毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

続 ・ あらゆる問題の根底に潜む お金 ・ 時間 ・ 法律にまつわる催眠を解く ~ その13

2020年12月23日 11時00分23秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
以前からこのブログをお読みくださっている方はご存知のように、貴秋は理数系が大の苦手です。

数学、物理、化学等の授業にまつわる記憶は いまでも悪夢以外のなにものでもありません。

そんな貴秋が この歳になってにわかに量子物理学や数学の世界に興味を持つようになったのは、五感を超えた領域の探究過程で なぜか導かれたから。

そして知ったのです、言葉も五感も及ばず時間も空間も存在しない領域のことを、仏教では空 (くう) と呼び、数学ではゼロと呼び、量子物理学では量子の波と呼び、脳科学や精神医学では無意識領域と呼ぶ、呼び方はそれぞれ違うけれど、指し示すものはひとつなのだと。

さらに もとはひとつなのに無数の捉え方があるのにも意味があり、偏った視点しか持たない個の私たちは めいめい見えるものを持ち寄り互いの死角を補い合ってこそ 真の答えにたどり着けるのだということもわかってきました。




貴秋がまだ仮説であった感覚フォーカスの実証実験に勤しんでいたころ、たびたび心細い思いをしたものでした。

形を持たずつかみどころのない領域に打ち込んでいて ふと五感の世界に意識が戻ると、自分のしていることが狂氣の沙汰に思えて猛烈な不安に襲われるのです。

そんなとき力をくれたのが、量子物理学の二重スリット実験ジル ・ ボルティ ・ テイラー博士の 「奇跡の脳体験」 など 理数系の世界を通して見える五感超え領域の情報でした。

自分が探究している世界は 決して幻覚でも妄想でもない、理論や実証を重んじる理数系の人たちからも認知されているのだから、と思うことが、大きな心の支えとなったのです。

以来 貴秋のアンテナはこれまで苦手だった分野にも広がっていったのですが、やがて自分とは逆に、理論系の学問に打ち込む人たちが 理屈を超えたものの見方を受け入れることも必要なんだと思うようになりました。




つい先日見たBSハイビジョン特集の 「数学者はキノコ狩りの夢を見る ~ ポアンカレ予想 ・ 100年の格闘 ~ 」 は、宇宙の形を問う数学上の難問 「ポアンカレ予想」 を見事証明したロシアの数学者グリゴリー・ペレリマンが その功績を高く評価されながらなぜか姿を消してしまったという話をもとに、世紀の難問に全力で取り組む天才数学者たちの奮闘の軌跡を描いた番組。

見ていて感じたのは、言葉も形も及ばない領域を探究する真摯で懸命な努力への共感と、「でも言葉や形で証明するのは どこかの時点で諦めるしかないんだよね」 という思いでした。

五感を超えた領域に迫りたい氣持ちはよくわかるのですが、言葉や形を超えるものを言葉や形で完全に把握するのは土台無理な話、深入りし過ぎると 頭の中だけが現実世界から分離して 人としてのバランスを保てなくなるのもわかる氣がするのです。

それを知っている禅のような世界は、言葉や理屈で解き明かそうとはせず、人々の心がおのずとそれを感じ取れるよう言葉を介して導こうとするのですね。

前回お話ししたように 私たちひとりひとりが自己実現し かつ自立分散制御システムで協力し合っていこうとするなら、言葉を超えた領域を感じることと 感じたことを言葉に置き換え形にすること、この両輪のどちらもが大切であり、どちらか一方だけではこの世界のさまざまな課題を完全にクリアすることはできないと氣づく必要があるように思います。



貴秋の仮説では、宇宙のあらゆるところに 過去も未来も含め すべての答えや情報が形を持たぬまま遍在していると想像されます。

そんな答えや情報が形になるのは、求める側の受け取り体勢が整ったとき。

雷が条件のもっとも揃ったところに落ちるように、こちらのエネルギー周波数が求める答えや情報のそれと合致したとき ひらめきが起こるのだと思います。

私たちはみな独自の視点を持っていて 関心のありどころも求める答えや情報も人それぞれ、数学者は難解な数式を解きたいと望み、職人は新しい技術を追求し、家庭の台所番は新メニュー開発のヒントを求める。

そんなふうに立場や興味の対象はばらばらでも、答えの出所がひとつなら それらが必要に応じて調和しないはずはありません。

昨年のラグビーワールドカップで 「ワンチーム」 という言葉が流行りましたが、未曾有の困難に直面している今こそ、形を持つ世界と持たない世界が分かれ分かれでいる場合ではないと氣づいて、世界中のあらゆる分野からそれぞれが得た智恵を持ち寄り ワンチームで事に当たる必要があると思うのです。