先日 こちらの日記に 「言葉には ほとんど無意識のうちに 過去の体験から想起されるイメージがついて回る」と書きました。
つまり、言葉を使って暮らしている私たち誰もが、自分の「今」を 過去に左右されているケースが 非常に多いんですね。
長年 自分のいろんな思考癖に悩まされてきたけれど、とりわけ手こずったのが「怒り」。
いったん事あれば 瞬時に点火、怒髪天を衝く勢いで荒れ狂う![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0152.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0152.gif)
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それを無理やり押さえ込んで(いい子をウリにしてたからね)外に表さないようにするものだから、消耗度も怨念の溜まり具合も半端なくって![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
しかし この「怒り」、ひとつひとつをよぉく見てみると、リアルタイムで怒っているものって 実のところ まずないのです。
誰かにいやなことを言われてカッとなる。
怒りの感情が沸き上がってるのは たしかに今。
でも、ちょっと待って。
言われたのが「いやなこと」だと判断したのは なぜ?
それは以前、同じ言葉を 不快なシチュエーションで浴びせられて 怒りを覚え、「これはいやな言葉、怒るべき言葉だ」というレッテルが貼られたから。
もしまったく知らない外国語で同じようなことを言われたら、とっさにどう対応すればいいか迷うはず。
意味がわからなければ、反応も決められない。
反応できたのは、過去の体験から その言葉に自分なりの意味づけをして どう対処するかがすでに決まっていたから。
意味が決まった時点で、その言葉は「怒り」と書かれた心の引き出しに仕分けて入れられてたんだね。
でも。
起こることそのものは、すべて中立。
反応は 自分の意味づけによって決まるけれど、過去はともかく、今それが必ずしも毎回同じ「怒り」である必要はないはず。
氣に留めずにいることもできるし、笑ってやり過ごしても ジョークで応じても構わない。
なのに なぜ ほとんど瞬時に「怒り」と結びついて、ほかの反応が選べないんだろう?
自分をさんざん観察してわかったのは、“最初にその言葉を体験したときの感情が、まだ自分の中で消化できてないから”。
初めてその言葉を言われたとき、言葉そのものだけでなく、前後の状況や 相手のかもしだす雰囲氣などから総合的に なんとなくいや~なものを感じたと思うんです。
でも、幼かったから それをうまく言葉で表現できなかった。
その上、日頃から 感じたことを率直に言い表すことを嫌がられ 禁じられていた。
ある程度の年齢で、素直にすっと感じを言えていたら、たぶんそうそう引きずらなかったと思います。
言葉そのものよりも、その場の空氣から感じ取った不快感と、それを押さえ込んで我慢するしかなかった圧迫感が やり場のない怒りとなり、件の言葉とセットで 心の奥にしまい込まれた。
それ以後、誰かがその言葉を口にするたびに、スイッチが入って、初回に感じたのと同じ不快感&怒りがどっとこみ上げてくる、という自動回路が作られ、使い込まれてますます精度を増していったんですね。
成長して力をつけた自分が システムを解除しに来るまで、それは繰り返し発動する。
いつまでもその言葉につきまとう怒りは、実は「ここに未消化の感情のしこりがあるよ」っていう合図だったと。
つまり、今目の前の相手が自分を怒らせたように見えて、実はそうじゃなかったっていうこと。
その人は たまたまスイッチを押しちゃっただけであって、その人に向けて放ってしまった怒りは、実際には 過去の記憶の再燃でしかなかったんですね。
いわば その人は 合図を送るのを手伝ってくれた“協力者”だったんですね。
そう思うと むしろなんて気の毒な人なんだ~。。。損な役回りを引き受けてくれて(T_T)
視点を変えれば、魂のころから助力を約束し合った学び仲間なんだろうなぁ、きっと。
これはひとつの例だけど、怒りに限らず 振り回されて始末に困る感情は、まずこういうからくりになっているようです。
このからくりが 実感を伴って鮮明に見えてくると、ビッグチャンス到来![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0158.gif)
そう、自分の力で 長年の悩みをクリアできるのです
また続きを書かせてもらいますね☆
つまり、言葉を使って暮らしている私たち誰もが、自分の「今」を 過去に左右されているケースが 非常に多いんですね。
長年 自分のいろんな思考癖に悩まされてきたけれど、とりわけ手こずったのが「怒り」。
いったん事あれば 瞬時に点火、怒髪天を衝く勢いで荒れ狂う
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0152.gif)
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それを無理やり押さえ込んで(いい子をウリにしてたからね)外に表さないようにするものだから、消耗度も怨念の溜まり具合も半端なくって
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
しかし この「怒り」、ひとつひとつをよぉく見てみると、リアルタイムで怒っているものって 実のところ まずないのです。
誰かにいやなことを言われてカッとなる。
怒りの感情が沸き上がってるのは たしかに今。
でも、ちょっと待って。
言われたのが「いやなこと」だと判断したのは なぜ?
それは以前、同じ言葉を 不快なシチュエーションで浴びせられて 怒りを覚え、「これはいやな言葉、怒るべき言葉だ」というレッテルが貼られたから。
もしまったく知らない外国語で同じようなことを言われたら、とっさにどう対応すればいいか迷うはず。
意味がわからなければ、反応も決められない。
反応できたのは、過去の体験から その言葉に自分なりの意味づけをして どう対処するかがすでに決まっていたから。
意味が決まった時点で、その言葉は「怒り」と書かれた心の引き出しに仕分けて入れられてたんだね。
でも。
起こることそのものは、すべて中立。
反応は 自分の意味づけによって決まるけれど、過去はともかく、今それが必ずしも毎回同じ「怒り」である必要はないはず。
氣に留めずにいることもできるし、笑ってやり過ごしても ジョークで応じても構わない。
なのに なぜ ほとんど瞬時に「怒り」と結びついて、ほかの反応が選べないんだろう?
自分をさんざん観察してわかったのは、“最初にその言葉を体験したときの感情が、まだ自分の中で消化できてないから”。
初めてその言葉を言われたとき、言葉そのものだけでなく、前後の状況や 相手のかもしだす雰囲氣などから総合的に なんとなくいや~なものを感じたと思うんです。
でも、幼かったから それをうまく言葉で表現できなかった。
その上、日頃から 感じたことを率直に言い表すことを嫌がられ 禁じられていた。
ある程度の年齢で、素直にすっと感じを言えていたら、たぶんそうそう引きずらなかったと思います。
言葉そのものよりも、その場の空氣から感じ取った不快感と、それを押さえ込んで我慢するしかなかった圧迫感が やり場のない怒りとなり、件の言葉とセットで 心の奥にしまい込まれた。
それ以後、誰かがその言葉を口にするたびに、スイッチが入って、初回に感じたのと同じ不快感&怒りがどっとこみ上げてくる、という自動回路が作られ、使い込まれてますます精度を増していったんですね。
成長して力をつけた自分が システムを解除しに来るまで、それは繰り返し発動する。
いつまでもその言葉につきまとう怒りは、実は「ここに未消化の感情のしこりがあるよ」っていう合図だったと。
つまり、今目の前の相手が自分を怒らせたように見えて、実はそうじゃなかったっていうこと。
その人は たまたまスイッチを押しちゃっただけであって、その人に向けて放ってしまった怒りは、実際には 過去の記憶の再燃でしかなかったんですね。
いわば その人は 合図を送るのを手伝ってくれた“協力者”だったんですね。
そう思うと むしろなんて気の毒な人なんだ~。。。損な役回りを引き受けてくれて(T_T)
視点を変えれば、魂のころから助力を約束し合った学び仲間なんだろうなぁ、きっと。
これはひとつの例だけど、怒りに限らず 振り回されて始末に困る感情は、まずこういうからくりになっているようです。
このからくりが 実感を伴って鮮明に見えてくると、ビッグチャンス到来
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0158.gif)
そう、自分の力で 長年の悩みをクリアできるのです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
また続きを書かせてもらいますね☆
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