「アファメーション」 という言葉を知ったのは わりと最近のことで、3年ぐらい前だったかな?
「アファメーション」 とは、こうなったらいいなという願望を、「そうなりつつある」 「すでになっている」 などの 断定の形に言い換え、繰り返し唱えることで 潜在意識に働きかけ、実現の推進力とすること。
でも、そんな呼び名を知らないうちから、「宣言」 と称して アファメーション自体はやっていたんですね。
言葉の持つ力は大きいと ずっとあちこちで聞かされていましたから。
ただ、今思うと あれが果たして効果あったかどうか いささか疑問です。
アファメーションすること自体がどうこうじゃなくて、私の場合は、という話なんですが。
というのは、肯定的な言葉を唱えるほど、その裏から 「それほんと?」 「ほんとうにそう信じてるの?」 との疑いの思いが いつもついて回っていたから。
当時は これはもうどうしようもないことと、その疑念や否定を上回るべく 芝居がかるほど情感を込め、何十回 ・ 何百回と執拗に繰り返していましたが、もしかすると 同じ数だけ否定も上書きされて 相殺か、悪くすると 否定のほうが勝っちゃっていたかもしれないなぁ
前にも書きましたが、成人してからも何十年と影響を及ぼすようなセルフイメージというのは、まだ脳の配線が未完成の幼少期に根付いた可能性が高いんですね。
脳が未完ということは、当然言葉もまだ使いこなせてないわけで、そのころ入り込んだ情報は 言葉になる前のイメージのまま、つまり より根源に近い形で刻まれたことになります。
言葉は そういうイメージを不完全な形ですくい上げる表現手段なので、その力は イメージそのものより弱いわけです。
だから、言葉になる前の形で根付いたものを 言葉で打ち消すというのは 困難なことなんですね。
とはいえ、アファメーション以上のいい手立てを知らなかったころは、とにかく手持ちの情報の中でベストを尽くすしかありませんから、「ホ・オポノポノ」 だろうと 「ありがとう百万遍」 だろうと、とにかく数を重ねればどうにかなるかもという希望を持って、手帳に正の字書いて数えたりしながら (ありがとうは 実際百数十万遍唱えた) 唱えに唱えていました (^^ゞ
それが、ここ1~2年 「からだの感覚にフォーカス」 という 大きな手応えありの手立てを得て、しばらくの間 アファメーションはすっかり忘れられていたのですが、先日ふと思いついたのです。
何十回 ・ 何百回と ポジティブな思いを口にするたびに それを打ち消すように上がってくる思いというのは、かなり根深いものに違いない。
だったら、その上がってきたネガな思いの感覚にフォーカスしてみたら? と
だいたい先日氣づいたように、ネガさんは敵じゃなくて、上っ調子にならないで 氣を引き締めるようアドバイスしてくれる頼もしい仲間なのだから、そのメッセージにはきちんと耳を傾けたほうがいい。
で さっそく試してみたら、効果絶大♪
内容によって 手放すまでの時間に差はありますが、一度消えると 次からはもう否定が上がってこないので、疑念なしに 氣持ちよく唱え続けることができ、氣持ちがぐっと上がります。
むしろ アファメーションのおかげで 氣づいていなかったネガティブなセルフイメージに氣づくチャンスをもらえたわけだから、効果もうれしさも倍増ですね
言葉にならない形で刷り込まれた思いは、言葉にする前の形で光を当てることで 効果的に解放されてゆくようです。
最近は、よほど根深いのか 手放しても手放しても またフラッシュバックする不安や恐れに、アファメーションと感覚フォーカスを組み合わせて唱えてみています。
まあ 年単位で試さないと 断定的なことは言えませんが、自分なりには手応えありで いい感じ♪
以前は なるべくウソっぽくならないよう 「~しつつある」 というのが精一杯でしたが、今は 「~だ」 と断定形多数でOKです (^^)v