道をひらく

自分の歩んでいる、この道。その道すがらに感じたことを、そのまま綴ってみることに・・・

『北風と太陽』のお話

2014-10-14 05:15:05 | 

多くの人は、『北風と太陽』の話をどこかで聞いたことがあるでしょう。

 あるとき、さむい北風と、あたたかな太陽とが、たがいに力じまんをはじめましたが、どちらも、自分の方がえらいと云いはって、いつまでたっても、はてしがありません。
 すると、太陽が、ふと、下の野原をとおって居るたびびとを見つけて、「それじゃ北風さん、ひとつ、あのたびびとのきて居るがいとうを、どっちが早くぬがすか、ためして見ようではありませんか。まず、君からやって見たまえ。」と、云いました。
 そこで北風は、「そんなことは何のぞうさもない」と、云って、たびびとめがけて、ありったけの力で、ひゅうひゅうふきまくりました。
 ところが、たびびとは、がいとうをぬぐどころか、ふけばふくほどがいとうのえりを立て、しっかりと両手でおさえてしまいました。
 太陽はそれを見ると、「さあ僕の番だ。よく見て居たまえよ。」と、云いながら、雲の間からかおを出して、あたたかい光を、一面に、そそぎかけました。すると、たびびとは、きゅうにあたたかくなったので、ほっとしたように、がいとうをぬぎました。
 北風は、「まけた、まけた。」と、云いながら、とおくへ、にげて行ってしまいました。

イソップ童話集/太陽と風. (2012年9月7日03:36). Wikisource, . 2014年10月13日20:34 にて閲覧

北風も太陽も目的は同じなんですよね。異なるのは、その目的を実現するための手段!

私たちの身のまわりや社会にも、同じことが存在する。

太陽のとった手法は、「たびびとに自らがいとうをぬぐよう」にストロークを与えたこと。

人を育てること。

やる気を持たせること。

こころを解放させること。

 

すべてに通じるものがありますね。


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17歳のあなたへ

2014-10-11 17:00:00 | その他

17回目の誕生日、おめでとう。

高校2年生になったあなたの生徒手帳の写真を見ました。とてもかわいい写真でした。髪の毛は盛られており?活発そうで、チアリーディングやってますという事が、納得!そんな感じの写真でした。

あなたが中学からチアリーディングを始めたことは知っていましたが、チアリーディングそのものを見たことがありませんでした。今年になって、何気なくチアリーディングの大会ってやって無いのかな?と、インターネットで調べてみました。すると、2013年2月に「第24回全日本高等学校選手権大会」があることを知りました。あなたが、熱心に取り組んでいるチアリーディングを見に行こうと決めました。

記録的な大雪に見舞われ、雪ががたくさん残るなか国立代々木競技場に向かいました。大会のプログラムを購入し、眺めているとあなたの名前がめにとまりました。試合に出てるんだ・・・。おかげで、とても興味を持ってチアリーディングを見ることが出来るようになりました。

チアリーディング、面白いね。

個人の身体能力。チームとしての能力。演技の演出。チームメイトとの信頼関係。頭脳と技。メンタル。短い時間に、とても多くの要素が含まれており、面白い競技ですね。おかげで、2014年6月に開催された「第16回関東選手権大会」、2014年8月に開催された「JAPAN CUP 2014 日本選手権大会」も見に行きました。スタンドの上からでは、アリーナで競技するあなたを見つけることは叶いませんが、楽しく競技を拝見しています。

私は、幼少のころ体が弱く良く風邪をひいていました。そんなこともあり、小学生になったら剣道を習う事になりました。小学生から中学生までは、剣道の大会にも参加しました。通っていた道場は、優秀な選手を輩出していました。高校や大学で日本一になる先輩もいました。しかし、誰一人として剣道だけでご飯を食べている人はいません。では、何のために剣道に熱中したのか?

今自分の事を考えると、剣道を通じて様々な事を体験的に学んだ。それに尽きる。剣道の技術そのものは、今使う事はありません。しかし、剣道を通じて学んだことは、今の私を作ってくれた要素の一つだし、剣道をおかげだなと思う事はたくさんある。剣道を始めた最初の目的、体と心もタフになった。

だから、チアリーディングに熱中しているあなたは、とても頼もしい。

松下幸之助 翁の「道をひらく」にこんあ短文があります。

 窮屈(きゅうくつ)な場所に窮屈にすわっていると、血のめぐりも悪くなって脚もしびれる。身体が固くなって自由な動作が取れないのである。無作法は困るけど、窮屈はなおいけない。やっぱり伸び伸びとした自由自在な姿が欲しいものである。
 どんな場合でも、窮屈はいけない。身体を窮屈にするのもいけないが、心が窮屈になるのはなおいけない。心の動きが鈍(にぶ)くなって、よけい知恵が出てこないのである。
 ものには見方がいろいろあって、一つの見方がいつも必ずしもいちばん正しいとはかぎらない。時と場合に応じて自在に変えねばならぬ。心が窮屈ではこの自由自在を失う。だからいつまでも一つに執(しゅう)して、われとわが身をしばってしまう。身動きならない。そんなところに発展が生まれようはずはない。
 万物は日に新たである。刻々と変わってゆく。きょうは、もはやきのうの姿ではない。だからわれわれも、きょうの新しいものの見方を生み出してゆかねばならない。
 おたがいに窮屈を避け、伸び伸びとした心で、ものを見、考えてゆきたいものである。 

「道をひらく(松下幸之助著)」(PHP研究所)P.134,135「窮屈はいけない」より

伸び伸びとしたあなたが、大好きです。でも、勉強も忘れずに!

いつでも、ななを応援しています。


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