きのうのこと。
ある用件の確認で 業者さんに電話を入れました。
「はい、○○でございます」と出てくれることを当然のように期待していて、どこか暗くて頼りなさそうな声が「はい・・・」と言ったなり黙ってしまったことにカチンときて、「○○さんですか?」と尋ねる声の調子がキツくなってしまった私がいました
我ながらこれはマズイ、と口調を改め、とりあえず滞りなく用は済ませたんですが、そのあともその件が心のどこかにずっと引っかかっていて。。。
さっきまたそのことを思い出したので 少し積極的に追いかけてみました。
お商売をされてる人の対応としては?なところもあるけど、なにも怒るほどのことじゃない。
もしかしたら たまたま電話番を頼まれた不慣れな人だったのかもしれない。
いずれにせよ、あちらの応対はあちらの問題で、私のじゃない。
私の問題は そのカチンときたところ、きっと何かがそこにあるんだね。。。
私のほんとうに望んでいることはなんだろう?
もし型どおり丁重に名乗りを上げてもらえば、いつも心は満たされるのかな?
いや、そうじゃないな。。。
口調が礼儀正しくても 声が冷たかったり心がこもってなかったら やっぱりうれしい氣持ちにはなれないな。。。
わかった。
私はあのとき 心のこもったあったかい応対をして欲しかったんだ。
思い返せば、そもそも電話をするきっかけというのが、少し前その業者さんに依頼した件がちゃんと伝わっているかどうか氣になることがあって、その確認のためのものでした。
だから、電話を入れる時点で こちらがすでに不安だったんですね。
それで、ついつい安心させてくれるような受け答えを期待してしまった。
その期待を外されて むっとしちゃったんだね(^^ゞ
これがわかった瞬間、それまでずっとどこかにわだかまっていたものが すぅっと消えてなくなって 心がすっきりクリアになったのを感じました。
あ~、すっきりしたぁ~
ほんとうの氣持ちがわかると こうまで軽やかになれるものなのね(^^)
私がなかなかそこを見ようとしなかったから、心が何度も突っついて教えてくれてたのね♪
どうやらこの一件はこれでご用済みのよう、もうまるっきり氣になりません
それで終わりにしてもよかったんだけれど、そこからさらにもう一歩突っ込んで ちょっとシミュレーション☆
もしあのとき 自分のほんとうの望みがわからないまま 向こうの応対をなじっていたとしたら?
仮にお詫びしていただけたとしても、私が得られるのはほんの小さな一時的な満足感だけ。
そして今度は向こうの人の心の中に なんともいえない不快感が生まれて だんだん膨らんでいくことだろう。
もしかしたら もっと立場の弱い人が八つ当たりされたりしちゃって、また新たな不快感が生まれるかも・・・
うわ~
もしかして、間違って認識されたニセの望みは 否定的な世界を大きく創り上げてしまうのでは?
一見平穏な私の暮らしも、よくよく見渡せば この程度の「カチン」や「ムッ」はけっこうちょくちょくあるわけで、
また、ぐっと身近になったお隣の小学生くんたちの日常にも、それまでは目に付かなかった揉め事やゴタゴタがかなりあるのを知ることになって、
そのたびにひとつひとつ今回のように追っかけていくと、その根っこに
「自分のほんとうの氣持ちや望みが見えない」
っていう問題があることに氣づかされるのです。
反抗的で先生のいうことを聞かない子だって、
友だちのものを強引にとっちゃう子だって、
そこまでいく前に 自分のほんとうの氣持ちをわかりわかってもらえたら、もっと穏やかでいられたかもしれないね。。。
自分のほんとうの氣持ちをいつもわかっていられること。。。
もしかしたら この世でなによりも大切なことなんじゃないかとさえ思えるのです。
かくいう私、まだまだ未熟者で 人のことまでどうこうできるほどの器ではないけれど、少なくとも自分のほんとうの氣持ちを見つめることだけは どこまでも続けていこうって思います
なによりも それってとっても氣分のいいことなんだもん
ある用件の確認で 業者さんに電話を入れました。
「はい、○○でございます」と出てくれることを当然のように期待していて、どこか暗くて頼りなさそうな声が「はい・・・」と言ったなり黙ってしまったことにカチンときて、「○○さんですか?」と尋ねる声の調子がキツくなってしまった私がいました
我ながらこれはマズイ、と口調を改め、とりあえず滞りなく用は済ませたんですが、そのあともその件が心のどこかにずっと引っかかっていて。。。
さっきまたそのことを思い出したので 少し積極的に追いかけてみました。
お商売をされてる人の対応としては?なところもあるけど、なにも怒るほどのことじゃない。
もしかしたら たまたま電話番を頼まれた不慣れな人だったのかもしれない。
いずれにせよ、あちらの応対はあちらの問題で、私のじゃない。
私の問題は そのカチンときたところ、きっと何かがそこにあるんだね。。。
私のほんとうに望んでいることはなんだろう?
もし型どおり丁重に名乗りを上げてもらえば、いつも心は満たされるのかな?
いや、そうじゃないな。。。
口調が礼儀正しくても 声が冷たかったり心がこもってなかったら やっぱりうれしい氣持ちにはなれないな。。。
わかった。
私はあのとき 心のこもったあったかい応対をして欲しかったんだ。
思い返せば、そもそも電話をするきっかけというのが、少し前その業者さんに依頼した件がちゃんと伝わっているかどうか氣になることがあって、その確認のためのものでした。
だから、電話を入れる時点で こちらがすでに不安だったんですね。
それで、ついつい安心させてくれるような受け答えを期待してしまった。
その期待を外されて むっとしちゃったんだね(^^ゞ
これがわかった瞬間、それまでずっとどこかにわだかまっていたものが すぅっと消えてなくなって 心がすっきりクリアになったのを感じました。
あ~、すっきりしたぁ~
ほんとうの氣持ちがわかると こうまで軽やかになれるものなのね(^^)
私がなかなかそこを見ようとしなかったから、心が何度も突っついて教えてくれてたのね♪
どうやらこの一件はこれでご用済みのよう、もうまるっきり氣になりません
それで終わりにしてもよかったんだけれど、そこからさらにもう一歩突っ込んで ちょっとシミュレーション☆
もしあのとき 自分のほんとうの望みがわからないまま 向こうの応対をなじっていたとしたら?
仮にお詫びしていただけたとしても、私が得られるのはほんの小さな一時的な満足感だけ。
そして今度は向こうの人の心の中に なんともいえない不快感が生まれて だんだん膨らんでいくことだろう。
もしかしたら もっと立場の弱い人が八つ当たりされたりしちゃって、また新たな不快感が生まれるかも・・・
うわ~
もしかして、間違って認識されたニセの望みは 否定的な世界を大きく創り上げてしまうのでは?
一見平穏な私の暮らしも、よくよく見渡せば この程度の「カチン」や「ムッ」はけっこうちょくちょくあるわけで、
また、ぐっと身近になったお隣の小学生くんたちの日常にも、それまでは目に付かなかった揉め事やゴタゴタがかなりあるのを知ることになって、
そのたびにひとつひとつ今回のように追っかけていくと、その根っこに
「自分のほんとうの氣持ちや望みが見えない」
っていう問題があることに氣づかされるのです。
反抗的で先生のいうことを聞かない子だって、
友だちのものを強引にとっちゃう子だって、
そこまでいく前に 自分のほんとうの氣持ちをわかりわかってもらえたら、もっと穏やかでいられたかもしれないね。。。
自分のほんとうの氣持ちをいつもわかっていられること。。。
もしかしたら この世でなによりも大切なことなんじゃないかとさえ思えるのです。
かくいう私、まだまだ未熟者で 人のことまでどうこうできるほどの器ではないけれど、少なくとも自分のほんとうの氣持ちを見つめることだけは どこまでも続けていこうって思います
なによりも それってとっても氣分のいいことなんだもん