毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

内と外

2014年07月26日 01時18分00秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


きょうは。。。。いや、もうきのうになっちゃったけど、全国的にかなりの暑さだったようですが、こちらもこの夏一、二を争う高氣温だったんじゃないかな。

特に午後からは、薄曇りになった分、湿度が上がって、すごい蒸し暑さ。

でも そんな中、相変わらずクーラーなし生活で、貴秋は元氣いっぱいなのです \(^o^)/





心の変化に伴って からだのほうも変わってきているみたいです。

昨夏は 氷を使わず、飲食物は冷蔵室で冷やすに留めていましたが、今年はなんと 冷蔵すらせず、常温でいただいています (≧▽≦)

クーラーなしの部屋で 熱々の料理も食べるし、飲み物も 水からお茶、コーヒーまで すべて常温。

これがなんかいいみたいなんです♪





今年は梅雨明けが遅く、7月に入ってからも けっこう涼しい日が続いたので、梅雨明けから一転猛暑になると聞かされて、一時はビクついていたんですね。

そんなとき ふと思ったんです。

なんのかんの言っても、二昔前ぐらいまでは、冷房も冷蔵庫もなくたって、みんな当たり前に夏を過ごしていたんでしょ?

たしかに ここ数年は異常氣象で 温度の上がり方も半端ないし、都会ではヒートアイランド現象なんかもあるから、一概には言えないけれど、ならば 50度近い砂漠で暮らす民族の方々はどう?

そんな過酷なところでも、やっぱり冷房・冷蔵庫なしで、人間ってちゃんと生きられるものなんだよね?





こういうことを考え出すと、ついつい 人間本来の身体能力をどこまで取り戻せるか、挑戦したくなっちゃうのが サガなんだなぁ ( ̄∇ ̄*)ゞ





映画 「ガイア・シンフォニー」 の監督・龍村仁さんの著書 「地球(ガイア)のささやき」 に、こんな話があります。

撮影のため 50度を越える高温のアフガニスタンの砂漠を車で移動中、いっそこのすさまじい暑さと仲良くなってやろう、この暑さこそ 砂漠のメッセージであり、それをからだの全感覚を開いて受け止めることこそ、砂漠と付き合う第一歩なのかもしれない、と心に決めて、ひたすら耐える龍村さん。

たどり着いたオアシスの茶店で、旅人たちがわざわざ熱い紅茶を飲んでいるのを見て、奇妙に思いつつも試してみたら、道中でもう出切っていたと思われた汗が噴き出し、身も心も軽やかになって、耐え難かった暑ささえ 心地よく感じるようになった、というのです。



      外の世界から吹き込んできた “風” が私のからだの中を吹き抜けてまた、外へ出てゆく。

      自分のからだが砂漠の “風” の通り道になってしまったような、そんな氣分だった。



そんな時、スタッフのひとりが突然苦しみ出します。

車の中でも さかんに冷えたコーラを飲んでいた人で、さらにオアシスの井戸水を頭からかぶったところ、急に息ができなくなってしまった、というのです。

本来スムーズに循環するはずの 内側の自然と外側の自然が、彼が外側の自然(暑さ)を怖れて 冷たいものを飲み続けたことで うまく順応できず、さらに冷水をかぶったことで、毛穴が開きっ放しの状態になって、皮膚呼吸ができなくなってしまったのでした。



      人間のからだ、すなわち内側の自然は、本来、外側の自然、すなわち環境に順応するための、神技としか思えないほど見事なシステムを持っている。

      だからこそ人間は、氣温五十度を越える砂漠地帯でも、マイナス四十度の氷原でも、平均体温を三十六・五度に保って生きてこられたのだ。

            (中略)

      外側の自然の変化を怖れ、それに抵抗しようとすればするほど、内側の自然の順応力が低下する。

      まず心を開けば、からだが開く。

      からだが開けば、内側の自然は、しぜんに外側の自然への順応力を高める。

      砂漠の民が、冷たいものを飲まず、熱い紅茶を飲むのも、外側の自然との長い付き合いの中から生まれた知恵なのだ。

      心を開いて現地の人々の知恵を学べば、私たちも氣温五十度の砂漠で生きることができる。





この話が、ずっと心に残っていたんですね。





これまでずっと、いつも怖れに取り巻かれて暮らしていた私。

氣候に対しても例外ではなく、猛暑だ厳冬だと聞けば、ついつい身構えて 立ち向かう姿勢になっていました。

そうやって抵抗するほど、「相手は大きくなる」 。

これはもう 万事に言えること。

だったら、私も龍村さんのように 暑さに心を開いて 順応して、持って生まれたからだの力を目一杯高めて、たとえ地球の異変から起こる暑さであっても 乗り切れるんじゃないかな?

禁糖のときもそうでしたが、こういうことをふと思いつくと、あとはちょっとしたノリやきっかけで ひょいと始めちゃうのが、私のクセ





実際やってみて思ったのは、自分がこれまで 冷たい飲み物や食べ物を欲しがるたびに、あのスタッフさんのように、やはり暑さを怖れて抵抗する氣持ちが働いてたんだな、っていうこと。

そのせいで、私の内側と外側に 文字通りにも比喩的にも 「温度差」 が生じ、暑さをいっそう際立たせ、苦にさせていた。

でも、これまでもずっと思ってきたように、真夏の外氣も 私のからだも、同じ夏のエネルギーが作用しているんだよね?

だったら、炎天下で 刈っても刈ってもたちまち伸びる草々のように、私もこの強烈なエネルギーに負ける代わりに 生かされることもできるのでは?

と そんな期待をひそかにしてみたんですが。





ここ2~3日の高温の中で 実感しました。

たしかに 暑さを感じてはいるのです。

きのうなんか、この夏一二を争う氣温なのが はっきりわかったし。

でも、暑いと思うことと、それを辛い苦しいと思うことは、別のことなんですね。

暑いなぁと思いつつも、その中で ちゃんと発汗機能で調節しながら、動くときには動いて、休むときには休んで、普段どおりの暮らしが 自然にできる。

これまでのどの夏よりも、暑さを苦にせず過ごしている自分がいる。

早く温度下がってくれないかなぁ、とか、一雨くればいいのに、とか、イライラと考えることもなく、他の季節と同じように 淡々と一日が過ぎてゆく。

からだ以上に、そんな抗わない心が 日々を過ごしやすくさせてくれているんですね。

たぶん、内側の自然が 本調子で作用していて、外側の自然との調和が取れているんじゃないかな♪





もちろんこれは、豊かな自然に囲まれて、朝晩はぐっと氣温が下がるこの土地だからこそ、うまくいっているのかもしれません。

誰もみな 同じようにすればいいなんて、極端なことを言うつもりは毛頭ないです。

ただ、実験してみて、砂漠の民ほどまでとはいかずとも、人の持って生まれた身体機能って やはりかなりのハイスペックらしいとわかったよっていうことを、ちょっとご報告したくなりました。

からだと心をうまく調整できれば、自分の中にも まだまだ思いがけないほどの強さがそなわっているんだって想像するだけでも いい氣分になれて、毎日の暑さが ちょっとでもしのぎやすくなるんじゃないかなぁ、って思って、ね☆





普段は 文明の利器を愛用していても、それぞれの環境・状況に応じて 少しずつでも内と外の調和をはかっていって、いざというとき、眠っていた自分本来の力のすごさに感動していただければ なによりです
























      

2 コメント

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Unknown (パワフルママ)
2014-07-26 07:16:10
貴秋さん、ありがとう!!まさに思っていたこと、且つ言ってもらいたかったことです!
やっぱり、そうなんだよね~♪
恐怖で抵抗、のエネルギー消耗はハンパないもんね。「考えるな感じろ」が大切なんだなぁ、なんて思ったり。
憧れの地熊野に暮らす天女のような貴秋さん。
また素敵な言葉紡いで私達に届けて下さいね。
今日の太陽の陽射し、恵みを、嬉しくにっこり迎えられます♪(^^)


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パワフルママさん♪ (貴秋)
2014-07-26 17:20:27
お返事遅くなってしまってごめんなさい。
事務局から解答をもらい、私の使った顔文字が原因で うまくコメントできなかったと判明しました。
同じようなこと思っておられたんですね~、これぞ類友の法則♪
ほんと、怖れに捉われっぱなしだったときは、エネルギーダダ漏れの日々だったもの
そうはいっても怖れずにいられないっていうのが 「行き」の仕込みの見事さなんだけど、それをいかに攻略するかが 「かえる」道の醍醐味なんですよね☆

天女と呼んでいただくには いささか下世話に過ぎて、きょうも朝から土用干しするぞ~!なんて意氣込んでいた私ですが、自然の軒先をお借りしての暮らしは やはり性に合っているようです♪
パワフルママさんも 機会があれば ぜひ熊野に遊びにいらしてくださいね♪

きょうもうれしいお言葉をありがとうございます(*^^*)
朝からずっと 心ほっこりです
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