毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

自分の世界が持つ力

2016年02月14日 18時27分16秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


きょうは父が不在で 自由時間がたっぷりあるので、二度目の更新をば♪

さんざん手こずったワイファイも、父が事務所から持ってきた業務用のものに 設定を変えたら、びっくりするほど軽くなり スピードもアップして、安心してネットを楽しめるようになりました \(^o^)/




そういえば、伏魔殿と化していた実家、かなりの確率で 3月ぐらいまでこのままかと 悲観的に眺めていましたが、引越しを手伝ってくれた 父事務所の 有能で手厳しい女性スタッフお二人のおかげで、魔のダンジョンから 普通のとっ散らかった家ぐらいまでに 目ざましい復活を遂げました。

お二人のお小言を恐れた父が、かなりの頑張りを見せた成果です(笑)

とはいえ、まだまだ相当な散らかりようではあるので、安らぎたいときは 自室にこもるか 外出するかですが (^_^;)

今週は なつかしのわが家に数日戻る予定、どんなにか居心地いいだろうなぁ。。。。




バスや電車での移動、駅前のコンビニやスーパーなど 街中の便利さにわくわくしたのも、どうやら それらが目新しく思えたいっときのことらしく、このところ 静かで素朴で自然豊かな南紀のわが家が 無性に恋しく思えてなりません。

実家は 親が選択した場所、私が意図して選んだのは、やっぱり 少々不便でも 清らかな山里と 自分のために存分に使える時間に恵まれた暮らしなんだと 思い知る毎日です。

最初は新鮮で魅力的に思えるものも、時間をかけて じっくり見つめるうちに、ほんとうに自分の生き方になじむかどうかがわかってくるものなんですね。




先日 たまたま耳に入った、音楽療法についてのニュース。

記憶の減退や それに伴う感情の落ち込みに悩む高齢者が、なつかしい思い出を想起させる音楽を聴いたり歌ったりすることで、記憶を取り戻したり 表情が生き生きしたりして、症状の改善が見られるのだそうです。

この話を聞いて すぐ思い出したのが、“インナーワールド” のこと。

若いころ、特に子どものころに 親しく触れた 本や絵や音楽、テレビや映画、またなつかしい場所や 大好きだった持ち物などの記憶が 自分なりに取り込まれ 集まり アレンジされて出来上がった、自分だけの内的世界。

意識せずとも その存在は 常日頃からお守りとなり、辛いときも疲れたときも その中に入り込めば 癒され 再び力が湧いてくる、そんな世界だと 私は思っているのですが、音楽療法も その世界の治癒力が効果を上げているんじゃないかな、と ふと思ったのです。

理論的なことはともかく、大好きなものに囲まれた暮らしや その記憶は、人に 大きな慰めや力を与えてくれるものらしい。




不安に取り巻かれているときは、どうしてもネガティブな感情や思い出のほうに 意識がいってしまいがちですが、そんなネガを まっすぐ見つめることで影響が薄れると、好きなもの ・ 心地よいものを 無理なく優先する力が戻ってくるようです。

今は 自分の意思で 父との暮らしを選んでおり、その選択に大きな意味があると思っていますが、そんな生活の中でも、“今の一番” を いつも忘れず 見失わずにいようと ことさら意識する毎日です。




うん、やっぱり好きなんだよね、こういうことを書くのが






















去るもの追わず♪

2016年02月14日 09時44分20秒 | ふと思うこと


あったか~い♪

夜中から明け方にかけて盛大に降っていた雨が止んで、まぶしい光が差し込んで、鳥たちの声がにぎやかに響いて、なんてうれしい一日の始まり♪




金曜日をもって 4週間16日のアルバイトが終わりました。

社員さんや一緒だった人たちに挨拶をして、着替えを済ませ、制服や備品をお返しして、これが最後の社用バスと電車の乗り継ぎで 実家に帰り着いたときは、16日間のさまざまな場面が脳裏にちらつき、懐かしいような名残惜しいような氣分が渦巻いていましたが、それも束の間のこと、夕食の支度などするうちに あっさりと 「思い出」 のラベルを貼られ 記憶の引き出しに収まって。




過去への執着が、どんどん薄れてゆくようです。

不安が減った分、何が起こっても起こらなくても 自分は大丈夫、という自信が深まったためかもしれません。

大切なこととは 必ず出逢えるし、出逢わなかったことは 必要ないこと ・ ご縁のないこと、だから 特定の物事に執着する意味はないのだと。

内側の調和を図りつつ 流れに身を任せ、来るもの拒まず ・ 去るもの追わずの心持ちでいればいいのだと。




・・・・・・・う~ん、さすがに 「来るもの拒まず」 と言い切れるほど腹は据わってないようですが (^◇^;)

でも、「去るもの追わず」 については、いけてる氣がする

人生で必要な出逢いは、たとえひとつを逃しても 必ず新しいチャンスが 形を変えてやってくる、と信じられるように思うのです。

楽しかった時間も 終わるものなら終わらせればいい、その中から 続くご縁は続くし、そうでないものは そこまででいいのだ、と。

もし 別れに悲しみや痛みを感じるなら、静かにその感じを味わえばいいのです。

いずれは すべて 収まるところに収まります。




過去は 「思い出」 の引き出しにしまわれるがままにして、きょうも “今の一番” を楽しむことにしましょう。

洗濯物を干したら、散歩に行こうかな。。。。帰りがけに 図書館に寄って、と。




きょうも世界は しみじみ美しいです