たまたま行き当たった過去記事に目を通して、うひゃ~~~ ってなりました
正直リンク張るのもあまり氣が進まないけれど、読んで下さる方はなんのことやらわからないだろうし。。。。。
いちおうそっとここ に。
たぶん からだの感覚の探求を始めて まだそう経っていなかったときのことだろうなぁ (- -;)
怒りが たいした痕跡も残さず すみやかに消えていくって 喜んでる。。。。
うん、たしかにそうなんだけど。
今読むと、なんとも無邪氣で楽観的・・・・・このあとたどる道筋を知らなくてよかったね、って声かけたくなります。
一番の悩みの種だった 激しい怒りのスイッチとなる からだの反応が薄らいだのは、たしかにうれしいことでした。
ビフォーアフターで 身も心もすごく楽になったなぁって実感あったし、「早くゴールにたどりつくのが目的じゃない」 と書く一方で、きっとこれからどんどんよくなっていくんだろうな~♪ って希望に満ち溢れていたのもムリはない。
でも実際には、そうは問屋が卸さなかったのです。
なによりもまず、何かあったら即感覚にフォーカス、っていう道筋が まだぜんぜん確立していなかった。
できるようになったつもりでいたらしいけれど、今から見れば まだまだ。
ひとしきり頭の中で ああだこうだひねくりまわして解釈して、それからようやく感覚の出番、っていうことが多かったよね。。。。うっかり忘れることもあったみたいだし (^_^;)
さらに、怒りが薄らいだらそれで終わり、じゃなかった。
怒りの派手派手しさの陰に隠れていた ほかのネガ感情が、次から次へ 「こっちもなんとかして~」 と現れて、いつになったら終わるの!? って かえって不安が増したほど。
いや その前に、怒りだって ぜんぜんおしまいじゃなかったのです。
感覚が薄らぎつつも、繰り返し現れるところは 前とさして変わらず。
やはり、半世紀近くかけて溜め込んだものが そうあっさり消えうせるはずもなかったのですね。
期待した分だけ、再び現れた 終わりのない感に 氣落ちしたような、ほんとうにこのままいって大丈夫なのかな? って またしても 不安に駆られたような。
それでも ブログタイトルどおりあきらめなかった 以前の自分、ありがとうね
あのころ期待したのとは いささか違う感じではあるけれど、体感フォーカスを 心強い手立てとして自分のものにしたと思えるようになったのは、おそらく今年に入ってからのこと。
あの2度目 (9~12月) の白浜滞在が 大きく力になったかと。
何かあれば、考えるより先に → → → 感覚に集中、この回路が ようやくクセづいて定着した感があります。
おかげで、日記帳が進まないことったら(笑)
起きている変化のメモ程度にとどまり、ああだこうだと考察・分析することがほとんどなくなったからでしょう。
とか言って、2年後ぐらいにこれ読み返したら、あの頃はこんなに楽観的だったのか、うひゃ~ って またなったりして
実際そういうものなんだと思います。
だから最近過去ログを読む氣になれないんだけれど、前に書いたものが おいおいって思えるのは、成長の証でもあるものね♪
これからも、同じようなことを何度も書いては遡って あの頃ってまだまだ見えてなかったんだなぁ、と溜息つくことの繰り返しになるんだろうな(笑)
それでもぜんぜんやめる氣がないのは、何といっても 楽しいから
曇りが多過ぎて、わくわくが見えてこないよ~って心配だったけれど、なんのことはない、内的探求が 人生で何よりのわくわくっていうことで間違いなかったんだ、って 改めて思いました。
いつになったら ネガ感情をすっかり払拭して わくわくに取りかかれるんだろうって不安だったとき、すでにしっかりわくわくをやってたんですね( ̄ー ̄;)ゞ
今やっていることが 何よりのわくわくであり 今生のお役目ともつながってるとわかったのは、やはり 三次元と魂の ふたつの視点が 同等のウェイトを持つようになったからかな♪
ブログに表れる以上に まだまだな時も多い貴秋ですが、そのまま呑み込まれることなく、やがては渦の外に出て、自分の大好きな道を進んでいけること、心からありがたく思います (^^)