第四回、「ベンチャーは楽しいのか?」をアップしました。
お久しぶりです。
ずいぶん更新をしていませんでした。
またボチボチやっていきますのでよろしくおねがいします。
(心配してくれた方やご連絡くれた方、ありがとうございました。)
さて、更新してなかった間何をやっていたのかというと、ざっくり言って
5月: 期末試験
6月、7月: 西海岸でインターンシップ(投資ファンド)
8月: 休暇と、東京でインターンシップ(コンサルティング)
という感じです。たくさん学び、楽しんだ4ヶ月でした。
で、8月末にボストンに帰ってきて、9月から新学期が始まっています。
二年生になりました。
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ボストンは今日なんか肌寒くて、うかうかしているとすぐ冬がやってきそうです。
残り一年、私は改めてふんばっていきますので、皆さんは気楽におつきあいください。
また戻ってきました、自宅近くのこのスタバに
10日間に渡るJapan Trekから帰還しました!
寝る暇もない過密スケジュールで日本を縦断し、帰りの飛行機では抜け殻のような状態でした。
この10日間の記録は、日付順に更新していきたいと思います。
帰って早々テストもあるし、ボチボチやります。
3月24日(月) 京都→豊田→京都
みんなが見てみたい会社
今年のMIT Sloan Japan Trekは、パーティーを除くほとんどのアクティビティをオプショナルとした。
毎日何をするのかは、参加者が自分の好みに合わせて選べるようになっている。
= ツアーは毎日複数あり、
= ディナーも毎晩二つずつ、
= カンパニービジットも三つのトラックから選べる
という具合だ。参加者にとっては自由度の高いシステムだった、と思う。
一方これは、我々オーガナイザーにとっては常に複数のアクティビティを用意して実行するということだ。
人数が200人超ということもあり、オペレーションは複雑極まりない。
今 思いかえしても本当によくやったと思う。
そんな自由度の高い10日間で、結果的にほとんど全員が選んだアクティビティがある。
世界一の自動車メーカー、トヨタ訪問である。
京都からチャーターバスに分乗し、一路 豊田市の堤工場へ。
MIT Sloanがトヨタを訪問するのは、これで実に15年目になるそうだ。
トヨタ見学方式
カンバン方式に代表される、リーンオペレーションの総本山、トヨタ。
そのトヨタだけあって、工場見学でさえも無駄のない、実に見事なオペレーションであった。
堤工場のゲートにバスが到着すると同時に、案内係の女性がバスに乗り込んでくる。
彼女は迷わずバス備え付けのマイクを持つと、即座に英語での案内を始める。
工場の見所をよどみなく案内してくれたあと、ショールームへ。
クルマの未来をイメージした数々の展示を見た後、トヨタの役員さんの講演が行われるプレゼンテーションルームへとなだれ込む。
本当に(いや、本当に)一秒の無駄もない、見学アレンジ。
トヨタ生産方式ならぬ、トヨタ見学方式である。
たくさん訪問者が来るのでよく練りあがっているのだろうけど、いやこれには恐れ入りました。
ロスト・イン・トランスレーション
役員の方の講演では、トヨタの歴史や思想についての説明があった。
その後質疑応答へ。
質問は、今やほとんど世界一になったトヨタの今後について質問が集中した。
超低価格を打ち出すインドのTataにどう対抗するのか。
自動車メーカーとしてSustainabilityにどう貢献していくのか。
役員さんはその質問それぞれに丁寧に答えてくれるのだが、ひとつ、気になることがあった。
この役員の方は日本語で説明をし、通訳の方が英語に翻訳するのだが、役員の方の説明が
「我々は世界一の工場でありたいと思っています」
であったところを、通訳の方は
「We want to be No. 1 company (世界一の会社でありたいと思っています)」
と翻訳したのだ。
「世界一の工場」と「世界一の会社」では根本的にメッセージ性が異なる。
「世界一の工場」とは、トヨタのアイデンティティをよく表している言い回しだ。
また、世界で10の指に入る会社のマネジメントから出た発言として、非常に興味深い。
何気ないところで出た発言だったので、この微妙な言い回しの違いは聞き落としても差し支えのないものだったが、できれば直訳してもらいたかった。
そしたらトヨタの強さが、もっとよく分かってもらえたかもしれない。
3月23日(日) 広島→宮島→広島→京都
広島平和記念館訪問のあとは、フェリーに乗って宮島に向かった。
あいにくの雨の中ではあったが、厳島神社の景観を楽しむ。
そして再び広島へ。
この日のディナーは、待ってましたのお好み焼きである。
計画では 【おこのみ村】という広島風 お好み焼き屋が軒を連ねるテーマレストラン街に、全員でなだれ込むことになっている。
ところが。
われわれの計画を知ったバスの運転手さんが、【お客さんそれはちょっと無理だよ】と言う。
このベテラン運転手さんいわく、この晩飯時のど真ん中に、120人もの大人数が、予約もなしに【お好み村】に入りきれるとは思えない。
普通はこの人数だとみな予約を入れている。
予約なしだとかなりの人数が順番待ちになるだろう。
一方、帰りの新幹線の時間が迫っている。
出発の時間までに、全員が食事を終わらせることはまず無理だろう、という。
これを聞いて焦ってしまったのが、我々よりもむしろ旅行代理店の添乗ガイドさんである。
お好み村到着まであと15分。
到着して、皆が入りきれずにバラバラと街に出ると、人数が人数だけに収集のつかない事態になってしまう。
そこで添乗ガイドさんは、代理店本部に問い合わせたり運転手さんと相談したりして、必死で次善の策を探し始めた。
この添乗ガイドさん(男性)、英語が堪能な外人観光客専門の方である。
訪れる先々に関する知識の豊富さはもちろんのこと、解説する英語も流暢で分かりやすい。
聞くと留学などの経験はなく、独学で英語を学ばれたというので頭が下がる。
しかも、低音で静かにしゃべるその語り口は、なんかハードボイルドでかっちょいい。
そのハードボイルド添乗員さん、少し焦りながらしばらく各所と相談していたが、5分ほどしてから渋い声でこう言った。
『安心してください。
【お好み村】の近くに【お好み共和国】があることが分かりました。
村に入りきれなかった人がいたら、共和国に行ってもらいましょう。』
ほほう。村だけでなく、共和国があったとは。恐るべし広島。
しかし名前からして、村より共和国のほうが強そうだ。
脳裏には、あらぬ想像が駆け巡る。
侵略するお好み共和国の兵士たちと、逃げ惑うお好み村の村人たち。。。
もちろん共和国軍の武器はお好み焼きのヘラ。
しかしいつまでも村人たちは黙ってはいない。
愛する故郷を守るため、必死にオタフクソースで応戦する。。。。
てなことを妄想してたら、あっという間に【お好み村】に到着。
そして結局何のことはない、全員【お好み村】に収容することができましたとさ。
* 雨の日曜日の夜だったので、結果的にどの店舗もガラガラだった。
でもガイドさん、運転手さん、本当に気を揉んでくださって、ありがとうございました。
お好み村: http://www.okonomimura.jp/ ← とってもおいしかったです!
お好み共和国: http://www.hiroshimamura.net/
・・・続く
3月23日(日) 京都→広島
"全米が泣いた話"のあとは、本当に泣いたお話。
朝から新幹線で広島へ。
広島ツアーの参加は希望者のみだが、約半数の120名が参加した。
京都駅で のぞみに乗車。
とにかく何をするにも大人数で、新幹線への乗車ひとつとっても気を揉む。
新幹線は乗車時間が数十秒しかない。
一人でも乗り遅れないよう、ドアが開いたら軍隊ばりに "Go, go, go go!!!” とみなを急き立て乗車させる。
最初はオタオタしていた みんなも、この後 Trekが進むにつれ慣れてくる。
お互いに声をかけあい、急いで乗るようになった様子がほほえましかった。
広島駅に到着すると、バスに乗り換え。
原爆ドームを横目で見ながら、広島平和記念資料館へ向かう。
被爆された方の体験談をお聞きするためだ。
講演してくださったこの方は、終戦後 英語を独学で学び、英語教師をしてこられたそうだ。
英語での講演は、発音もボキャブラリーも完璧で、すばらしいの一言。
そして、それ以上によかったのは、聴いているほうをホッとさせるような暖かい人となり。
朴訥に、ゆっくり、ときに冗談を交えて話す姿に、みなが心から引き込まれていくのが分かった。
約一時間の講演では原爆投下の日にご本人が見たもの、感じたことを話してくれた。
普通の、暑い夏の朝だったこと。
学校の授業中に”その瞬間”を迎えたこと。
地獄のような街の光景。人々の姿。
心からお母さんのもとに帰りたいと思ったこと。
アメリカ人は憎まない。逆の立場だったら、日本人だってどうしたか分からないから。
でも あの爆弾や戦争は憎い。
今も核兵器を、世界中の国家は手放そうとしない。理解できない。
語り口は淡々と。
思い出すように。
一人ひとりに語りかけるように。
このお話には、泣いた。
涙なしには聞いていられない。
参加者にも涙ぐむ人たちが結構いたみたいだ。
話には聞いていたけれど、来て、直にお話を聞けて、本当によかった。
平和を語ること。
これも日本が世界に語れる歴史のひとつ。
120人の外国の仲間を連れてきたことには、将来につながる意味があったと信じたい。
・・・続く
今回の研修旅行の目的は二つ。
将来世界中でビジネスリーダーになるであろう同級生たちに、日本という国を見せて、好きになってもらうこと。
そしてその彼らとのネットワークを強化しておくこと。平たく言えばよりいっそう仲良くなること、である。
これら目的のために、会社訪問と並んで、観光地の訪問もたっぷりと組み込んである。
まずこの日は京都。
数十人を連れて、清水寺を訪問。

そして午後からは大阪に行き、大相撲大阪場所(14日目)を観戦した。

参加者のほとんどは日本に来たのは初めての人たち。
中には北米の外に出たのも初めて、という参加者もいて、みな目を輝かせて見物している。
そして何かと質問をしてくる。
どうしてこんなところにお寺があるの?
何であの家はあんな形をしているんだ?
なぜ相撲取りは三度仕切りなおすんだ?
答えられるだけのことは答えるが、中には日本人である自分も知らないこともある。
そんなときは宿題にさせてもらって、後から調べたり聞いたりして答えるようにした。
それにしてもこういう質問を受けながら、歴史がある、というのは本当にすばらしいことだと感じた。
参加者たちが質問を重ねるほどに、日本という国・文化の深みを実感していくのがとても分かったし、自分まで日本人であるというだけで、歴史の深みを身に背負っている気がしてきた。
日本の昔の人たち、ありがとうございます。
一方で現代日本に対する(?)おもしろいコメントも受けた。
京阪電鉄に乗っていたとき、スペイン人のCarlosとメキシコ人のIggyが、「あれはなんて書いてあるんだ?」と聞いてきた。
見ると電車の中吊り広告だった。
地元のケーブルテレビ局のものらしい。
今度 放映する大作ハリウッド映画の写真に、『全米が泣いた!』というお決まりの文句が書いてあった。
CarlosとIggyには、まずは『全米が泣いた』を直訳して伝え、その意味するところを教えた。
全米の人がいいと思った映画なので、前評判バッチリの映画だよ、ぜひ観てね、ということが書いてあるんだよ、と。
するとIggyはへぇーと言っていたが、Carlosが納得いかない様子。
Carlosいわく、
『日本人とアメリカ人は物事の感じ方が違うだろう。
なんでアメリカ人がいいと思ったら、日本でもいい映画だと言い切れるんだ。
俺の国(スペイン)では絶対そんな映画の売り方はしないよ。
だってアメリカ人とスペイン人は根本的に違うんだから。
アメリカでみんながいいと思ったかどうかを気にするなんて、おもしろいね日本人って。』
うーんそうかもね。
・・・続く
3月21日(金) 京都
夜9時ころ、京都の宿に到着。
長旅の後なので、みなゆっくり休むかと思いきや、誰もが興奮状態でまったく休む気配なし。
多くの参加者が近場の居酒屋にくりだして行ったようだ。
日本人オーガナイザーは、これから10日間お世話になる旅行代理店との打ち合わせ。
打ち合わせが終わった深夜に、近くのラーメン屋にくりだした。
久しぶりの日本でのうまい食事!
みな疲れてはいるが、久しぶりに日本に戻ってきた うれしさで話に華が咲く。
話題になったのは、日本のお店のサービスの良さ。
空港でも、バスでも、ホテルでもお店でもとにかくみんなサービスがいいよね。
というか礼儀正しいよね。
アメリカだとどこに行ってもブスーっとしてて、頭にくるもんね。
という主旨である。
みんなそうそう、という感じで、自分も確かに・・・と思う。
アメリカの、特に東海岸での接客サービスの悪さは天下一品である。
接客側が余りにも居丈高なので、こっちが悪いことしていないのに、すみません・・・って気分になる事さえある。
ただ一方で、日本の過剰サービスもどうか、と思うことがある。
特にアメリカに住んで5年を超えたあたりから、出張などで一時帰国すると、「いやもういいですから・・・」というサービスに出くわすようになった。
たとえばホテルのフロントで。
チェックイン時に支払い保証としてクレジットカードを切ってサインをするのだが、チェックアウトのときにわざわざそのサインを見せて、「それではこちら、最初にいただきましたサインでございます。こちらで破いて破棄させていただきますっ」と言って、目の前で破いて捨てる。親切なんだけど、急いでいるときとかはちょっと過剰。そんなのいいから、はよすませて。実際、うしろにほかのお客さんいっぱい並んでいるしさ。
またたとえば、銀行で。
お金の預け入れと住所変更をしにいったら、窓口のお姉さんが慇懃丁寧に、ゆっくり時間をかけて手続きをしてくれる。無礼なアメリカの窓口サービスに慣れてしまった身としては、何億円も預金している社長のような気分になれて、大変心地よい。残高5万円なんですけど。
社長気分も最初の5分はよい。しかし5分を越えたあたりから、はやく終わらんかなーっていう気持ちになってくる。窓口のお姉さんはあっちに必要書類を取りにいったり、こっちに判子をもらいにいったり、一生懸命なのだがとにかく手続きが多い。さらにはこのときの住所変更は海外住所間の移動だったのだが、これには少し特殊な手続きがいるらしく、別の窓口お姉さんと上司らしきおじさんが奥で頭つき合わせて何かしている。
ヒマに任せてじーっと見ていたが、たぶんお姉さん方は大卒の立派な学歴を持った方々で、上司らしきおじさんも世界に冠たるメガバンクの高給取りなのだろう。一方こういう時、アメリカだと無愛想クラークが一人(たぶん大した学歴はない)と、ついてもSupervisorがちょこっと来て指示出して終わり、という感じだろう。
日米でかかっているコストがずいぶん違いそうだ。
窓口での王様気分よりも、ATM手数料をタダにしてくれたほうがうれしいんだけどな。
アメリカのATMは24時間365日無料ですから。
飲みに行くときも5時までにATMにかけこまなくったって、安心です。
とにかく、日本の銀行ではおじさん一人とお姉さん二人が、残高5万円の僕にしばし必死になってくれる。
15分を過ぎたあたりから、残高を知った三人が突然 冷たくなったりしないか、そっちの方が不安になった。
こういう『逆サービスアレルギー』になるのも、海外生活が長くなってしまったボケ状態なのだろうか。
・・・Trek日記、続く
3月20日(木) ボストン→シカゴ→成田→伊丹→京都
とうとう日本に向けて出発!
ここ数日は出発準備のために やたらと忙しかったので、出発できただけで感無量。
220人もいると、いろいろとハプニングが起きるだろうけどがんばっていこう!
・・・と思ってたら、ボストン・ローガン空港でいきなり問題発生。
参加者の一人、Jeff の奥さんの航空券が発券されておらず、チェックインカウンターで立ち往生になっているらしい。
急いでかけつけ航空会社とかけ合ったところ、どうも旅行代理店の処理が不完全で、予約は入っているけど支払いが行われていない、という状態だった。
航空会社は支払いが完了しないとチケットは発行できない、という。
時間はまだ朝の6時。 旅行代理店とは連絡が取れない。
とにかく、Jeffの奥さんだけ置いていくわけにはいかない。
その場で航空会社に直接代金を支払い、旅行代理店には(怒りの)留守電を残し、みなで揃って乗り継ぎ地のシカゴに向かった。
シカゴに降りると、さっそく旅行代理店から返事の留守電が入っていた。
経緯を説明し、旅行から帰ってくるまでに同額の返金小切手を送っておくよう指示を出し、成田行きの便に乗り込んだ。
とりあえず、Jeffたちが自分と同じフライトでよかった。急の対処ができたので。
京都、大阪、広島、名古屋、箱根、そして東京。
225名がこれから10日間で、日本国内を大移動します。
・・・続く
Japan Trekの出発が三日後とせまってきた。
半年近くにわたって準備をしてきた旅に、いよいよ出発だ。
結局、正規参加者はオーガナイザー13名を含めて225名。
途中で部分参加するLFM Studentsが34名いて、彼らも含めると合計 259名。
未曾有の大規模トレックとなった。
楽しんでいこう。
今日のランチタイムはJapan Trekのインフォメーションセッション。
訪問する企業やオプショナルツアーの説明会をおこなった。
同内容では二回目のセッションである。
(なにしろ参加者が200人を超えるため、一度では裁ききれない)
プレゼンターはマーケティング、企業訪問、観光などの各担当をしている日本人同級生、計6人。
自分は観客席からプレゼンを見守っていたのだが、みんなプレゼンうまい!
前回より格段にいい!すげえ!
笑いをとって観客とエンゲージしつつ、メッセージを簡潔に伝えることに、みんな成功していた。
もちろん、英語で。
英語でのプレゼンは、意外と大変である。
しゃべれればいいってもんではなく、英語での論理展開やボディーランゲージ、笑いのポイントなど、日本語でのそれとはまったく違う要素が要求される。
今日のみんなのプレゼンでは、場数を踏むに連れて、確実にそういった要素を吸収していることがよく分かった。
みんな確実に学んでいるんだなぁ。
こっちもウカウカしていられないなぁ。
仲間として横から見ていて、みんなの頼もしい姿は、なんだか妙にうれしかった。
以前ご報告したビアフェスタの優勝者が発表された。
Sloan非公式イベントなので、非公式メーリングリストでの発表であった。
しかし11月にあったイベントなのに、なぜいまごろ発表?
さすが非公式イベント。主催者もいい加減である。
優勝チームの勇姿
記憶が正しければ、われらがTeam Japanはこの優勝チームと対戦し、敗れている。
たしか二回戦の「Coin Flip」だったと思う。記憶が正しければ。
今日来た主催者のメールでは、今学期中の第二回開催がほのめかされていた。
汚名は濯がねばなるまい。
それが大和魂。