All's Right with the World!

~なべて世はこともなし~
日曜朝の英雄時間感想
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表現と共感

2008-06-01 23:36:55 | 絵描きの戯言
たまに…というよりは、更新のたびに思うことですが…。
何でブログを書いているんだろう…というのは、ブログをはじめてもうすぐ2年目を迎えようという今も、よく思うところです。
たまたま、ブログで自分の意見を書く、気持ちを書く、ということについて考える機会があったので、これはまあ…その覚え書きのようなものです。
面白くなさそう、と思う方はスルーしてください(苦笑)。
大したことは書いてませんので。

少し前のことですが、ある方とメールで色々お話しする機会がありました。
内容は質問メールにお答えするというか意見を交換するというか…お互いの意見を聞いてそれに答えるみたいな感じでしょうか。
実はこのやりとり、けっこう重たいというか…まあ、お返事を書くのにけっこう時間もかかったし考えるのに頭を悩ませました(苦笑)。
メールのやりとりが数回あったのですが、終わったときは疲れた…と正直思いました。
特に自分が「不快」に思っている理由を考えるというのに、かなり重い気分になったり不愉快な気持ちを感じることも多々ありましたので、このあたりが「疲れた」理由でした。

実は、このメールのやりとりの時は正直疲れましたし、考えても楽しいと思えないことで頭を悩ませたり、「自分が好きではない理由」を追求するという作業に、ときどき落ち込みを感じたりしました。
けれど、毎日返信が届いていないかとドキドキしながらメールチェックし、メールを読んで返事を書くことに全力を注いだのも、紛れもない事実でした。
仕事が立て込んで時間がないと思いつつも、毎日せっせとメールを打ちました。
あとで先方から「このやりとりが楽しかった」というメールをいただいて、しんどいとも思ったけれど、私もこのやりとりそのものは楽しかったということを実感しました。
とはいえ、しばらくこのことについて考えるのはやめよう…と真面目に思ったくらい疲れたのも本当です(苦笑)。

今日、ちょうど「考え合う技術」(ちくま新書)を読み終わりました。
この本をなぜ読もうと思ったのかは…もはや思い出せません(苦笑)。
数日前、長らく積んだままだったのをふと手に取り、ようやく今日読み終わりました。
そして、先日のメールのやりとりを思い出して、意見を交換する楽しみについてつらつらと考えてみました。

この本ではおおよそこういうことが出てきます。
思うことを「表現」する…というのは、「相手」を想定して誰かに伝えることが前提です。
誰かに伝えようと思わなければ「表現」しないのだから、「表現」するということは、誰かに伝えたいと思っているということです。
誰かに伝えたいのはなぜか。
伝えた「相手」から何らかの「意見」をもらいたいと望むから、ここに「表現」がある。
「表現」することには、相手の「意見」、それも「共感」を望む気持ちがあり、その前提としては「誰かに共感してもらえる」と信じる気持ちがある。
一人一人の考え方が違うのだから、一人一人感じること…好き嫌い、快不快さまざまな違いがあるのは当たり前のこと。
けれど、考え方の違う相手にも、自分が好きな理由・嫌いな理由、快と思う理由・不快と思う理由を伝えることで、相手に自分の気持ちを「理解」してもらえるということが前提にあるから「表現」するというのに、膝を打ちました。
自分の「意見」や「気持ち」に理由をつけることで、相手に理解してもらえると思うことが「表現」の前提になるというのは、考えてみれば普通のことなのですが、改めて考えたときに「なるほど」と思ったことでもありました。
言葉を使って「表現」することの意味を改めて理解した気がします。

もう一つ、はっとすることがありました。
「共感」には一種の「抑圧」があるということについてです。
要するに…相手が共感してくれることへの期待が、相手を抑圧する可能性があるというのに、ちょっと目からウロコが落ちました。
違う意見があることは当然だと思っていても、「共感性」を共有すると当然わかってもらえるものと思ってしまう、というのに、なるほどと思いました。
お互いが自由に考えて、意見を交換すること、「表現」を通してお互いの考え方を理解することの面白さというのはわかりやすいけれど、この「抑圧」というのには胸を突かれました。
メールのやりとりの中でのしんどさというのは、一つはここだったのかも知れない…と思ったからです。
もしかすると、わかってもらえないというもどかしさが先に立って、私は相手の「共感」を求めすぎたのかも知れない…と思いました。

自分の「表現」に共感してもらえることは喜びですが、違う意見をもらうことは別の面白さがあります。
違う考え方や感じ方、ものの見方を知ることは、新しい世界と出会うことであり、見えていなかったものが見える面白さを知ることです。
メールのやりとりで感じた面白さは、この部分だったんだなということを思います。
けれど、「表現」することで「共感」の喜びだけを求めると、それは異なる意見を認めない方向につながりやすい…。
考え方も感じ方も違う相手に「共感」を強いてしまう可能性があるというのは、意外と見えていなかった部分だったので、ドキッとしました。
言葉を使う「表現」について、ふと思ったことはこんなところです。

実は…この「共感性」からの「抑圧」で思い出したのは、ROOKIES第1話での新庄の言動でした。
休部中の野球部のメンバーは、それぞれ違う個性の持ち主ではあるけれど、この「共感性」を共有していました。
ところが、川藤先生が登場したことで御子柴と関川が「異なる意見」を提示し、これまでの「共感性」を揺るがした。
新庄による関川・御子柴、そして川藤先生への暴行は「共感性」を強制する「抑圧」としてあらわれています。
新庄の言動はドラマとして描かれたためにかなり極端ではありますが、「共感性」の中にいるときの「抑圧」をわかりやすく見せてくれている…と思いました。
無論これはかなり極端な例ではありますが(苦笑)。

メールの場合は特定一人に対する「表現」ですが、ブログは不特定多数に対する「表現」です。
受け取り方がさまざまであり、共感してくれる人についても、この部分には共感するが違う意見も持っているということはままあるでしょう。
否定的な意見も含めて、違う考え方や感じ方、ものの見方に出会えることも「表現」することの楽しみなんだと思います。
自分の「表現」=記事に「意見」=コメントがいただけるのは、何より嬉しいことですし、いただいた意見になるほど!と思うことは楽しいことなので。
この楽しみがあるから、こうしてブログが続けられるんですね。

というわけで(つながっていませんが)、日曜朝の感想については明日以降に持ち越しです、すみません。
要するに今日はまだ録画を観られないままに終わったと言うことで(苦笑)。
お粗末でした。

風水

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すみません (本人(笑))
2008-06-02 01:05:51
風水さん、こんばんは。

メールのやり取り本人です(笑)。

これね、もしかするとお互いのブログを行き来している人には、誰と誰のメールのやり取りなのかバレますね。

実は私も風水さんに、大変嫌な思いをさせていたんじゃないかと思っていました。でも、私はこのメールのやり取りは、自分のブログの記事を書くよりも興味がありました。むしろ記事にしたいと思ったくらいでした。

風水さんには申し訳なかったのですが、久しぶりにメールを書くことに燃えました。私も意見を抑圧していましたね。

風水さんのメールで感じたことは、私への抑圧ではなくて、そのテーマとしたものへの期待と感じました。期待をしているけれど、それはその期待に応えてくれない。そんなもどかしさを感じました。

まあ、私の意見ってたぶん100人いるうちの1人の意見かもしれないので、「世の中にはそんな人もいるのね。」程度に思ってくださいませ。

その節は、いろいろとお手数をおかけしてすみませんでした。
次回は、楽しい話題で炸裂しましょうね。
返信する
たぶんバレバレかと(苦笑) (風水)
2008-06-02 01:32:09
ご本人さま

こちらこそすみません、でも楽しかったです(苦笑)。
なんというか、毎日白熱しながらメールを打ちましたねえ。
最近ではもっとも燃えた事件かも知れません(苦笑)。
おまけにそれが毎晩でしたから、異常なまでの白熱ぶりでしたよね。
あれで燃え尽きたのか、その後はむしろ憑き物が落ちたように諦めがついてしまいましたから、良かったのか悪かったのか(苦笑)。
でも、こういうのも悪くないですね。
実は問題の記事にコメントを…と毎日思いつつ、既に脱落したあとだったのでどうにもコメントできなかったんです、すみません(苦笑)。

この「抑圧」はものすごくすかーんと胸にきました。
ああ、やっちゃった気がものすごくする…という感じでした。
そうですね、期待してないと言いながら、本当はこうあって欲しいと思ってる部分がほとんど八つ当たりになってしまってたんでしょうねえ。
申し訳ない限りです。

>まあ、私の意見ってたぶん100人いるうちの1人の意見かもしれない

これは、必ずしもそうでもないんじゃないか…と思います。
100人いれば、100通りの意見があるわけですし、皆が同じというのはやっぱりないと思うんですよ。
そして、好きから嫌いまでの振れ幅も…きっとかなり大きいと思いますので(苦笑)。
そして、「好き」にもいろんな隙があると思いますよ。

こちらこそその節はお世話になりました。
次は別の話題でぜひ白熱したいですね。
返信する
たぶんバレバレですよ ( 笑 ) (あんじー)
2008-06-02 03:55:05
この記事はとても興味深く拝見しました。
実は私も同じような感覚を抱いていたものですから、ちょっぴり安心しました。
ええ、まるまる全部です ( 笑 )
私はある方の記事に猛烈な違和感を覚えました。
それは多分、その方との感覚の違いであると思われましたが、解るつもりではいるものの表現するとなるといろんな意味でキツイものになると感じました。
一つは私の表現力のなさが原因によるストレス。
もう一つは、相手に不快感を与えることになるかもしれないという不安でした。
名無しのゴンベイである私が、共感以外のコメントをわざわざしてもよいものか。
そう考えもしましたが、結局、私自身の欲求に負けて書き込みをしてしまいました。
もちろんその方の懐の深さを信じたからこそですが。

感覚の違いを言葉に置き換えるのは、本当に難しいことですね。
確かにかーなーりのストレスを感じます。
また、なにより相手に誤解を受けることの恐怖が大きいです。( 内容についても、心意についても )
それが更なるストレスを呼ぶことになるかもしれないとの危惧もありました。

でも私は、もっともっとお話をしたかったのです。
自分とは異なる感覚、考えに触れたかった。
けして、否定したいわけではないということだけは判っていただきたいと思いましたね。
だから、お二人のやりとりは実は興味深々 ( 笑 )
私はお二人の間のスタンスでいると思っています。
つたない私と違い、遥かに表現力のあるお二人なだけにかーなーりそそられますわ ( 笑 )

ついでにルーキーズの新庄くんについて。
私はどうもグループからはみだしてしまうタチなので ( 笑 ) 彼の仲間に対する縛りは実に恐ろしく感じました。
それは、明らかにエゴにすぎない。
まあ、普通は皆、胸の内に止まることでしょうが。
温かい「仲間」という存在の中の怖さを感じました。

この記事にふれて嬉しかったです。
ありがとうございました。
返信する
ありがとうございます! (風水)
2008-06-02 13:36:06
あんじーさま

嬉しいコメントをありがとうございます!
自分とは違う考え方に触れるのはいろんな意味で面白いことなのですが、「違和感」を言葉にして相手に伝えようと思うと、やっぱり緊張しますしとっても難しいですよね。
私もこれはかなり頭を悩ませたところでした。
一つ間違うと相手の意見を否定することにもなりかねませんし、それは決して望むところではないだけに、悩ましいと思います。
ですから、あんじーさんがその方の記事にコメントされてるのを拝見して、色々触発されるものがありました。

好きや嫌い、快不快というのは、はっきり言えば主観であり、この時点では理由を意識したりしない…感情と言っていい直感的なものだと思うんです。
けれど、誰かに説明したりわかってもらおうとするとき、その理由を考えることで、最初に抱いた主観を客観的に「表現」する、自分の感情を説明することで自分だけの感覚を「異なる視点」で捉え直すことが出来るようになるわけです。
「表現」することは難しいけれど、これによって初めて相手と意見を交換したり違う考え方や感じ方があることを提示して、話し合うことも出来ると思います。
それだけに、声を上げることはとても勇気が要るとも思います。

ROOKIESの話はたまたまぴったりはまってしまったのですが、考えさせられるところでした。
一人一人の意見が違うのは当たり前なのに、「共感性」を共有することで「抑圧」につながることがあるというのは、恐ろしいことですよね。
自分の考えを「表現」することで、共感してくれる人に出会うことは誰にとっても嬉しいことですし、その人と他にも共感性が共有できればもっと楽しい…そう思うのは自然な感情です。
けれど、共感してくれると思いたい相手と「共感性」を共有できないことがわかるのは、やっぱりショックなことも多いと思います。
これが「抑圧」につながるんでしょうねえ。
相手の「異なる意見」を受け入れることは、簡単なようで難しい面があることを痛感します。
けれど、これを受け入れること、相手の「異なる意見」を楽しむことは、新しい世界に出会うことでもあるんですよね。
新庄が踏み出した一歩は、狭い「共感性」を抜け出して新しい世界、異なる考え方や意見を持つ仲間と「同じ方向」を目指すための大切な一歩なのだと思います。

「表現」が目指す方向は、おそらく異なる意見を持つ人と同じ場所に立ってそれぞれの考え方を聞き、「こういうのもありなんだ」と知って認める、違う価値観を認め合うことなんだと思います。
これができないと、異なる意見に出会ったとき、相手の考えを否定したり感情的な対立に陥ったり、「抑圧」につながったりしてしまうんだと思います。
そして、これが出来ると新しい世界を観る、一人ではなく誰かと一緒に観る楽しみが自分のものになるってことなんですよね。
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面白かった(^▽^) ()
2008-06-03 14:32:20
最近、意見をかわすことがめんどくさいと思うことがあって、結果、共感もなにもどうでもいいや~と相手に合わせた会話にすることにしました。
すぐに「私は」と自分の話にしてしまう相手だと何言っても虚しいっスからね。
「そ~ね~それでいいんじゃない?」と右から左へ受け流す~です。
風水さんは疲れながらも得たものがあったんですな~。
ぶつかり合わなきゃ答が出ないなんて…やっぱめんどくさいな(笑)
あ、仕事ではなんとかして相手を丸め込もうと必死です;なかなか共感してもらうのは大変ス。
返信する
面白さって不思議です (風水)
2008-06-03 22:47:29
虹さま

意見を交わすというと大仰ですが、話をするのは大好きです。
新しいものに触れたり目からウロコが落ちるような経験が出来るのは、驚きと感動の瞬間でもありますから。
めんどくさいと思うこともありますが、面白さに出会うとそれも悪くないと思うのが不思議です。
本当は人とぶつかり合ったりするのは苦手な方なのですが(苦笑)。

虹さんはたぶん苦い経験がおありなんですね。
私も以前友人と無駄にぶつかり合って傷つけあったときは、むなしい思いをしてこういうことはやめよう…と思いました。
もしかしたらそれがあったから、今回はもう少し落ち着いて意見を交換できたのかなとも思います。

虹さんとは昨年電王談義で盛り上がって、共感の喜びを分かち合いましたね。
共感って、できるときは本当に何も考えなくても出来るんですよね。
でも、共感できないときはやっぱり大変なんですよねえ。
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