私はテレビ番組では、ドキュメント番組や歴史番組や、アメリカのドラマの、裁判や刑事事件や探偵ものが好きである。
予想が想像が付かない話や、緻密な番組構成などを、見ていると時間が経つのを忘れるのである。
振り返ってみると、自分は昔は問題が発生すると、人のせいにしたり、
その問題から逃げていたが、その壁を越えなければ、又同じことの繰り返しである。
今は完全に無くなったかと言えば噓になるが、自覚し始めたのは海外の生活からである。
会社から海外に派遣され、一緒に居た仲間が休暇とか、不幸があり自分一人で、
現地の人と言葉も話せ無い中で、自分一人で仕事をしなければならない、立場になった時である。
言葉は大事だが身振り手振りで、案外通じるもので、
色々な問題が発生しても、逃げる事は出来ず、それが後に役に立ち自身にも繋がった。
タイに生活し始めても、日本人としては迷う事無く、結論を出す方の人間と思っていたが、
日本の様に曖昧の答えが通用しない、ええとと言って暫く返事に困る事が有った。
日本では誤魔化しが、通用していたが、右か左かと問われると
極端な答えを出す時は、ちゅうちょしてしまう、
日本では相談する相手もいたし、色々な情報も入って来るが、
タイの田舎暮らしでは、そんな人も居ない、
彼女にタイの事は私の方がよく知っていると言われると、
反論する材料が殆どないし、ここは日本ではないのである。
日本の習慣や常識は通じないのである。
分かりやすい例は・・
ムスリムの国で、午後のサラーの時間に、仕事中だから、現場を離れるな、と言っても、普通の職場じゃ無理~~♪
自分の遣り方も、権力が有れば、ちょっとの間は出来ますが・・未だにアメリカ軍はアフガンから撤退できない。
踏まねばならない順序なんてのもあるだろうし、
それが田舎ともなれば理解の範疇を越えるのも致し方ないかと…、
右か左にに決断しろって言われても、当たる確率は半々なんですが、異国では四/一に感じますよね。
まあ、私なんかも間違えてばかりなんですけども、小さな間違いを積み重ねながらも徐々に精度を上げていく、そして大きな所では六割勝ちに持ってく事ができれば最悪の退場は免れるかなと、それくらいのアバウト路線が関の山かと考えます。
日本人は何かと完全主義、右か左かの二択だと考えすぎなんですよ。
タイではそういう柔軟さを学んだ気もしますね(^ω^)
同じような年齢のおじさんは、みんな同じような感じかな。
タイに居た時は分からないことばかりで、頼りになるのはヤッパリ奥さんだけでしたが、考え方も違うので結構大変でしたよ。(笑)
タイにいても、日本でも最終的には自分で決めなければならないのは同じですが、話相手がいないのは辛いですよね。
タイに住んでいる友人によく電話をしていましたが、話し相手にはなりますが、最終的には自分で決めなければなりません。
でも話し相手はいたほうが絶対いいと思います。
相槌してもらうだけで気が休まります。
粘れば粘るほどどんどん沈んでいくような感じでした。
私などは適当な所が有り、諦めの良い方ですから、少しは粘っても見ましたが、これは穴の開いたバケツに水を入れるようなものとおもいました。