アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

立川談志をあえて語る

2012-03-18 19:47:02 | 落語
立川談志が亡くなって、あちこちで大名人みたいな評価がされているが、立川談志の評価について批判承知で語ってみたい。

 小生が最初に談志を聞いたのは、今から三十数年前。当時は、志ん朝・円楽・柳朝なんかと四天王なんていわれていた。
 立ち居ぶるまいまで華麗な志ん朝、大柄で骨格のしっかりした円楽。江戸っ子の啖呵のキレは抜群の柳朝と比べると、芸としてはきれいではないが、テーマを切り取る才のキレを感じるのが談志だった。

 それぞれが違う個性で、このまんま・・・と思ったが、談志が落語協会を脱退して立川流を創設してから、流れが変わってきた。
 元々、談志というのは、落語論だとか評論家としては一流の冴えを見せるが、口演に関してはその冴えが? というふうに感じていた。

 その点、小生の畏敬する先輩師匠のブログの記事に詳しいが、小生たちだけでなく、山藤章二氏も同じように感じていたようだ。
 だが、そもそも噺家の評価は人それぞれ、自分がいいと思った噺家が好き・・・でいい。というところで、批判を覚悟で書くと、ここで立川流の功罪の議論になる。

 立川流は、基本的に談志のものさしがすべてであり、談志がダメ出ししたものは全く評価しない。どういうわけか、立川流の信奉者はそのものさしを絶対的に扱う。
 だから、談志がダメといった噺家は(実際に聞いていようといまいと)ダメとなる。逆にいいとなれば、なんでもOKになってしまう。

 もうひとつは、寄席の否定である。以前の談笑の独演会でも書いたが、寄席では絶対やってはいけないことを平気でやるのは、寄席で育っていないからだ。
 それがどうした・・・と言われるかも知れないが、立川流は基本的に独演会が中心で、当然ながら自分の追っかけが多くなる。

 このことは、噺家本人にとっても、お客さんにとっても幸福なことではない。厳しい客にもまれてこそ、噺家も大きくなる。
 以前紹介した落語会で、市馬・花緑・談笑が三人会をやったときのこと。記事には書かなかったが、談笑のファンらしきお客さんがボソッと言った一言が聞こえた。

 「なんかさあ、談笑っていいと思ってたけど、市馬とか花緑と比べるとよくないね」おそらく、そのお客さんは、立川流の会しか行ってなかったのでは・・・と。
 もちろん立川流の噺家を全否定するものではない。志らくとか志の輔などは、個人的にも好きだし、評価はされていないかも知れないが、談修なども嫌いではない。

 たくさんの噺家を、それも何年も時間をかけて聞く。この楽しみを小生は続けていきたい。
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