
河芸町という名は、昭和29年の合併の際に、一般公募によって決せられた。
「河芸」が旧郡名であることはいうまでもない。
河芸町が所属するのは安芸郡だが、この郡は昭和31年に、安濃郡と河芸郡が合併した際、両郡の一字づつをとって名付けられた郡名である。
河芸町は、それまで河芸郡に属していたことから、河芸町の名が生まれた。
河芸郡も実は、昔二つの郡が合併して、一字づつとって名付けられた郡名であった。
それは、河曲(かわわ)郡と庵芸(あんげ)郡の二郡で、河曲郡は鈴鹿川の下流沿岸で鈴鹿市神戸を中心とした地域であり、庵芸郡は鈴鹿市白子から津市一身田、芸濃町椋本あたりまでの地域であった。
ともに古代からの郡名であったが、明治29年両郡が合併して河芸郡となった。
誕生したころの河芸郡は、白子町、神戸町、河曲村、飯野村、一ノ宮村、箕田村、若松村、玉垣村、稲生村、天名村、合川村、栄村、豊津村、上野村、黒田村、栗真村、白塚村、一身田村、大里村、高野尾村、椋本村、明村の22ケ町村からなる広大な郡であった。
しかし、太平洋戦争中に郡の北半分の町村が合併して鈴鹿市が生まれたことから狭小な地域となり、さらに昭和29年に一身田町、白塚町、栗真村が津へ合併したことから、安濃郡と合併して、河芸郡が消滅し、安芸郡となった。
(河芸町史 本文編から抜粋)