毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

おまけ

2015年02月02日 19時43分46秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


前の話。

夜中に文章考えていたことがあって、かなり集中していたときのこと。




となりの台所から、なにやら紙袋かなにかが ガサガサいう音が。

虫? 。。。にしては、重量感ありすぎる。

だいたい、この寒い季節に ゴキブリだってムカデだって 見かけやしない。




前にも 不安定に積んであったものが、ガサガサ、ズズーっ、どさっ、と崩れたことはあるけれど、それにしては ガサガサ音が長すぎる。




ガサガサ、ガサガサ。。。。。




もしかして・・・・・・




きた?




あちらから。。。。。。




( ̄∇ ̄;)






まあ、この家でも 前の家でも 説明のつかない妙な音がするぐらいのことは 以前からあったのです。

先月は、集落内で 10日ほどの間に 立て続けに3軒もお葬式あったしな (^_^;)




いや、わかりませんが。




でも、書いてる内容が内容だし、もしかすると、と思って。

「ちょっと~、静かにしてよ」 って言ったら、ぴたりと止みました。




(^◇^;)






でもね、え!? って感じではあったけど、格別怖くもなかった。

だって、からだがあろうがなかろうが、人ってたいして変わらないんだな、って思うようになったところだし。

だとすれば、存在を知らせようとしただけなのか、ちょっと脅かしてやれと思ったのか、その程度ならかわいいものではあるけれど、いずれにせよ そんなのはノーサンキュー。

だから、こう言ったんです。




「私はもう この世だろうと あの世だろうと、そんなちょっかいにはいちいち反応しないことにしてるから。

 氣を引こうとしても無駄だよ。

 揉めるとかいがみ合うとか そういうの通り越して、もっと大きな世界に向かうって決めてるんだから。

 そっちこそ そんなことしてる場合じゃないでしょ。

 その氣になりさえすれば、いったんきちんと来たところに帰って、終わったばかりの人生で 当初の計画通りにやれたかどうか 振り返って、

 今度はもっとうまくやろうって 次の機会に備えるとか、することはいくらでもあるんだよ。

 人は、何回でもやり直せるの、限りなくチャンスをもらえるの。

 それを つまらないイタズラしてる場合ですか!」






いや・・・・・これ 思い過ごしだったら、いちばんアブナく見えるのは 真夜中にひとりでこんなことブツブツしゃべってる この私だよね。




(^◇^;) (^◇^;) (^◇^;)






まあいいや。。。。

とにもかくにも、そういう氣持ちなのです。




もう 低い次元で つまらないことごちゃごちゃやってる時ではありません。

ひとりひとりが 調和の取れた 明朗な心でいるだけで、世界は変わるのだから。


背筋びしっと伸ばして、顔上げて、しっかり前向いていこー!

















この世界ならでは

2015年02月02日 09時34分34秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


前の記事に登場していただいた “この世ならざるものが見える方” は、ご自身のブログにはっきりと、「霊は自分の想いで世界を作る事ができる」 と書いておられます。

やっぱりそうなんだ~。

あ、私は 肉体を持ってこちらで生きているときからできると思っているけど。

ただ、時間概念が作用するこちらの世界では、思ってから実現するまでに かなりのタイムラグが生じるので、因果関係がなかなか見えないんですよね。

そこへいくと、霊さんたちの世界は 即決即断・・・じゃない、即思即現?(なにそれ)




しかし、いったん囚われたおのれの心が なかなか思うようにならないのは、あちらもこちらも同じようです。




この方のブログを過去に遡ってず~っと読ませていただいて思ったのは、この方が書かれるように 霊になってからでも 地獄に落ちるのが怖さに 生きている人間にしがみついたり、腹いせにとり憑いて怖がらせるなどの意地悪をしたりするものならば、人って 生前も死後も 意識や感情においてはさして変わらないんだなっていうこと。




魂の世界に戻ろうとしない霊さんにも 救いの手は差し伸べられるようです。

呼びかけて連れ戻そうとする存在 (ご先祖さまや 魂のグループなど) のことが、この方のブログにも、「第十の予言」 にも書かれています。

ただ、思い込みの強すぎる霊は、呼びかけに応えなかったり逃げてしまったりするようで、やはり自分の意識が変わらないと、選択や行動を変えることもできないのですね。




問題は、この 「意識を変える」 というところ。

自分の世界観が具現化した状況を 身をもって味わうことで、「このままでいいのかな?」 とか 「こんな人生じゃいやだ!」 とかいう思いが湧き、それが意識の転換点になるのが、私たちこちら側の人間の氣づきと成長。

つまり、「身」 がなければ できないことなんだよね。

私は 「からだの感覚にフォーカスする」 っていうのを とても効果的な手立てだと思っているけれど、生身のからだのない世界では どうすればいいんだろう?




私たちは、この三次元世界に生まれることで 本来無限の身に さまざまな制約を負ったわけだけれど、肉体を持ち 自他に分かれることで、自分というものを 体験的に知ることができるようにもなったんですものね。

にっこり笑いかければ、仲良くなれる。

意地悪すれば、嫌われる。

他者を通じて返ってくる反応、他者という鏡にありありと映る 自分の姿。

自分を知り、変え、成長するのにうってつけの この三次元という場に立ちたいがために、不自由な思いをしてでも この世に生まれることを望んだのであって。




そんな五感で受け止められるからだを手放した後でも コントロールドラマに悩まされなければならないとしたら、ブレイクスルー、大変だろうなぁ。。。




「この世ならざるもの」 が見えるブログ主さんは、霊に限ったことではなく 動物やら 他の星の方々やら さまざまな存在の中に 時空を超えて入り込み、その視点から物事を見る力をお持ちだそう。

こちらの人間に向けての伝達手段を持たない霊さん動物さんたちに、伝言を頼まれることもしばしばだとか。

そして この力を使い、この世の尺度や手段だけでは解決できないような問題についての相談にものっておられるようです。

霊視というのをされて、できることなら引き受けるし、ご自分の手に負えないケースは断られるとのこと。

ここで私の関心が向いたのが、浄霊と除霊の違いについて。




この方がなさるのは、浄霊、いわば 説得されれば 渋々ながらであっても応じてくれる場合の対応。

こちらは、最終的には 納得の上成仏してくれるから、ハッピーエンド。

対して 除霊はというと、負の念があまりにも強過ぎて 聞く耳持たないようなケースに対してとられる強行手段。

放っておくと 害が大き過ぎるので、強制退去ということですね。

モノノ怪の薬売りさんがやってるのは、こっちのほうなわけだ。

なるほどこれは、祓うほうも よほど力が強くないと 危ないよね。




こちらの世界でも 聞く耳持たず 違法行為に及べば、強制的に拘束・隔離されるところは同じ。

でも、こっちでもあっちでも、とりあえずまわりに害が及ばないよう 「応急処置」 は施せても、それですぐ その人が心から こんなことはもうやめよう! と思えるようになるわけではありません。

人の心を変えられるのは、どこまでいっても 本人の意思のみ。

そして、そういう建設的な変化が起こせるのは、自他に分かれて 二元対立概念のもと、さまざまな触れ合い・ぶつかり合いの中で 心を揺さぶり動かすチャンスに満ち満ちている、この三次元世界にあってこそ。

霊になってしまってからでも 不可能とは言わないけれど、あまりにもハンデあり過ぎなんですね。




こんなふうに理解して以来、しみじみ思うのです。

無垢だった赤ん坊の身に わざわざ植え付けられた思い込みを 重荷に感じることもあるけれど、悩んで苦しんで なんとかしようとジタバタできるのも、手ごたえを感じてやった! と思えるのも、この世界に生まれてこられたからこそ。

だったらもう 不平不満は置いといて、この制約の多い世界だからこそできることを 目一杯やろうじゃないか、って。

そして、そんな人が増えて こちらの世が変われば、その影響は きっとあちらの世にもとどくはずだから、ってね。