まず、貴秋が 当ブログ内でたびたびリンクを貼らせていただいている 愛読ブログから、3つの記事を。
その1 その2 その3
お読みいただけばおわかりのように、ここ1週間ほどの間にたて続けにアップされたこれらの記事、いずれも 「疑念 ・ 恐れ ・ 不安などに捕らわれることはない」 というメッセージとなっています。
そして、貴秋が目下取り組んでいるテーマが、まさにそれなのです☆
真我を 「あんたが大将」 と主役認定したはいいが、真我を主体にすえるとは 小我にとっては かなりスリリングなこと。
真我の選択には、小我が 「なんで
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0159.gif)
真我はいちいち理詰めで説明なんてしないし、後になれば 「なるほど このための布石だったのか~」 と納得できることも 長年の体験上わかっているのですが、そうはいっても それがどんな内容だろうと 「OK、今回も真我の選択に間違いなし
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0206.gif)
石橋を叩いて叩いて 五感で納得できる安全をさんざん確かめてから出なくては渡ろうとしなかった貴秋には なおさらの難事業。
すべては、真我を完全に信じ切り 自分を明け渡せるかどうかにかかっています。
内なる声の確かさには 過去の成功体験の積み重ねから 絶大な信頼を寄せていますし、すでにそれを指針として生きてもいます。
が、純度100%の信頼となると どこか躊躇する自分を感じてもいました。
そして、内的変容に拍車のかかったこの数ヶ月で、前向きに切り替わった意識を具現化させ 五感でも確かめられる形にするには、この100%信じ切ること、疑念の影すらはさまないことがどうしても必要だいうことも うすうすわかってきていました。
そもそも真我を主体にするとは、映画 「インセプション」 の 「保証はない。信じて飛び込むしかない」 というあの言葉そのままに、理由も結果も想像つかないまま とにかく内なる声に従って 未知の世界に頭から飛び込んでいくこと。
口だけでなく ほんとうにそれができるかな? という無言の問いかけを ここしばらくひしひしと感じていたし、同時に あとちょっとというところで 残る指一本をどうしても離せない自分に氣づいてもいたのです。
そんなところに現れた、3つのブログ記事。
前からお話しているように、ここぞというときのメッセージは いつもこんなふうに 同じ内容が 別々のソースからたて続けにやってきます。
それを実行するに当たっての 抵抗の大きさ ・ 困難さを承知の上で こんなお膳立てをしておいてくれるのは、やはり この世に生まれ出る前の 魂の自分 ということでしょうか。
毎度のことながら 知られてるなぁ、仕組まれてるよなぁ という氣分にさせられます (^_^;)
これが来たら あとはもうやるっきゃない、さてさてどうなりますことやら
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0248.gif)
こうできればいいのにって思うことがなかなかできなくて、「できればいいのに」って思ってるのも「できないよ~」って思ってるのも「じゃあもっとこうしてみよう」って思ってるのも全部マインド、二極の世界はマインドの一人芝居みたいなものなのね(^_^;)
そんなこんなをひっくるめて え~いもうなんでもいいわい!と放り出したとたん、なんかすぅっと風通しよくなって氣が晴れたりね。
道をそれるも戻るも み~んな流れのうちということで、その適当さを面白がってるぐらいでちょうどいいのかもね☆