彼女に電話した時に国王陛下がお亡くなり、チェンマイで有る予定の日本語の検定試験が中止になったと言っていた。
今はバンコクの日系企業で働いているが、詳しい事は良く分からないが、
長期雇用契約では無いと思うのであるが、
検定試験の高い級を取れば賃金も高く、就職も有利と聞いている。
それが正月休みに帰った後に実施されるので、チェンマイまで車で連れて行くと言っていた。
1月に私がタイに行くので、バンコクまで来るかと言っていたのだが、
まだ分からないと以前は話していた、犬の世話やマンゴの出荷などと、
養殖カエルの世話などと言っていた。
私がタイに一昨年タイに行った時に、時計をピサヌロークの時計屋で、
修理してもらったが帰るまでに出来上がらづ、彼女に受け取りに行って貰って
保管して貰っているからである。
その時計は初めてのアメリカ旅行に行った時買った、思い出の時計である。
それを持って来て貰いたいのであるが、田舎町に取りに行くのは気が進まないのである。
今まであれほどグズグズ言っていたのが、行くと言い出したのである。
どうもマンゴとカエルの事業が上手く行ってない様な、話しぶりである。
私としては来れば、それなりの出費が出て行くのは覚悟しなくてはならず。
まだ娘に持って来て貰った方が良いような気がするのであるが。
タイは、大学を出ているとそうじゃない場合は、
相当違う気がします。
逆に、大学を出ていて、比較的地味な職業の選択は、無さそうです。
彼女と時計と娘さん、正直だと思いますが、
バッシングに遭いそうですね(笑い)
他人のことだから、他人があれこれ言うことはないので、自分のことを記したい。
私も昔、某国で業務をしているとき、縁があり、現地の女性と1年ほど同棲し、○部を舐め合う仲になった。勿論正式な婚姻はしていなが、私が完全に女性を扶養していた。
知り合い、暮らし始めた最初の頃は、それが仕事の活力にもなったし、癒しにもなった。しかし、時間が経ちお互いに慣れて、それが通常の暮らしとなると、女性の態度が急に狎れ狎れしくなってきた。
「棺桶に片足を突っ込んだ今」なら分かるが、女性は背中や方に多くの事情を背負い、担いでいた。
直ぐにいがみ合いが始まり、落ち着いたかと思うとまた始まる。
その頻度が増し、同棲していることがお互い苦痛になった。
幸い、赴任期間が終わりその国を去る時に、相応の対価を渡し、その時は女性との関係も精算されたと思っていた。
しかし、時が経ち、次の勤務地で孤独を感じたとき、記憶の奥底にしまっていたその思い出が急に脳裏に浮上し「耐え難い未練」と化した。
それに抗じきれず、思わず女性に連絡を取った。
なかば諦めていた女性の反応もポジティブで、私の呼び寄せに応じて海を越えてやって来た。ビザの関係もあり以前ほど長期には暮らせなかったが、それが3回目の来訪となると前と同じ状態になっていた。
結局、3度、異国で同じ女性と同棲し、同じ結果を味わった。
そして、私が退職した時に、それを風の噂で聞いたと女性の方からメールがあり、また一緒に住みたいと言ってきた。
私は一瞬、悩んだものの、直ぐに削除した。その後も数回、同じメールがとどいたが全て直ぐに削除した。
「一時は心を許し合い?、○部まで舐め合った仲」、しかし結果は何回繰り返しても同じだと悟った。
ざっとしたところ、この思い出?(今となっては夢幻といった方が的確かも)に「東京郊外の3LDK+国産高級車」に相応する分を費やしたが、それでも一女性を幸せにすることができなかった。
原因はお互いに狎れあった事、「去る者は日々に疎し」の格言のように、そして一番の要素は私に女性が必要とする財力がなかたことである。
国籍、常識、宗教、風俗、慣習、血液、食物、言語、あらゆる面で違う者どうし、そしてそれに個人の背景が被さって来ると、ただ愛情だけでは、偕老同穴の契りは結べない。
【負け惜しみ?】
それでもこれの散財を惜しいと思ったり、「コン畜生」とう恨みも、今はないという事だけが救いか、それとも死期が近いのか?
【老爺心でお節介】
アメリカで求めた時計、これがブログ主殿の未練のトリガーのようですが、「形有るものは、いつか消滅する」と割り切り、これも心の財産に。
人間割れきれそうで、何か引きずるものがあるですね。
彼女の為にも踏ん切りを付けたつもりですがね。
色々と貴重なご意見有難う御座います、これからも宜しくお願い致します。。
通りすがりさんのコメントを読まして頂くと、私のしている事などとは、比べものにはならないほどの、経験を積まれてこられたのですね。
私も使ってしまったお金には未練が無いのですが、これからは心がどのように動いて行くのか、時が解決をしてくれると思います。
棺桶に片足を突っ込んだ今だから沈静しているだけです。
反対に、この過ちだけでなく、その後も、手を代え品を変えもっと筆舌にし難い過ちも犯しています。
この歳になるまでに。
そして、今も精神的には同様ですが、肉体的、資金面で不可能なため、タイで素食に甘んじています。
ひとの心は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに [字余り]
楽しくもあり苦しくもありと言う事なんでしょうね。
色々な失敗も過ぎてしまえば、楽しい思い出に変わる事もあります。