来月4月下旬刊行予定の私の著書『努力する人になってはいけない』の「前書き」原稿(話体表出の方法について)―読んだ人は必ず買って下さい(笑) より引用
「先生、先生」と言われ続けて何十年にもなる。そうすると「先生」は大体がバカになる。先生がバカになるにはわかりきった理由がある。
自分より少しバカな人(学生たち)を相手に教え続けるからだ。だから少しはバカな人はどんどん賢くなっていくけど、自分自身はバカなままにとどまる。社会人なら「お前はアホか」と言われ続ける20代、30代でも、「先生」と言われ続けるのだから、おかしな大人になるに決まっている。そうして自分のバカが学生にばれそうなときに、選択科目は半期で変わり、担当学年が変わり、入学生と卒業生が変わり、学生は消えていく。先生のプレゼンスは長くても4年持てばいいわけだ。先生のバカはそうやって二重に守られている。
15年前、日本工学院専門学校に入職し情報処理科三年制(CK10期)の担任をもった。CK10期の学生には、教員としてやってあげないといけないことをやってあげられなかった。今でも、恥ずかしく申し訳なく思っている。それ以降、ちゃんとしているか。それはそれで、不十分であるが、一番最初は申し訳なかったことだらけである。学生の成長とともに、私も多くのことを学ばせてもらった。
そして、いつのころからか「学校という特殊な環境にいる教員は、しだいにアホになります。いままでに、おかしい教員をたくさん見てきたでしょう。」と、学生、保護者や企業に向けて話すようになっていました。
自分ではわかっていたつもりになってました。でも。
バカにはなってないと思いますが、賢くなってはない。
CK10期、CK13期の学生には、数年後にはアメリカで働いている。もし、アメリカに行ってなかったら、そのレベルになくアホなまま。ってことだ。なんてことを、喋っていたことを思い出した。
そう、賢くなってないね。
49歳の最後の日、とても良い日にすることができた。本日は、業務のため蒲田キャンパスに出張した。その業務の空き時間に、東京工科大学附属日本語学校を訪れた。たぶん、これが2回目の訪問。笑顔で迎えていただける暖かさを感じる。そんな人を迎え入れる暖かさがあるせいだろうか、昨年度八王子から蒲田へ転籍した車いすの学生が遊びに来るというお話を聞いた。不思議な縁があるものですね。
日本語学校のS校長は、直属の上司ではありませんでしたが会議でご一緒しました。
私が鮮明に覚えているのは、金髪時代の私にエレベータの中で、「お前な、おれの芸術学部でも、そんな奴はいねえよ。」と軽くどつかれたことである。しかし、S校長はもっと以前の私との接点を覚えていてくださった。お前と初めて一緒だったのは、鹿児島だったような。そう、地方保護者懇談会で鹿児島に行った。その出張の責任者がS校長だったのだ。私の記憶から消えかかっていた事を、覚えてくださっていてくれて感激してしまった。
日本語学校のH課長は、専門学校の教務課の係長の時にいろいろとお世話になった。なかでも、2or3枚始末書を提出した。その際に、「佐藤先生、始末書書くのお上手ですね」とお褒め頂いた。その後、八王子キャンパスに異動して、やはり2or3枚始末書を書くことになったが、自信を持って書けたことは言うまでもない(笑)
私が言うのは大変失礼であるが、きちんとした仕事をされる方で、ちゃんとした仕事を部下に教えることのできる数少ない方である。厳しい方ですが、私は好きな方でした。今月で退職されるということで、最後にお顔を拝見してお礼を言うことができて良かった。
昔は良かった。というつもりはない。時間の流れとともに、様々な状況が変わっていく。必要なものや、求められるものも変わる。今まで、理由は特にないが55歳が自分の寿命と考えていた。55歳で亡くなるのであれば、それほど将来を考える必要がなかった。しかし、55歳で亡くなるだろうか?という疑問がわいてきた。
もし、生き続けるとすると、このままではまずい。
組織の中で評価されるローカルスキルではなく、組織の外でも評価されるグローバルスキルを身につけないとまずい。
失われた15年を埋めないといけない。
まずは、芦田先生の著書を買いますかね。
ターニングポイントの日かな。