幼稚園に行く前からオルガンを、そして小学校1年生からピアノを習っていました。
両親の影響で 小さい頃から音楽が大好きだった♪
何人もの先生に教えていただいて、ピアノを弾くときの姿勢やコツなんかもたくさんのアドバイスを受けてきたんだけど、
実のところ、ほんとうにこれだ!っていう姿勢やコツを掴んだ氣がしたのは、成人してピアノ教師になってしばらく経ってからのことでした。
あるプロのピアニスト、もうそれが誰だかも覚えてないんだけれど、テレビで見たそのなんとも心地よさそうな演奏姿を眺めているうちに、
ふいにその心地よさが自分のからだにすぅ~っと伝わってきたような氣がしたのです。
あんなふうに いい氣持ちで弾けばいいんだ
その氣分のままピアノに飛びついて弾いてみたら、あら不思議、それまでどれだけ「もっと力抜いて!」って注意されても抜けずにいたのが、そのピアニストのさながら蝶のように鍵盤上をひらひら飛び回るしなやかな動きが・・・いや、少なくともそれに近いような動きが(笑)わが身に移ったように、なんだかい~い氣持ちで自然とできてしまうではありませんか\(^o^)/
あらら、力を抜くってこういうことだったのね~
それまで 先生がいくらいっしょうけんめい言葉や身振りで伝えようとしてくださっても、私はそれを外側から見たり聞いたりして、自分なりのイメージに置き換えて 外側から真似てみるだけだった。
力を抜きなさいと言われて直そうとすればするほど、意識して力が入ってしまうのをどうすることもできなかった。
あのとき初めてわかったんです。
先生方のアドバイスはあくまでもヒントであって、自分にとっていちばんいい姿勢や弾き方っていうのは、自分のからだに心地いいかどうかを絶えず問いかけながら 自分で見つけ出すしかないものだったんだって。
それは自分の中にあるんだって。
そして今、「生きる」っていうことそのものが、そっくりそのままこのときの体験と同じようなことなんだなって思います(^^)
まわりの大人たちからいろんな情報いっぱいもらって とにかくけんめいに言われたとおりやってみるうちに、自分がどうしたいのか、どうすればいちばんいい氣分になれるのか、がわからなくなっちゃった
ああでもない、こうでもないとさんざん悩んだ挙句 たどり着いたのは、
自分の内側に問いなさい
自分の中から感じて 自分で決めなさい
っていうところでした
結局そこでしたかぁ
もうまるっきり“青い鳥”(笑)
さんざん回り道してたどり着いてみれば、それって思いっきり当たり前のことではありませんか
自分が感じる以上の答えが自分の外にあるわけない。
外側からなにを持込む必要もない。
誰のせいにすることもない。
すべて自分で、自分の責任で選ぶって決めて
リラックスして 一番いい氣分はど~れ?って見回せば、
それはいつでもすぐ手の届くところにある♪
いや、向こうからやってきてくれる♪
そして「回り道」と思ったものは、
私にほんとうの“いい氣分”とはなにかを教えてくれる 貴重な手がかりの数々でした。
なんか当て外れ、あれも違う、これも違う。。。
痛い思いをしながらいっぱい手放していった中から
「これだ~」っていうのが見えてきた♪
やっと選び当てた、自分で掴み取った、っていう確かな手ごたえ。
これはもう ちょっとやそっとのことでは揺らがないぞっていう感じ
最初っから 氣づいてないけどわかってたのね♪
そして今 ぐる~っと回って戻ってきて やっと見えたのね♪
そもそもそれが“私”なんだって♪
きょうも幸せでいましょう
笑顔でいましょう
ほんとうの自分とひとつでいましょう
これぞまさしく“毎日がしあわせ日和”
なんちゃって☆
両親の影響で 小さい頃から音楽が大好きだった♪
何人もの先生に教えていただいて、ピアノを弾くときの姿勢やコツなんかもたくさんのアドバイスを受けてきたんだけど、
実のところ、ほんとうにこれだ!っていう姿勢やコツを掴んだ氣がしたのは、成人してピアノ教師になってしばらく経ってからのことでした。
あるプロのピアニスト、もうそれが誰だかも覚えてないんだけれど、テレビで見たそのなんとも心地よさそうな演奏姿を眺めているうちに、
ふいにその心地よさが自分のからだにすぅ~っと伝わってきたような氣がしたのです。
あんなふうに いい氣持ちで弾けばいいんだ
その氣分のままピアノに飛びついて弾いてみたら、あら不思議、それまでどれだけ「もっと力抜いて!」って注意されても抜けずにいたのが、そのピアニストのさながら蝶のように鍵盤上をひらひら飛び回るしなやかな動きが・・・いや、少なくともそれに近いような動きが(笑)わが身に移ったように、なんだかい~い氣持ちで自然とできてしまうではありませんか\(^o^)/
あらら、力を抜くってこういうことだったのね~
それまで 先生がいくらいっしょうけんめい言葉や身振りで伝えようとしてくださっても、私はそれを外側から見たり聞いたりして、自分なりのイメージに置き換えて 外側から真似てみるだけだった。
力を抜きなさいと言われて直そうとすればするほど、意識して力が入ってしまうのをどうすることもできなかった。
あのとき初めてわかったんです。
先生方のアドバイスはあくまでもヒントであって、自分にとっていちばんいい姿勢や弾き方っていうのは、自分のからだに心地いいかどうかを絶えず問いかけながら 自分で見つけ出すしかないものだったんだって。
それは自分の中にあるんだって。
そして今、「生きる」っていうことそのものが、そっくりそのままこのときの体験と同じようなことなんだなって思います(^^)
まわりの大人たちからいろんな情報いっぱいもらって とにかくけんめいに言われたとおりやってみるうちに、自分がどうしたいのか、どうすればいちばんいい氣分になれるのか、がわからなくなっちゃった
ああでもない、こうでもないとさんざん悩んだ挙句 たどり着いたのは、
自分の内側に問いなさい
自分の中から感じて 自分で決めなさい
っていうところでした
結局そこでしたかぁ
もうまるっきり“青い鳥”(笑)
さんざん回り道してたどり着いてみれば、それって思いっきり当たり前のことではありませんか
自分が感じる以上の答えが自分の外にあるわけない。
外側からなにを持込む必要もない。
誰のせいにすることもない。
すべて自分で、自分の責任で選ぶって決めて
リラックスして 一番いい氣分はど~れ?って見回せば、
それはいつでもすぐ手の届くところにある♪
いや、向こうからやってきてくれる♪
そして「回り道」と思ったものは、
私にほんとうの“いい氣分”とはなにかを教えてくれる 貴重な手がかりの数々でした。
なんか当て外れ、あれも違う、これも違う。。。
痛い思いをしながらいっぱい手放していった中から
「これだ~」っていうのが見えてきた♪
やっと選び当てた、自分で掴み取った、っていう確かな手ごたえ。
これはもう ちょっとやそっとのことでは揺らがないぞっていう感じ
最初っから 氣づいてないけどわかってたのね♪
そして今 ぐる~っと回って戻ってきて やっと見えたのね♪
そもそもそれが“私”なんだって♪
きょうも幸せでいましょう
笑顔でいましょう
ほんとうの自分とひとつでいましょう
これぞまさしく“毎日がしあわせ日和”
なんちゃって☆