毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

知らぬ間にかかっている催眠

2019年10月19日 17時40分29秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


いま 「自分は催眠にかかっているな」 と自覚しておられる方はいらっしゃいますか?

まあかかっていると氣づいた時点で、催眠は解けているわけですが。

引きの視点から世界を見ることに慣れてくると、これまで見過ごしてきたさまざまな事象に氣づかされます。

知らず知らずのうちにかけられていた催眠もそのひとつ。




マインド視点一辺倒で生きていると 自分たちが属するこの三次元世界を内からしか見られないので、それが世界のすべてだと当然のように思います。

世界はときに巨大な壁のようなもので、それを一個人が変えようとするなんて 毛虫一匹が高層ビルを倒そうとするようなものだ、と感じます。

自分にはどうすることもできない無情な世界に取り巻かれている、この見方が実はすでに催眠なんですね。

世界が、暮らしの場が、人生がもっとこうなればいいのにという望みを持ちながら、でもそれは自分の力では無理だと感じているのなら、その人はもう催眠にかかっているのです。




目に映る世界が虚像であると なんとなくでもうなずけるようになると、自分を変えずに世界のほうだけを変えようとする空しさがわかってきます。

鏡の中の自分にけんめいにお化粧を施し豪華な衣装を着せても、肝心のこちら側の自分がなんの手もかけられず衰えてゆくのを放っておいて、どうして美しく幸せになれるでしょう。

見える聞こえる触れられる世界は自身の思いが創っている、と氣づけるか、得心がいくかどうかが、催眠を解くカギです。




あからさまにおかしいこと ・ 不自然なこと ・ ありようが違うと感じることを直すのに、悩んだり立ち止まったりするでしょうか。

持っていたペンを取り落としたとき、シャツのボタンが掛け違っていると氣づいたとき、閉めた窓にカーテンが挟まっているのが見えたとき、立ち止まってどうしたものか悩みますか?

人生や世界を変えるのだって同じこと。

引きの視点から全体を眺め渡して そのおかしさが明らかになれば、それを正す効果的な手立ても自然と見えてきて、すっとからだが動きます。




これは貴秋もさんざんやってきたことなのですが、催眠にかかったまま 世界を歪にしてしまった元凶と思える人物を攻撃するのは、もっとも労多くして益少ない行為です。

敵とおぼしきその相手もまた、自身の意識の投影なのですから。

「抵抗すれば相手は大きくなる、見つめれば消える」 という 「神との対話」 の神の言葉が、いまはよくわかります。

鏡に映る人物を敵と思い込んで掴みかかれば、相手も同じように掴みかかってきます。

でも目を凝らしてよぉく見つめれば、それは意のままに動く虚像だとわかり 「敵」 は消えます。




虚像に戦いを挑んでも勝ち目はないけれど、こちらがおおもとの意識を変えてしまえば 勝ち目がないのは虚像のほう。

思いのまま生きることを望むなら、自分が催眠にかかっているとまず氣づくことです。