香取小 こども情報局

本ブログは校長・学校評議会・江東区の承認を経て、校内情報管理委員会の指導の下で児童が情報発信を学ぶために運営しています。

平和な未来の為に【お砂糖】

2009年11月22日 | 平和のとりでを築く【平成21年度6年生】
僕は、国語の勉強で原爆ドームや第五福竜丸のことを習って平和について考えてみました。

まず、僕が考える平和とは、犯罪や殺人が無く、人々だけではなく動物とも仲がよくみんな笑顔で毎日を楽しく生活できて、互いに助け合い、困っている人がいたら喜んで協力するような世界です。しかし、今の世界は僕が考える理想の平和な世界ではありません。今の世界はを世界中の国々が戦争を起こし、学校ではいじめなどが起きてたくさんの人々が苦しみ、死んでいます。中でも大きな国同士の大きな戦争はたくさんの悲しみを生み、平和な世界からどんどん遠ざかっています。


戦争について考えると、戦争による被害は、戦争をしている国の人が受けます。その被害を受けている人たちの中には、戦争なんてやりたくない人がきっと多いと思います。やりたくもない戦争を勝手にやられて被害を受けている人たちは最悪です。そして、戦争は、兵器を使って相手の国の人を殺します。その人を殺す兵器を買うお金は、税金から取られています。人々が必死に働いて稼いだお金を人を殺す兵器に費やすなんてお金がもったい無いと思います。そんなことのためにお金を使うのだったらもっと役に立つ他のことに使ったほうがいいと思います。

兵器には、原子爆弾、水素爆弾などがあります。1945年日本の広島でも原子爆弾が使われて、十数万もの人が殺されて多くの人が悲しみました。水爆実験でも、第五福竜丸の乗組員などが被害を受けました。このように人が殺したり殺されたりするとたくさんの人が悲しみます。

殺された側は親を殺された悲しみ、子どもを殺された悲しみ、友を殺された悲しみ。しかし、悲しむのは殺された側だけではなく殺した側も悲しむと僕は思います。なぜなら、殺された側も殺した側も同じ人間で、同じ地球に生きていて、同じ宇宙に生きていて、同じ時を生きています。だから、そんな出会えただけで奇跡のような人を殺して平気であるはずが無いと思います。楽しいはずが無いと思います。本当は殺したくは無いはずです。殺したときに悲しくなかったとしてもいつか必ず悲しみ、後悔すると思います。戦争が産むものは、悲しみ、後悔、憎しみだけです。たとえ戦争に勝って多額の賠償金を得てその国の人達が豊かに暮らせたとしても、それは負けた国から奪ったもの、負けた国の不幸の上に成り立っているものなのでそれは平和から遠ざかる行為だし、いいことではありません。こんな誰一人得しなくて、みんな損ばかりする戦争は無くなったほうがいいと思います。

僕が、この文章で一番伝えたい事は何かというとみんな本当の平和のために力を合わせ協力し、一人一人に出来ることをして欲しいという事です。
一人一人に出来る事は身近な生活などの部分などにあります。
一つ目は、差別の心を持たずにみんな平等という考えを持ち、それぞれの違いを認め、自分とは違う相手を理解するという事です。差別の心を持っているとイジメなどが起きます。イジメはとても残酷です。イジメはいじめられてる側に対してとてもひどいことをします。いじめは差別の心が生んだ間違いです。差別の心を持った人が偉くなると、アウシュビッツ虐殺事件などが起きてしまいます。ヒトラーがしてしまった事はとんでもない大間違いです。みんな人それぞれ違いがあるけど相手の事を理解しようとすることも大切だと思います。こういう事が起きると多くの人が悲しみます。全ての人々が差別の心を持たずにみんな平等という考えを持てばいじめは起きなくなり平和への大きな一歩となります。身近に自分とちょっと違う考えを持った人がいたらその人の考えを聴き、認めてあげましょう。例えば、醤油派とかソース派とか小さな事でもいいのです。それをみんながクセにして、常にやっていれば平和にどんどん近づいていきます。この文章を読んだ人は是非やってみてください。

二つ目は、相手の考えを認めて仲直りをするという事です。例えばけんかをしたとしても、相手のことを理解してあげ、仲直りするということです。なぜ理解し、仲直りすることが平和のためにできる事かというと、人はそれぞれの考えを持っているので意見が食い違うのは仕方ないと思います。しかし、そのことでいつまでもけんかをしていては、永遠に分かり合えずどちらかが力で勝利するまで、けんかは終わりません。だけど、ここで、互いに相手のことを分かろうとすれば仲直りをすることができ、けんかは終わります。戦争でも同じです。力でねじ伏せるのではなく互いに相手の事を理解しようとし、話し合いをすれば、戦争は終わります。もしこの文章を読んだ貴方が誰かをけんかをしているなら、その人の事を考え理解して見ようとしてください。理解しようとしなければいつまで経っても理解できません。この文章を読んだ人が誰かと仲直りでき、僕の書いたこの文が平和のためになることを願っています。

三つ目は、相手になにかやられてもそれをやり返さない事です。例えば、戦争で相手に自分と関わりがる人家族や友達が殺されたとしてもそこで相手にやり返すことは絶対にしてはいけません。それが戦争を失くすことに繋がると思います。もしそこでやり返してしまうと、やられて、やり返す、やられて、やり返す・・・・・・が永遠に続き憎しみの連鎖は止まることはありません。だから自分は家族を殺されてとても悲しいとしても悲しみを憎しみに変え、相手にも同じ思いをさせてやろうと考えることはいけないと思います。やり返してしまったら憎んだ相手と同じことをしていることになるし、死んでいった人が無駄死にになってしまいます。自分の家族が殺されて、悲しくて憎いならもうこれ以上自分と同じ思いをする人がでないようにするべきだと思います。それは家族のためにもなると思います。誰かがやり返さなければ憎しみの連鎖は止まります。やり返さないで話し合いで解決して、もし相手が本気で後悔し、反省したならば、許してあげたらいいと思いますきっと死んでいった人もいつまでも憎んでいることを望んではいないと思います。しかも、殺してしまった側も本気で反省しているなら、その後悔はものすごいもので一生忘れられないものになっていてとても辛いと思います。許したところであまり変わらないかもしれないけど許したほうが言いと思います。殺してしまった場合も殺してしまったからといって、自殺などは絶対してはいけないと思います。自殺をしたら殺された側が無駄死にになってしまいます。殺してしまった罪はものすごく重く、つらいものかもしれませんが殺してしまった側は罪を償わなければいけないと思います。死んだからと言って罪は消えません。殺してしまった人の分まで生き無ければいけないと思います。だからこの文章を読んだ人は、相手にやられてもやり返さず、自分が悪いことをしてしまったと思ったら償ってください。たくさんのひとがそうすれば平和へ近づけます。
平成20年6年生の日本男児さんの平和のとりでを築くの文章で世界の人々が「戦争をなくそう」「戦争はいけない」などと強く決意し、協力し合い、この世から戦争をなくす努力をすれば、戦争はなくなるかもしれません。
最後に、この戦争と言うもので死んだ人たちのことを決してわすれてはいけません。

戦争をなくすことは不可能ではありません。
と、ありあますが、僕もその通りだと思います。戦争によって死んでしまった人々のためにも、今生きている人達は、一人一人に出来ることをして、みんなで協力して、戦争をなくす努力をするべきだと思います。戦争をなくすことは、不可能と考える人もいるようですが、僕はそうは思いません。少なくともこれだけは言えます戦争をなくす事は絶対にできないと考えていては、いつまでたっても絶対に戦争はなくなりません。戦争を無くすためには、世界中の人々が戦争をなくす努力をし、協力し合わなければなりません。そのためには、世界中のたった一人でも欠けていてはいけません。誰か一人でも欠けていると戦争はなくならないし、もちろん本当の平和も訪れることはありません。
みんなで協力し合い、いつも笑顔で明るいみらいを築きあげましょう。

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