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風まかせ放浪記

バイクといろいろ日記帳

アン カルネ シルブプレ

2006年08月30日 23時46分55秒 | 旅の思い出
写真は心斎橋の駅の風景。まるでパリのメトロ駅の風景みたいでいい

パリのメトロといえば網の目のように走っていて、どこまでのっても一定料金だし、観光客にもわかりやすくてとっても便利。メトロ・・・といえば日本のガイドブックにも書いてあるように無賃乗車をするフランス人が多い。チケット一枚が1.40ユーロなので日本円にするとだいたい200円だからそんなに高いお金じゃないのに、人ってタダで乗れると思うとケチになるものか

そのフランスでよく見かける無賃乗車方法といえばフランスのメトロの改札口を知っている人はご存知と思うが、チケットを通して入場する改札と、出口がだいたい並んで設置されてるので、まず、友達に中に入ってもらって、出口のドアを開けてもらう。出口から普通は逆流して中に入ることはできないのですが、中にいる人がその出口のドアを開けてくれさえすれば入場可能なのである

しかし注意するべき点は逆流した場合、警報機がなる場合があるが、なった場合はためらわずダッシュすればOK!(^^)もうひとつのただ乗りは自分の前に改札を入った人についていき、その人が回転バーの向こうのドアをあけてさえくれればこれまたOK。回転バーはまたいで乗り越えればいい。そういうことをフランス人は平気でやる

そういうアホなことを大阪で楽しんでみるような余裕も良いかなあ・・・なんて電車待ちのホームでアホな思い出ををぼんやりと回顧する今日この頃・・・

ロマンチック街道

2006年08月13日 05時46分50秒 | 旅の思い出
ふたたび旅の思い出はノイシュバンシュタイン城とホーエンシュバンガウ
南ドイツの古都フッセンの近くにあるノイシュバンシュタイン城は
切りたった小高い山の頂に、凛と佇むその姿はまさに名前にもある
白鳥の姿そのもの。日本から行くドイツ観光の目玉であるロマンチック街道
その起点フッセンも古い町並みが残されていている

バイエルン国王ルートヴィッヒ2世が残したノイシュバンシュタイン城は
中世騎士の城をイメージして贅を尽くして建てられた神秘的で
メルヘンチックな城だ。城は岩山の頂上に造られ、バイエルンの平原を
見渡すことができる

外観の美しさから、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルにもなり
映画「チキチキバンバン」のロケにも使われたのは有名な話
外観の美しさに負けず劣らず城の内部はまさに博物館である

各部屋ごとの壁や天井には、ワーグナーの楽劇の場面が見事に描かれており
調度品も実に素晴らしいものだったが、残念ながら城の中は撮影禁止

ノイシュバンシュタイン城の山を下りると、ルートヴィッヒ2の父
マクシミリアン2世が建てたホーエンシュバンガウ城がある
ルートヴィッヒ2世も子供時代を過ごした城だという




断崖絶壁の町 ロンダ

2006年07月30日 10時31分43秒 | 旅の思い出
スペインの旅はコルドバ・セビリアをさらに南下してロンダへ到着
ここは人口3万人の小さな町でタホ谷によって旧市街と新市街が分かれている

谷はものすごく深い断崖絶壁で、深いところでは300mにも達するという
二つの街を繋ぐのが、ヌエボ橋(新橋)、ローマ橋とアラブ橋の三つの橋で
ヌエボ橋は高さが100mもあって渓谷を見下ろす景色はまさに壮観であった

ヌエボ橋から見ると、この写真のようにタホ谷両岸の断崖絶壁の 上には
白い家(カーサ・ブランカ)がびっしり建ち並んでおり、その中の一軒の住宅を
見せてもらった。建て込んだ住宅の内には、パティオ(中庭)があり
この空間構成の日本のホテルなどにも取り入れられていてパティオという
空間表現は日本の建築設計用語としては比較的馴染んでいる

このちいさな中庭のお蔭で南スペインの明るい陽がさし込み
明るくて、家族全員の憩いの場となるのだろう
タホ谷の方にはバルコニーを張り出して庭園にしており、
そこからの眺めはすばらしく、世界有数の別荘という感じであった
景観としては美しいけれども何も好き好んでこんな絶壁の縁に作らなくても・・・

驚きだったのはヌエボ橋から谷を見下ろすと、断崖絶壁の谷の途中に
テラス状になっている狭い場所にも、家が建っているのだ
その下にも絶壁は続き、谷の一番奥底が見えないほどの深い谷
しかし、谷の途中の家に住んでいる人の生活のための上り下りはいったい
どうやって暮らしているのだろうと思うほど現実離れした生活空間に
驚きながら、その景観の美しさに目を奪われてしまった


ふたたびイタリア

2006年07月28日 23時50分46秒 | 旅の思い出
イタリアは水の都ヴェネツィアは無数の島々で構成される
ラグーンの中の都市。無数のカナル(運河)が通じ、現在のように
橋が架けられるまでは、交通の手段はゴンドラや水上バスのみであったらしい

大運河カナル・グランデは全長が3キロメートルを越えるにもかかわらず
今日でも3つの橋しか架けられていない。その3つの橋のうち
真中の橋がこのリアルト橋。この橋は現在でも歩行者のためだけの
橋でありながら、モニュメンタルな橋として知られている

それまで運河に架かる橋はそのほとんどが、橋の下を船が航行できるように
するために木製の跳ね橋が架けられていたらしいが、耐久性の面から
石橋にすることが様々に提言されてはいたものの、それらの計画案も
実施されるに至らなかったらしい。

一般公募により選ばれた橋の設計案は橋下を多くの船が通ることを考えて
単一アーチでそりの大きい太鼓橋であったという
橋上にはアーケードが作られ商店が並んでいるが、これも架橋当初から
構築されていたので、乱雑にならず整然としている

さらにヨーロッパの橋には珍しく運河を見晴らす欄干と花瓶型の
手摺が付いて、橋の中央部は前後を開放した憩いの場となっていた

暑い・・

アルハンブラの思い出

2006年07月26日 23時14分41秒 | 旅の思い出
休暇をとって一月くらいもう一度行きたいと思ってる海外旅行だが
現実はそれどころではない。まあ、当分は金があっても
時間を作ることは無理かもしれない

そう思うとあちこちで写真を見たりテレビの特集をみたりすると
懐かしい旅の思い出にしばし浸ってしまう。なかでも
6年前の冬に行ったスペインは印象的であった

7世紀にイベリア半島に進出したイスラム勢力は瞬く間に
半島を制圧し、コルドバなどの都市では西ヨーロッパより遙かに
高いレベルのイスラム文化が花開いた

しかしキリスト教勢力がこれを徐々に押し戻し、14世紀にはついに
イスラム最後の砦であるグラナダが陥落し、イベリア半島は
再びキリスト教勢力のものとなる

アルハンブラ宮殿はそのグラナダを見下ろす丘の上に築かれた
城塞・宮殿・離宮から成り、アルハンブラとは「赤い城」という意味で
ナスル朝ララマール王が宮殿の建設に着手し、以後21人の王達の手に
よって増改築が重ねられていった

王達はアルハンブラ宮殿の造営を通して、ただひたすらにイスラムの美を
追求し続けたという。その姿はまるでレコンキスタ(イスラムに対する
キリスト教勢力の大攻勢)という現実から逃れようとしているかのよう

グラナダ陥落後、街のモスクは破壊されカテドラル(大聖堂)が
建設された。しかし、このアルハンブラ宮殿が完全に
破壊されることはなかったことから実に優美で美しい姿を見せていた


ポン・テ・ベッキオ

2006年07月22日 22時07分09秒 | 旅の思い出
もう10年くらい前になるが家族と行ったイタリアで
とりわけ美しく印象的だったのはフィレンツェの街並みである

ウフィッツィ美術館経由で市街を歩き回って到着した
ベッキオ橋の眺めはは本当に美しいと思った
この橋は富豪メディチ家の人たちが、雨の日でも傘をささずに
対岸の教会まで行けるように架けたという贅沢な橋なのだという

橋は2層になっていて、上の階は両岸をつなぐ回廊と
下の階は、橋の建設費や維持管理費を負担した
宝石商たちが軒を並べたのだ。つまり、最初から
店舗と住宅がある橋として計画されたという

3つのアーチが美しいこのベッキオ橋は、14世紀中ごろ
アルノ川に架けられた。昔は肉屋などが並んでいたらしいが
臭いを嫌がったフェルナンデス1世が店を撤去してしまい
代わりに宮殿の周辺としてふさわしく、宝石店を並べるようにしたという

そういえば、その名残が残っていて、橋には宝石店や
金銀細工の店が軒を連ねていた。階上はウッフィツイ宮と
ピッテイ宮殿をつなぐ通路となっているのだ

戦時中、唯一この橋が破壊を免れ、フィレンツェの街の歴史を
現在に伝えているという。橋の中央から見る夕暮れ時の
アルノ川の景色は美しく、旅情をかき立てられる

写真はまたしても通勤途中の梅田の地下街にあるバックライト式の壁面写真である


オベリスク

2006年04月13日 13時05分09秒 | 旅の思い出
シャンゼリゼ通りを、東へ歩くととコンコルド広場に出る。「コンコルド広場」と「マドレーヌ寺院」エリアの案内オベリスクの立つコンコルド広場はルーブル美術館と凱旋門の間に位置し、各方面からの道路が交わる大きなトラフィック地帯だ。

広場中央には、ランドマークになる石塔オベリスクが誇らしげに建っている。フランス王朝時代に、広場の建造が始まった頃には、「ルイ15世広場」と呼ばれ威厳あふれる広場だったらしいが、その後、学生時代に「火縄くすぶるバスティーユ」と覚えた1789年のフランス革命が起きると、「革命広場」と呼ばれるようになり、この広場で、 ルイ16世とマリー・アントワネットが、ギロチンの断頭刑に処されたのは有名な話。

その頃から、数百人がこの広場で処刑され「ギロチン広場」との別称がついた。今の名称「コンコルド(調和)広場」と呼ばれるようになったのは、19世紀初めらしい

エジプトからフランス国王ルイ・フィリップに贈られた23メートルの石塔「オベリスク」が建立された頃からだという。エジプトの古都ルクソールの神殿に2本あったオベリスクの1本をフランスに贈ったらしいが紀元前13世紀の建造物とはすごい歴史のある石塔だ。そのフォルムは優美で青空を背景に本当に美しいと思った

広場の奥には、チュイルリー公園があり、その奥がルーブル美術館だ。天気の良い日は、シャンゼリゼ通りからセーヌのほとりへと散歩するのもいい

モンマルトルの丘

2006年04月11日 12時34分56秒 | 旅の思い出
もう10年くらい前になるが、短期間でめぼしい観光スポットを移動しまくるというハードスケジュールのパックツアーがいやになりパリで10日間を過ごしたことがあった。

と書くとなんか語学堪能で海外旅行慣れしてるように思わせるが、実はホテルは市内にあるニッコー・ド・パリで固定なのだ。なんでかあというとそれはJALのホテルだからね、万一の場合でも必ず日本語が通じるし、JALのオプショナルツアーはすべてここから出発するという、ステイを楽しむには程遠い小心者の日本人的発想であったのだ

まあ、パリは飽きない街だがフランス語の解らない私の食事のオーダーのしかたといえば、前菜・肉・魚・デザートだけは解読できるから、そのカテゴリの中からひとつづつ選ぶ。でもメニューを読み上げることが出来ないので、どんな料理なのかはさっぱり解らず、それぞれの中で適当に指を指してオーダーする。復唱されるが聞き取れるわけもなく「ウィ・シルブプレ~」なんて酔っ払いみたいな返事でOKなのだ。

何が出てくるのかわからない日替わりランチみたいで良かった。モンマルトルの丘の上のテアトル広場に着く途中で日本語メニューのビストロを発見しホッとして吸い込まれた記憶がある。あそこは20世紀初頭には、ユトリロやピカソなどがここに住んでたらしい。それに東洋でキリスト教の布教活動をするためのイエズス会が誕生したのがこのモンマルトルの丘らしいのだが、丘の麓にキャバレーやストリップ劇場などが数多くできたことも手伝ってか、今や俗化し観光スポットになってしまったようだ

テアトル広場は似顔絵描きや、自分の絵を売っている人たちでいっぱいだったでも昔も今も芸術家たちの溜まり場といった雰囲気は悪くない。お店もポスターや絵葉書などを扱っているものが多い。この丘からはパリ市外が一望できる。ポンヌフのたもとから見る霞がかかったような黄昏時のパリもいい

モン・サン・ミッシェル

2006年04月07日 16時37分21秒 | 旅の思い出
モン・サン・ミッシェル 海岸線から1キロほど沖に突き出た岩山で、フランスでもっとも有名な巡礼地堤防からラヴァンセ門をくぐり進むと、みやげ物店、名物のオムレツを供するレストラン、ホテルなどが軒をつらねる参道グランド・リューGrande Rueが修道院までのび、シーズン中数多くの観光客でにぎわう。 ヨーロッパ最大の干満差が観測され、かつては満潮になると島への道が消えてしまい、波にのまれた巡礼者も数多かったという。現在は堤防によって結ばれ、潮の満ち引きに関係なく訪れることができる。 しかし、近年はその堤防のせいで砂が沈殿、堆積し、ぐるりと海水で囲まれることは稀となってしまった。海が「馬が駆けてくるような」速度でモン・サン・ミッシェルまで押し寄せるという光景はなかなか見られなくなってしまったそうだ。 去年の春より、障害となる砂と車を整理し、モン・サン・ミッシェル本来の姿に戻す環境整備工事が始まっている。工事終了は工事開始から5年後の予定 周辺は危険な流砂床となっており、勝手に歩くのは禁止されているが、ガイドを伴って散策するツアーは地元で開催されているという。行ってみたいなあ

すぺいん その2

2006年01月07日 01時14分08秒 | 旅の思い出
これが極寒のトレドの街である
息が凍るどころか
道端の草木がみな樹氷状態で
ラマンチャの風車に至っては寒くて、寒くて
バスに逃げ帰ったほどであった

入国した北部の強烈な寒さには
閉口してしまったが
これが同じ時期の同じ国内なのか
と思うほど南下すると暖かだった

次回は暑いすぺいんを旅してみたい


すぺいんのおもひで

2006年01月05日 09時04分50秒 | 旅の思い出
机のお片づけをしていたら最近は見かけなくなった3・5インチ
のフロッピーディスクが出てきた
私の片付けはいつも片付けにならないときが多い
懐かしいものやどこへしまい込んだのか忘れてしまったものを
発見しては読みふけってしまうのでいっこうに進まないのだ

最近は新しいPCにはフロッピーの挿入口すらついていないものが多いようだ
なにやら昔のLPレコードに針を落とすような懐かしい思いで開けてみると
5年前のちょうど今頃行ったスペイン旅行の画像が入っていた
トレド マドリード ラマンチャ コルドバ セビリア
グラナダ ロンダ ミハス あといろいろ

とりわけ極寒のトレド、アルハンブラ宮殿そして
サグラダファミリアのイメージは他のどこよりも記憶が鮮明に残っている
聖堂の地下に置いてある基本デザインとなった逆さ吊り模型(写真)は
構造的に無理のないバランスをとるために造られた合理的なものだ

スペインの青い空にそびえたつサグラダ・ファミリアは
ガウディーの手を離れた今もなお日々完成に向かっているという

パリへ行きたし

2005年08月24日 05時07分51秒 | 旅の思い出
「パリへ行きたしと思へどパリは遠し」
と誰かが言ってた 

スペイン旅行を最後に時間と金がなくなり
海外は行けてない パリに行きたいな

何度も訪れたあの街は美しく、情緒に富んだ街だ
歴史を感じる石造りの古い建物が申し合わせたかのように
均質の美しさをたたえている
それは特定の才能によって形作られたモザイク画のようだ

放射状に広がる並木道には、あまりでしゃばらない看板をつけた
お店が上品に立ち並び、通りを行く人々の目を和ませている

ユトリロの絵に出てくるような石畳の裏通りを
あてもなく歩き回りたい