毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

二次元アバターはイラスト羊の夢を見るか?  その6

2019年10月03日 17時02分10秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


想像と創造はよく結びつけて語られますが、この 「想像 ⇒ 創造」 の力をまざまざと見せつけられたのは、小学生相手の読み聞かせでのこと。

物語の導入部では まだその世界に入り込めずもじもじしたり隣の子に喋りかけたりする子が何人かいるものですが、話が進むにつれて静かになり、佳境にさしかかるころには部屋全体が水を打ったようにしーんと静まり返ります。

スリル満点のお話のときなど 緊張感に張り詰めた空氣がこちらにもひしひしと伝わって、全員からだはここにあるが 心は完全に物語の世界に取り込まれていると感じさせられたものでした。

こういうときの子供たちは その世界の創造者であると同時に登場人物 (たいていは主人公に同化した形で) でもあり、彼らは物語をもとに自身の想像力で構築した世界を いっときの自分だけのリアルとしてしっかり体験しているんですね。

やがて 「・・・・おしまい」 の声と共に 絵本の最後のページがめくられると、みないっせいに我に返って 「おもしろかった~」 「はらはらした~」 などと口々にがやがや喋り出す、それが 彼らがファンタジーの世界から帰還した合図なのです。




私たちの想像の旅が創造に結びつくものとなるか、いっときの満足と引き換えに やがて心身を損なうものとなるかの分かれ目は、私たちがこの現実世界のからだにちゃんと立ち戻り、仮想空間での体験を全身に糧として行き渡らせられるかどうかにあるという氣がします。

大人になると、思い込みの強化は進むわ 時間やエネルギーのゆとりはなくなるわで 想像力もファンタジー世界との絆も薄れがちですが、そこでVRがその特性を発揮して力になってくれるのではないかという期待があります。

依存的にしがみつくのではなく そこでの体験が私たちのいのちを強めてくれるような、そんなVRの生かし方もありではないかと思うのです。




VR起業家 ・ 加藤直人さんは番組内で ご自身の事業のスローガンでもある 「引きこもりを加速する」 と書かれたトレーナーを着ておられましたが、加藤さんがおっしゃるように 「人間をもっと身体的物理的制約から自由にする」 という意味においては、貴秋もおおいに賛成です。

と同時に、使い方をひとつ間違えると 引きこもりの加速がからだと心の分離につながり、持って生まれた生命力を弱めてしまうこともあるということについても知っておいていただければと思います。

また、身体的物理的束縛からの解放という特性が 悪意をもって利用されてしまう場合もあるでしょう。

以前キャッシュレス決済の便利さがさかんに言われていたとき、「たしかに便利だけれど、お金を盗もうとする側にも コンピューターやネットの知識さえあれば仕事がずっと楽になっちゃいそうだなぁ」 と思っていたら、案の定セブンイレブンのスマホ決済で不正アクセスが起こりました。

ほんとどんな道具も作る人使う人次第、夢を実現させようという前向きな意欲から生まれた加藤さんの事業が、人を幸せにする手段としてのVRの可能性を大きく広げてくださるよう、心から願っております。




ところで今回のブログタイトルは おわかりの方も多いでしょうが、SF映画の金字塔 「ブレードランナー」 の原作 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」 のもじり。

今ならアンドロイドというよりAIのほうがいいのでしょうが、人間と見分けがつかないほど進化したAIは 人と同じように夢を見るか? ならばうんと進化したアバターが見る夢は、アバターのもの? それとも中の人のもの?

最近ビジュアル的にも知的にも人とみまごうばかりのAIも登場し、技術の加速的進化を考えれば、甲殻機動隊やマトリックスの世界もあながちSFとばかりはいえません。

アバターを通じてリアルと見分けがつかないほと精妙な感覚を受け取ったら、その体験は誰のもの?

どこからどこまでがアバターで、どこからどこまでが自分? ・・・・そもそも自分ってなに?

常日頃から自分というものの中心軸をつかんでいるかいないかで、最先端の科学技術で幸せになるか 技術に振り回されるかが分かれるのかもしれませんね。




このタイトルはこれでおしまいです。

さんざん間が開いてしまい 読みにくかったであろう文章をお読みくださり、ありがとうございました。