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朝陽(あさひ)~三重・河芸の地域情報~

三重県津市河芸町のいろいろな情報を発信します。

河芸の歩み~昭和32年~

2009-03-05 13:34:08 | 河芸の歴史

昭和32年
    4月 河芸町連合自治会結成
        河芸町建設審議会発足
        町立上野幼稚園設立
        町立黒田幼稚園設立
        豊津小学校講堂完成

河芸の歩み~昭和31年~

2009-03-05 13:30:27 | 河芸の歴史

昭和31年 
    7月 3代目町長に阪順融氏当選
    9月 安濃、河芸の両郡合併、安芸郡となる
   10月 任命制による教育委員会発足
        田中川汐止樋門工事着手
   12月 第1回農業まつり開催

河芸の歩み~昭和29年~

2009-03-05 13:14:46 | 河芸の歴史

昭和29年
   10月 河芸町誕生
        第1回臨時町議会
        初代町長に後藤謙氏当選


新しい時代へとスタート  祝賀式の開催

昭和29年10月、河芸町の誕生が豊津、上野、黒田の3村の村議会で議決されました。

「新しい時代に即応した強力な行財政を持つ新町制を施行する」という新町建設の基本方針が打ち出されました。

新町名を「河芸」とし、役場位置を朝陽中学校付近に、仮庁舎を黒田村役場に設けることなどが決められました。

新しい時代に向け、新しいまちづくりに取り組もうという気運が盛り上がり、まちとしての一体感が生まれました。

合併祝賀式が朝陽中学校で開催され、地元の小中学生たちが日の丸の小旗を掲げたり、鼓笛の行進をしたりして、祝賀式を盛り上げました。

(河芸町制施行50周年記念誌から)

河芸の歩み~名の由来~

2009-03-05 11:46:56 | 河芸の歴史
河芸町という名は、昭和29年の合併の際に、一般公募によって決せられた。

「河芸」が旧郡名であることはいうまでもない。

河芸町が所属するのは安芸郡だが、この郡は昭和31年に、安濃郡と河芸郡が合併した際、両郡の一字づつをとって名付けられた郡名である。

河芸町は、それまで河芸郡に属していたことから、河芸町の名が生まれた。

河芸郡も実は、昔二つの郡が合併して、一字づつとって名付けられた郡名であった。

それは、河曲(かわわ)郡と庵芸(あんげ)郡の二郡で、河曲郡は鈴鹿川の下流沿岸で鈴鹿市神戸を中心とした地域であり、庵芸郡は鈴鹿市白子から津市一身田、芸濃町椋本あたりまでの地域であった。

ともに古代からの郡名であったが、明治29年両郡が合併して河芸郡となった。

誕生したころの河芸郡は、白子町、神戸町、河曲村、飯野村、一ノ宮村、箕田村、若松村、玉垣村、稲生村、天名村、合川村、栄村、豊津村、上野村、黒田村、栗真村、白塚村、一身田村、大里村、高野尾村、椋本村、明村の22ケ町村からなる広大な郡であった。

しかし、太平洋戦争中に郡の北半分の町村が合併して鈴鹿市が生まれたことから狭小な地域となり、さらに昭和29年に一身田町、白塚町、栗真村が津へ合併したことから、安濃郡と合併して、河芸郡が消滅し、安芸郡となった。

(河芸町史 本文編から抜粋)