています。

そして、あのさまざまなトラブルの相手として 当時苛立たしく思った人たちも、今は「魂の約束で そういう役回りを引き受けてくれていたんだなぁ」と 恨みっこなしに、むしろありがたく思い出すことができるのです(^^)

とりわけ、親には 特に、ね




引き寄せの法則などを知っていると、ネガティブな感情を持つことが怖ろしく思えることがあります。

「こんなことばかり考えていたら、ますますイヤなものを引き寄せちゃうよ~」って焦って、かえってネガな思いが強化されてしまう悪循環。

でも、否定的な思いだって ちゃんと意味があって湧いてくるのだし、それをうまく使うことで 状況を好転させるチャンスだってあるのだから、そんなに怖れなくてもいいわけですね。




うん、ネガから始まったって大丈夫。

よくあろうっていう意思さえ手放さなければ、ね (^_-)



















 
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