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住民自治の探検へ~川崎市議会を語る会

「自治する力」を高め、地域をつくる

政治不信の根底には政治過信、熊谷市長~大衆民主主義社会の課題

2015-04-11 08:06:59 | 住民自治
『「誰がやっても同じ」=「誰がやっても大丈夫」、政治不信ではなく政治過信が根底にあるのでしょうね』

『以前より『政治過信』という言葉を私は使っています』
『投票率低下をすぐに政治不信と捉える向きもありますが、本当に不信で生活や将来に危機感を持っていたら投票に行くはずですから、最終的には「文句は言うが、投票に行かなくても大丈夫」と有権者が思っていることが背景にあると私は思っています』

ツイッターを駆使して意見を聴き、自らの意見を端的に述べる熊谷・千葉市長。選挙での投票行動を巡って、4月4日に上記の鋭い洞察を示した。政治への期待感があるから、その期待のバーが高い。それを越えるのを当然だと思っていると、満たされないときに、人は不信を感じる。しかし、その不信感が危機感に結びつかないのは、何とかなるだろうと、考えているからだ。

ここで、筆者は次の言葉を想い起こした。
「毎日の新聞は政治家への不信に満ちている…現代人の政治への不信は、実は政治への過信の裏返しであることに気が付かない」。
 (永井陽之助『政治的人間』1968年初出「柔構造社会と暴力」所収)
熊谷市長の発想は、将に、約50年前の永井陽之助の発想と同じである。筆者は大学生時代に読んだのだが、「不信/過信」の関係が現代の政治社会の中核にあることを認識させられ、その鋭い感受性に敬服したのを覚えている。
この状況は今でも続く、大衆民主主義社会での基本的課題なのだ。

熊谷市長は更に呟く。以下では自己の判断と選択を論理化して述べている。
『私自身はとても政治過信には至れず、自分たちの将来を少しでもマシなものにするために行動する必要を感じ、会社員を辞めて市長を務めさせて頂いています。
投票に行くのは最低限の政治参加であって、危機感があれば立候補もしくは何らかの形で積極的に政治的意思決定に参画する必要性を感じます』。

『僕が選挙に行く目的のひとつは、自分自身の変化を促す点にあります。初めて投票することで萌芽して、政治参加(投票を続け政治を監視)することで育っていく精神的成長があると思っています。そういう市民が増えれば、結果的に政治の向上にもつながるはずです』。

投票することを自己変革のきっかけにし、精神的成長に繋げる姿勢は、極めてストイックでもある。更に驚くのは、それを自らの危機感に繋げて行動に移したことだ。この精神と活動力は一体の様に見える。

彼を取り上げるのは今度が始めてではない。丁度、3年前、原発由来の放射線問題に対する態度だった。
「…私も反論相手自体は殆ど説得不能だと理解…こうした方々の言説で不安に思う方がいることは行政として無視できない…放置した結果、善良な方々に影響が出るのは(行政として)困るので公開して反論しています」。
 『熊谷・千葉市長の際だった政治姿勢120413』

この反応は、熊谷市長が住民に身近な基礎自治体の長として、生の住民に配慮する鋭い感覚の持主であることを示している。この人たちが不安感を持つようになれば、その自治体は危機と云えるのだ。その政治姿勢は今回の投票行動に表れた考え方と同じ処から発せられているように思える。

即ち、一貫した政治姿勢は、しっかりと身に付けたものなのだ。この姿勢を武器に、100万人都市の首長としての舵取りは、千葉市民だけでなく、多くの人たちから注目されている。大衆民主主義社会における一つの政治家像として定着していくことを期待したい。

      

相次ぐ公共工事の入札不調 需給逆転で逼迫感

2014-10-01 23:59:04 | 住民自治
相次ぐ公共工事の入札不調 需給逆転で逼迫感(カナロコ 141001)

「現状の需給バランスはかつてない逼迫感」、しかし、
「より心配なのは東京五輪後だ。建設市場の縮小は避けられない。落差がどのくらいになるか予想がつかない」

県内の自治体で公共工事の落札者が決まらない異常事態が相次いでいる。東日本大震災の復興需要に加え、2020年の東京五輪開催に向けた建設需要で、建設資材費や労務費が高騰し、自治体が見込む工事費を大幅に上回ってしまっているためだ。背景には政府主導の強引な経済政策と、それに見合っていない日本の建設人材の現状が見え隠れする。ミスマッチの現場を追った。


 「夏はエアコンを入れても30度を超えた。廊下に至っては40度。早く建て替えてもらいたい」。関係者が頭を抱えているのは鎌倉市立大船中学校(同市大船4丁目)の一件だ。同校の校舎がプレハブとなったのは2012年4月。築50年を超えた既存校舎の耐震性不足が発覚し、急きょテニスコートに仮設校舎を建てた。以来、約5百人の全校生徒がプレハブ校舎で授業を受けている。



鎌倉市は、大船中建て替え工事費として14年度当初予算に総額34億7295万6千円を盛り込み、今年4月の入札で施工業者を決め7月にも着工する予定だった。ところが想定外の事態に陥る。1回目の入札は応札者なし。2回目は応札条件を緩和したものの、入札価格が予定価格を上回り、不調となった。

この時点で市況に見合った予算ではないことがうかがえるが、市担当者は「可能性があるならチャレンジしたい」と再度の入札を8月1日に実施。だが、またしても予定価格を超えてしまった。

「ここから川崎市の問題

小田急電鉄はこの10年間にわたって計画を模索してきた向ケ丘遊園跡地開発(川崎市多摩区、約15ヘクタール)について今年4月、白紙にすると発表した。同社は「人件費が(計画策定の)2010年と比べ約3割高騰、工事費全体で約1割上がったため、計画を練り直す」としている。


 慌てたのは跡地のある川崎市だ。「時間をかけて緑地の保全や開発のボリュームなどで協議を重ねてきた。ここにきていきなり白紙とは」と今後の迷走を懸念する。



政務活動費は闇の奥、議員の懐へ~クロ現・揺れる地方議会(2)

2014-09-29 21:40:28 | 住民自治
議員の“議会活動”が低調な様子は、昨日の記事で確かめた様に、議決機関として条例提案が全体の1%以下と推定されることから良く判る。その議員に給料、ボーナス以外に政務活動費(旧名・政務調査費)が多くの議会で議員に配布されるのは、経営原則からの違反なのだ。
 『認識の甘さを露呈する「NHKと北川教授」140928』

不祥事が相次ぎ厳しい視線が注がれる地方議会。兵庫県議による「政務活動費」の不自然な支出。実際は、私的な用途などに使われ“第二の議員報酬”となっている実態が浮かび上がってきた、とのナレーションで始まる「クロ現」。しかし、何を今更の感がある。

川崎市・阿部市長に対して「政務調査費」に関する住民訴訟が提起されたのは、2007年12月であった。内容は「03-06年間」の約13.6億円の内、既に外部監査によって目的外支出を指摘され、返却されたもの以外に、違法支出に当たる額を返還することであり、2012年1月に横浜地裁より、約1億2千万円を返還するように命じる判決が下った。

既に、その頃は各地の住民団体による返還訴訟があり、その影響もあって、自治体側での外部監査が強化されていた。例えば、大阪府議会では3.4億円、京都市議会では1.3億円の返還勧告が出され、議員の甘い認識が批判されていた。

川崎市の場合は外部監査により4年間での目的外支出が認定されたが、監査側が前半2年間での目的外案件(約1.2億円)に関しては、「返還に及ばず」とのとの見解を打ち出し、阿部市長もそれに倣っての措置であったため、住民団体が返還訴訟に踏み切った経緯があった。

その後、2012年8月に地方自治法の政務調査費条項の改正案が可決成立し、政務活動費と改称された。この改正案は交付の目的に「その他の活動」が付加され、「議員の調査研究と関係のなく目的外とされるものを、目的化できる余地を広範に与える」との批判を受けていた。

その一方、自治体側においても「政務活動費使途基準マニュアル」等の整備を進め、具体的な使い方の説明書を議会(事務)局が整備する等の改善措置をとるようになった。領収書の添付も徐々に各自治体は取り入れる様になり、情報の透明化も進んでいる。

従って、今回の兵庫県議会の元議員の不正支出の類いは、最低のレベルでの問題で有り、マスメディアが報道する様な問題ではない。また、全ての使用経費に対して領収証を付けるのは、当然だが、それで済むわけではない。北川教授は成果を示すと言ったが、議員個人の成果とは何だろうか。それを誰が認知するのだろうか。そこには誰もいない。

この考え方こそが公金を議員個人の懐へ、その闇の奥へ、追いやってしまうものだ。問題にすべきは、政務活動費と議会活動との関連性であって、議員個人の活動との関連性ではない。

例えば、放送で問題とした「会議費」だ。


  
「何処まで政務?あいまいな境界」として例示されている。論外であり、これらこそ、公金が議員個人から闇の奥へ導かれた格好の例に他ならない。教授は説明責任と言うが、公金であることにもっと問題意識を持つべきだ。

例えば、住民あるい地域との意見交換会はどうだろうか。それには「会議録」を添付し、その後のフォローも含めて、公開し、議会HPにも掲載することを義務づける必要がある。プロトタイプを議会報告会におくのだ。

更に、政務活動費は委員会管理にする。意見交換会は基本的に政策に係わるから常任委員会に割り振りできる。あるいは、常任委員会の中で各委員(複数でも良い)に割り振りしても良い。政策一般であれば、議会運営委の管轄にできる。住民の参加の基本は自由にする。議員個人が主催する場合は、年間の回数の上限を決めておく。ともかく、公金を使用する以上は、議会活動であって、議員個人の活動ではない。議会(委員会)が管理すべきなのだ。


      

認識の甘さを露呈する「NHKと北川教授」~クロ現・揺れる地方議会

2014-09-28 15:22:46 | 住民自治
一言で言えば、全く期待外れの内容だった。

「不祥事」と「不正支出」、この二つの「不」は地方議会の代名詞みたいなものだ。但し、前者は出来損ないの議員の行為、後者は制度自体の問題だ。議会の本質からずれる。最初のこのナレーションが語られたとき「こりゃ、ダメかな」と思ったのだが、予想以上に旧くからの指摘事項だけの提起だった。

その中で、最後に提示された「議案」に関する議会の実態が問題の本質の一端を突いていた。しかし、時間の関係もあってか、番組の中の取扱いが粗雑であり、北川教授の説明も実態を具体的に把握していない様子であった。

  
筆者には、首長提案議案に対する原案可決90%は低いようにみえ、一方、議員提案議案5%は高い様に感じられた。ただ、議案であって、条例案ではない。議員提案の中には「意見書」(主に国に対する要望書)も含まれている。これは行政とは関係なく議会だけで出すものだ。条例案・予算案とは同列に扱えない。

最近の報道によれば、自民党中央が全国の地方組織に対して「憲法改正」の意見書を出すように指導しており、議決された地方議会もあるようだ。

さて、上記のデータの出所が明らかでないため、少し調べた処、市に関して全国市長会の調査・研究があった。全国の市議会のデータをまとめたものであり、都道府県、町村は抜けるが、傾向をみるのには使える。条例を比較しよう。
 http://www.si-gichokai.jp/official/research/jittai24/pdf/jittai24-10.pdf
「市長提案議案」     「議会提案議案」
 条例  その他 計    条例  意見書 その他 計
 32,573 61,743 94,316  1,308  5,451  2,319  9,078
 (A)議会提案議案/議案総数  =8.8%
 (B)議会提案条例案/条例案総数=3.8%

ところが、これは議会だけではなく、条例全般に係わることであるが、議員提案条例案には、議員報酬、期末手当、費用弁償などの金銭に係わる条例、法の改正に関連して改正すべき条例、委員会設置等の議会運営に係わる条例等、市民生活には関係なく、形式的あるいは運営上での改正条例が含まれる。

そこで川崎市議会平成24年の議員提案(委員会提案を含む)を調べると、全体で5件、その中で、「虐待から子どもを守る条例」が唯一、行政に関連する通常の条例であった(因みに川崎市では(A)=11.6% 比較的大)。

一例だけでは十分ではないが、ゼロではないため(ゼロの処が多いと考えられる)、5件に1件を先に(B)に適用すると、実質的な議会提案条例案は、
 (議会提案条例案/条例案総数)×1/5=0.7% となる。

放送で掲げた議員提案議案の数値5%に関して、北川教授と国谷キャスターとの間で以下のやり取りがあった。
「私(北川)、ずっと…追求して…やっと5%きた…」、「議員提案が?」
「…ゼロだったんです…これを10,20%にしていく…民意の代表として…」
「地方はみずから考えて政策立案、実行するタイミングでは?」
「…ピンチをチャンスで切り替える機会だと…議会が捉えて頂けたら…」
「議会不要論が6割…」「…どう答えを出すか…今こそ議会に求められる…」

先に示したように、議会のミッションから「5%」は意見書を含み、実質的には大きすぎる数値であり、“実質1%以下”程度が妥当な数値であることは、議会に関する研究者であれば、直観的に察知して欲しい。また、クロ現スタッフも数値には厳しくチェックを入れるべきだ。尤も、5%では少ないと思っていた?

問題は議会のミッションが何で、現状の質的問題は何か、という問題意識だ。
北川が指摘するように、最近は、議員提案の数値は上がっていると思われるが、その内容を地方自治体の研究者群が調査・分析をどこまで行っているのか。それが学問の世界で先ず、共有され、更に実務レベル、先端市民レベルにまで情報が循環されるべきなのだ。

情報が脈絡に欠けて浮遊し、それが「事件」という磁場が発生することで、引き寄せられ、ゴミ情報の集まりとなる。それをより分けるマスメディアの視点が「不祥事」と「不正」では、先を切り開く展望は得られない。

(同時投稿)

      


自治体行政への議会の貢献度~議会改革から抜け落ちる部分

2014-09-11 22:50:18 | 住民自治
「議会における議事内容を知れば、自治体行政の全体像を理解できる」というのが筆者の発想の起点であった。そこで、議会改革を目指す、川崎市議会を語る会(世話人:筆者)の中で、『市民による川崎市議会白書』を企画し、2010年、2011年と続けて編集・発行してきた。今回は4年まとめてだ。
 『「市民による川崎市議会白書2011-2014」基本構想140330』

議会改革の考え方からは、討論の場であり、予算・決算、条例に関する意思決定の場である議会が、単なる質問の場であり、「議場」とすれば立派だが、機能としての「議会」の姿にはなっていないのだ。議会として最重要の仕事であるの議事は低調を極めるのだ。

一方、情報提供の場としては、行政側の答弁が市政の現状を説明しているという意味で、少なくても質疑の時間の50%は意味があるとも云える。その行政側の情報を引き出す役割をするのが、議員の仕事と云うわけだ。

さて、この場合、選挙の洗礼を受けて、市民の中で活動している議員によって構成される議会の、市政に対する貢献度をどの様に評価すれば良いの?行政に対する質問は、どの程度の意味があるのだろうか。測りかねるものがある。

これに対して、先ず意思決定機関としての機能を果たすために、新たな条例の制定あるいは既存の条例を含めた改定がある。例えば、地方の特産品に関する条例だ。しかし、これはニッチな政策の領域になる。また、新たな社会問題に対応する条例もある。最近の例で云えば、子ども虐待防止条例、自殺防止条例などだ。これは理念条例になり、具体策は行政が対応することになる。

この様に、意思決定機関としての機能を果たすにしても、それはニッチな領域を探すことが主眼になるのではなく、広く市政を知りつつ、その課題を見出し、政策として追求し、練り上げていく能力を身につけなければならない。

従って、個々の議員が、一方で、日頃の議員活動として市民の市政に対する要求等を把握しながら、もう一方で、行政のチェックを厳しく行い、個々の政策の全体像を描き、具体的な問題点を政策に落とし込む必要がある。

しかし、現状は、議会での会派であれ、議員であれ、その質問は大体において、筆者らが云う「状況把握」質問に終始することが大部分である。しおうすると、先にも書いた様に、質問そのものには意味が無く、行政側の答弁だけが結果として残ることになる。

      

また、かつて、片山前総務相(当時は前鳥取県知事)が、地方議会は八百長、学芸会をしていると述べた様に、川崎市議会での例では、質疑応答は事前の質問者と答弁部局との摺り合わせによって、シナリオが出来上がり、特に答弁側の局長は原稿の棒読みになる。すなわち、単なる結果報告で何が質問から得られた新たな政策なのか、不明なのだ。

そこで、議会は先ず、本会議及び委員会審議での議事を政策毎にまとめることが必要だ。次に、個々の政策に対する議会の貢献度を自ら評価するべきだ。議会改革が進展した地方議会は多くあるが、その結果、その自治体の政策に議会がどの程度に関与したのか、明らかにする必要がある。

例えば、会津若松市議会は「議会からの政策形成」(ぎょうせい(2010年))を謳っているが、それは一つのニッチ条例を作るプロセスに過ぎない。市全体の政策の中で、それらの政策形成のアプローチが、どこまで市政の政策に浸透しているのか、さっぱりわからない。

議会改革が市政の何に影響を及ぼしているのか、これまで報告例がないように見えるし、問題意識としても浮かび上がってこない。議会基本条例が各地の議会で成立し、その数が増えても、結局、何も変わらなかったとの評価を受けない様に、議会による「議会白書」を刊行する議会が増えることを望みたい。
(同時投稿)