毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

?度目の正直となるか、天下分け目の正念場

2022年03月10日 11時35分18秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
富の偏在ということについては いまさらここで語るまでもなく、どなたも日常の端々から感じ取っておいででしょう。

ただ これを顕在意識のみで捉えると、どうしても被害者意識が先に立ちます。

顕在意識における私たちは 人生という物語の当事者の視点からしか語れないので、庶民側から言えば 「よくもさんざん搾取してくれたな、傲慢で強欲な富裕層め」 ということになりますが、これについては 富裕層側にもそれなりの言い分があるはず・・・だって二項対立の世界では どんな意見にも必ず相対する意見が出るのがお約束であり、そのどちらにもそれぞれの理があるのですから。

で、そこから先は不毛な争いになって 力の強い方が勝つ、これまでの歴史はその繰り返しでした。

では、潜在意識にも協力してもらって ここに引きの視点を持ち込むと どうなるでしょう?




学生の頃 歴史の授業で 「縄文から弥生に移った後ぐらいから 人々のあいだに格差が生じ始めた」 と習った記憶がありますが、そもそも最初はみな平等で仲良く暮らしていたのが、あるときを境に力の強い者が次第に富を独占するようになっていった というのは、ほぼ世界共通の認識のようですね。

これを あの魂の望み、「本来の自分にはあり得ない体験を通じて、真の自分の素晴らしさを実感したい」 という意図と重ね合わせると、納得の仕掛けであったことがわかります。

最初はちょっとしたきっかけから始まった小さな差だったものが、徐々に大きくなるにつれて 人々のあいだに軋轢を生み始めた。

とにかく力尽くでトップに立とうとする者、強者におもねり 下につこうとする者、それを裏切りととる者、八方美人を決め込み穏便に済ませようとする者、あくまでも自身の正義を貫こうとする者、目立たないところでうまく立ち回る者、などなど、人々の隠れた思い (魂が今生ですると決めた体験のために持ち込んださまざまな思惑) が露わになり、立場が細分化して 分離がどんどん進んでいった。

体験者の視点からすれば 辛い話ですが、魂にとっては望み通りの筋書きです。

人々は、本来のありようを外れて 真の自分を忘れる道、すなわち “行き” の道をばく進し始めたのですから。

血で血を洗う戦い、迫害、弾圧、この頃の人々の苦しみがどれほどのものだったか 想像するだけで胸が痛みます。

ただし、魂は いたずらに人々を苦しめるためだけに こんな仕掛けを施したわけではありません。

あくまでも、辛く苦しい “行き” の道から反転して 本来の自分へと戻っていく “かえり” の道で 「真の自分として生きるってなんて素晴らしいんだろう」 と目一杯味わえるよう、コントラスト効果を狙ってのことだったのです。

だから 魂の思惑としては、辛い思いは一度で十分、かえりの道では人々が 「負の体験で痛みを味わうたびに、潜在意識に仕込まれたネガ観念も剥がれ落ちる」 というからくりに氣づいて 分離から統合への道筋を順調にたどれる。。。。はずだったのですが、ここに思いがけない誤算がありました。

行きの道のりで なんとかして苦しみから逃れようと人々が編み出したさまざまなテクニックが あまりにもがっちり強化され過ぎていて、ネガ観念の手放しが思うように進まなかったのです。

結果 苦しい時間は無駄に引き延ばされ、そのため負の意識が拡大し過ぎて引き返せなくなり、修復不能となった世界は ホピの預言などにあるように滅びていった。。。。そんな失敗がおそらく何度か繰り返され、魂のほうでもその都度 「次こそはうまくクリアできるように」 と修正を重ねてきたはずです。

そして2022年のいまは その何度目かのチャレンジの正念場、今度こそ人々が偽りの負から目覚めて 新しい道を歩き始めるか、またしてもネガ解除ができぬまま詰みとなって 世界が滅びるかの瀬戸際、貴秋はそんなふうに感じています。




ここで私たちが見事勝利できるかどうか その手がかりが、あのジブリアニメ 「ハウルの動く城」 や 「アーヤと魔女」 の中にあります。

すなわち、「戦いに勝ってハッピーエンド」 ではなく 「戦いから降りてハッピーエンド」 という新しい意識のありようです。
















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