いのちの領域では、万事がゆっくり進みます。
種を播いても芽が出るまでには何日もかかるし、味噌や漬物を仕込んでもすぐ美味しく食べられるわけではありません。
同じく ネガティブな信念から解放される道のりも、それなりの時間が必要なようです。
貴秋は感覚フォーカスを重ねながら、このことを実感させられました。
手放したはずの負が、じきにまた戻ってきてしまう。
実のところ 植え込まれた信念を強化するプロセスも同じぐらい息長く上塗りを重ねているので、剥がすにも手間隙がかかるのは当然なのですが、植え込まれたことも強化してしまったことも自覚がないため、何十枚何百枚と重ね貼りされた薄紙を一枚ずつ剥ぐような作業をえんえん繰り返すのは、根氣と忍耐が要ります。
ここで 「自分はどんでもない間違いをしているのではないか、なんの効果もない作業に空しく時間を費やしているだけなのではないか」 という疑いにどれほど苛まれたことでしょう。
でもいまははっきり言うことができます、「言葉を切り離してただ感じる」 、時間はかかっても これ以上効果的な手立ては他にはないだろうと。
変化が起きたことに氣づくのは いつも不意打ちで、同じようなことが起きたときの反応の違いからです。
テーブルに脚をぶつけた、お皿を割った、ムッとするようなことを言われた、そんな日常的な負の出来事にふと湧き起こる反応 ・ 感情 ・ 行動が以前と違う、そのとき初めて 「あれ?私なんか変ってない?」 となります。
そう氣づかせるためにそのようなことが起こっているともとれますね。
そういうときはあっさり受け流してしまわないで、思いっきり自身の変りようを喜んでください、自身のこれまでのがんばりを褒め称えてください。
感情を伴う刷り込みの強化は、ポジ体験についても有効なのです。
喜びをもって効果を確認することが自信につながり、さらなる前向きな変化の呼び水となります。
もうひとつ、個を超えた引きの視点から見るとは 「いま ・ ここ」 に留まることでもありますが、負の信念の手放しを始めたばかりのころは ともすると意識が過去や未来に飛んでいってしまいます。
過去の苦しみがフラッシュバックし、それを未来に投影して不安に駆られる、そんなとき 「いま ・ ここ」 に留まっていられない自分、負の感情を呼び覚まさずにいられない自分を責めないでください。
これもまたチャンスなのです。
私たちは嫌なことが起こると、すぐ目を背けたり戦ってジタバタしたり自分を責めたりするようにクセづけられてしまっていますが、手放しのプロセスではどれもいらないことです。
過去の痛み、未来への不安、それもまた 「言葉を切り離してただ感じる」 絶好の機会、否定や自責の念に駆られて逃すことなく捕まえて役立ててください。
そうしてよかったとうれしく誇らしく思える日が きっとやってくることでしょう。