毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

まあるく 豊かな心

2015年05月19日 21時10分16秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


「美しき緑の星」 に絡む話、まだ続きます☆




このブログでも 「自分を変える」 という表現をよく使いますが、これは便宜上の言い回しであって、実際には変えなければならない自分なんていない。

ただ、その外側を ほんとうの自分ではないものがさまざまに覆っていて、そこから多くのわだかまりやカン違いや思い残しが生まれるんですね。

そういう 「ほんとうの自分でないもの」 があることに氣づいては、じっと見つめて 幻であることを確認し、ほんとうの自分から切り離して、それが生じたもとのところに返してやる。

それが 「美しき緑の星」 で言うところの 「切断」 なんだと思っています。




まあ あちらが太~い綱ごと派手に一刀両断なら、感覚フォーカスは その細~い繊維を一本ずつちまちまと切っていく、地味で根氣のいる作業ですが(^_^;)

ただ、あまりにも急激な変化は やはり副作用も激しいようで、映画でミラたちに 「切断」 された人々は みなさんかなり妙な具合になっていたものね。

あの人たち あれからどうなったんだろう、普通に社会生活送れるようになったのかな? なんて ふと氣になったりして(笑)

実生活では 少しずつこつこつと、ぐらいがちょうどいいのかもしれないな と思います




誰かの言動に イラッときたりムカッとしたり、そういうとき 昔は 「相手が私を怒らせた」 と信じて疑いませんでした。

今は 相手は脇に押しやって、そんな自分の反応に ひたすら目を向けます。

イラッ ・ ムカッとなる私のハートは、その部分が 石を打ち欠いたようにとんがったり ギザっとなってたり、ハリネズミみたいにツンツンしたトゲが生えているイメージ。

そこに何か引っかかったよ、引っかかるような 荒れてざらついた部分が残ってるよ、という合図が、ネガティブな感情の反応なのですね。

そんな引っかかりを からだの感覚を通して 丹念に観察していると、いずれはすーっと消えていきます。

そのたびに、前よりなめらかな優しいハートになれたかな?(*^^*) と思うのです。




「美しき緑の星」 の住人たちは、まさに 艶やかに磨かれた、まぁるく豊かな心の持ち主ばかりなのでしょうね。

ちょっとした引っかかりでも残っていたら、あの暮らしはできない。

作物の交換場面で、薬草を持ったおじいさんが、希望者の多さに 「そんなにないよ」 と言うと、残念そうなどよめきが起こりますが、それでおしまい。

あの場面、よくはわからないけど、せりふ以上に みなさん 想念みたいなところで感じ取って、より必要な人にゆきわたるよう譲り合ってたんじゃないかな。




自身の心の大切な部分を満たしてもらえなかったという痛みを抱えたままだと、ついついこだわったり譲れなかったりする部分が出てしまうんですね。

まずい、いけないとわかっていても、どうしても反応してしまう。

よ~くわかります、私 譲れないところだらけだったもの(笑)

ミラたちの文明も、数千年前は 今の地球のような物質文明だったとか。

そこからひとりひとりが じっくり自分と向き合い、痛みを癒し 心を磨いて柔らかくなって、ああいう豊かさを獲得したんだろうなぁ。

そして、私たちだって 同じように変わってゆけるんですね(^^)




ハートの荒れが減って 丸みが増えるほど、楽に息をつけるようになり、身も心も ゆったりのびのびしてきます。

私たちも そのうちきっと、ミラたちが星間移動に使っていた 銀色の球体みたいな つるつるぴかぴか まんまるな心で、あらゆるいのちが調和した 穏やかで満ち足りた暮らしができるようになる。

そんなふうに楽しく想像しながら、きょうもハート磨きを続けます

























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