毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

ある意味健全

2015年05月07日 23時53分59秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


このところ 心が落ち着ている時間が 以前よりずっと長くなり、時として至福と言いたいほどの幸福感が わけもなくこみ上げてきたりします。

そんなあるとき ふと氣がつきました。

このまろやかでうっとりするような感じって、甘いものやこってりしたものを口にしたときに感じる心地とそっくりだ、と。




やたら甘いものやミルキーなもの、しつこいものが食べたくてたまらなかったとき、私がほんとうに切実に欲しかったのは 食べ物自体ではなく安心感や幸福感だったんだと、改めて腑に落ちました。

もちろん当時は そんなからくりになっていようとは思いもよりませんでしたが。。。。

不安に取り巻かれっぱなしだったあのころ、空腹でもないのに しょっちゅう欲求が起こっていたのも納得です。




でも、食べることで得られるそれは やはりほんものではない一時的な氣休め。

ほんとうの安らぎや陶酔するような感覚は 心のバランスがとれて 落ち着いている時に起こるけれど、食べ物への欲求は 不安から逃れたいと必死になっている時に起こる、つまり 安心ベースと不安ベース、まったく正反対のところから湧いてくるという点が 大きく違います。

不安から逃れれば とりあえずはほっとするし、それを私は長いこと 幸福感と取り違えていたのだけれど、「ほっとする」 のほうは しょせんはまがいもの、根本的な解決とはならず じきまた不安に引き戻されるから、からだが必要としないものを バランスを欠いて やたらと食べ続けることになり、過食となって やがては健康を損ねてしまう。




そのときは、それしか思いつけなかったのだから 仕方なかったとも思います。

からだには負担をかけてしまったけれど、一時しのぎとはいえ、それがあったおかげで 心が壊れずにすんだのだから。

ただ、抑えようのない食欲に手を焼き わけがわからず悩んでいた時に、ほんとうに求めていたのは 心の安らぎだったのか、と今振り返ると、なんだか当時の自分が痛ましいような いとおしいような 切ない氣分になります。

あのころこれがわかっていたら、あんなに悩まなくて済んだのにね。

応急処置はあくまでも応急処置、いずれはきちんと問題と向き合う日がやってきます。

このようなからくりが より具体的に見えてきた今は、アンバランスな食べ方をしたくなる衝動に対して、ダイエットなどのように やみくもにがまんするのではなく、不安定な欲求を起こさせるおおもと ・ 心の様子に注目することが 真の解決につながる、という 以前から思っていたことを、いっそう自信を持ってお伝えしていきたいと思います。




その昔 過食がひどかったときに、何回ダイエットをしても すぐリバウンドで元に戻ってしまう自分を、意志が弱いとさんざん責めたけれど、実は命を守ろうとする防衛本能に素直に従っていたわけで、ある意味健全な反応だったんですね。

ちょっとフクザツな氣分ですが(笑) ( ̄ー ̄;)ゞ